CubとSRと

ただの日記

テレビではサラッと流したのかな? 特集組んだワイドショー、あった?

2021年06月25日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)6月24日(木曜日)弐
通巻第6963号  
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 表現の自由よ、さようなら。全体主義よ、こんにちは
  香港リンゴ日報、最終巻は百万部を印刷
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 6月24日、香港の自由の最後の砦だった「リンゴ日報」は最終号を編集し、印刷、配送した。百万部を印刷し、同時に24日午后零時をもってネット版も閉じた。
 自由のために戦ってきたリンゴ日報は26年の歴史に幕を引いた。
 言論の自由は消えた。

 リンゴ日報本社の編集室には最終版の割り付け風景を撮影する世界各国のメディアが取材に殺到した。本社ビル周辺には香港市民数百があつまりスマホのライトを照らしながら、リンゴ日報の勇気を称えた。

 香港で残るメディアのうち『大公報』『文わい報』『東方日報』は中国共産党の機関紙のごとく、中立は『明報』、やや共産党に批判的なのは英語媒体の『サウスチャイナ・モーニングポスト』だけとなった。

 欧米メディアは拠点をシンガポール、ソウルなどへ移転した。とくにNYタイムズはソウルに拠点を移した。
日本のメディアで香港に支局があるのはNHKと日本経済新聞くらいで、あとは台北支局から出張取材している。

 英国のドミニク・ラーブ外相は批判の声を強め、政治秩序を保つなどとして、言論の自由を警察力を使って圧殺するのは深刻な脅威であると記者会見した。
台湾の頼清徳副総統も批判し、「国境なき記者団」も言論の自由を冒涜するものと香港政庁の措置に強い抗議姿勢をしめした。珍しく日本のメディアも批判的な姿勢だった。
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最低(?)から

2021年06月24日 | 日々の暮らし
 6月22日(火)

 今日は最低。
 6時過ぎに起きたが、早過ぎる、と寝直す。
 でも、結局は7時半頃から朝食の準備を始め、8時過ぎには用意を終えて食べ始める。
 
 あとがいけない。10時頃から眠くて仕方がなくなり、転寝をする。
 12時を回って、「これではいけない」と二階へ行ったものの、まだ眠い。
 とうとう3時過ぎまで寝てしまった。

 で、もう一度、「これではいけない」と、思い、急に庭の草刈りを始める。
 ゴミ袋二つを一杯にした時点で終える。
 「いくらも続かなかった」わけではない。ゴミ袋が二枚しかなかったからだ。続きをやるには市指定の袋を買いに行かねばならない。思いつきでやった結果だ。「段取り八分、作業二分」の言葉通り。

 とにかくシャワーを浴びて着替え、ゴミ袋・蚊取り線香(草刈りは蚊との戦い。線香の切れ目は命取り。この時、蚊取り線香も灰になった)・殺虫剤等を買うことも併せ、鈴蘭台の生協まで資源ごみを捨てに出発した。
 これまでの買い物で一番遅い、5時半近くの出発。
 何しろ夏至だ、日が長いはずだ。5時半だって大丈夫だろう。

 雨は降らないということだったが、出る時から北の方の空は黒雲に支配されようとしていた。
 降らないと言っていたのだから降らない「だろう」。

 資源ゴミをそれぞれの回収箱に入れ、もう一つの目的のゴミ袋・蚊取り線香・殺虫剤等も買って、さて、ついでにスーパーマーケットに寄って明日の酒の肴の用意も、と思いながら生協を出たのだが、すぐに雨粒が当たり始めた。
 肴の材料を買うのは諦めてまっすぐ家に帰ることにする。

 帰り着くころにははっきりとした雨粒で、オーバーオールにも結構雨粒の跡が残っていた。でも、そこまで。
 「最低」、と言えば「雨に降られて最低」みたいだけど、雨には雨の良さがあるし、大して濡れたわけじゃないから最低ってことはない。
 「最低」と思ったのは、何もしなかったから最低。それを思って動き始めたけど、準備不足(ゴミ袋不足)で、不完全燃焼になってしまったことが「最低」。酒の肴の準備ができなかったから「最低」。

 でも、「最低」だから、その下はない。
 それが証拠にゴミ袋を買ってきたから、明日は草刈りを再開できる。
 酒を飲むのは明日だから、それまでに工夫をしてみて、足りなければまた明日、行きゃいい。時間は十分にある。

 
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気のせい

2021年06月23日 | 日々の暮らし
 6月19日(土)

 今日は朝の中に雨が上がるということだったけど、いつの間にか予報では午後になっていて、午後早くに止むのかと思っていたら、今度は「4時頃になれば」、に変わってしまっていた。
 
 でも、とにかく不安ながら4時半近くになって、神戸駅方面へ向かう。
 勿論エンジンの調子を見ることが主、だからSRで行く。

 エンジンは一度目では掛からなかったが、二度目にはすんなり掛かる。
 「すんなり掛かる」って変な言い方かもしれないが、同じ掛かるにしても「どうもっ!」という感じもあれば「よっこらしょ!」ってのもある。軽量級のボクサーのフットワークとウェイトリフティングの溜め(?)の違いというか。SRでハーレーのような力強い始動は望めないし、望まない。軽快に「どもっ」って感じで掛かってほしい。

 やっぱり調子は良い。スロットルを回すと今までよりも反応が良い。
 
 家を出て、すぐ雨粒が当たったような気がしたが気のせい、ということにして南下を始める。

 有馬街道はいつも以上に車間距離が近い。早い話、混雑している。
 先の方に大型トラックが数台いるのか、それともトレーラーが走っているのか、もしかして事故?
 何しろ片側一車線で、路側帯は申し訳程度の数十センチ。その先は蓋のない溝。その数十センチを原付、スクーター、時には中型(普通)バイクが擦り抜けていく。六甲山の表と裏を結ぶ道は基本的にこれしかないから、一旦渋滞に嵌ると身動きが取れない(枝道がない)。

 有料道路の入り口に近づいた辺りから渋滞がひどくなる。入口手前の旧道の分岐点で先が停滞しているのが見えたので、迷わず旧道へ左折。
 大型車両による自然渋滞かもしれない。それとも先日来の雨で山側の斜面が崩れたか。いや、崩れたのならもっと悲惨なことになっているはずだから、「木が道路に倒れ掛かって(片側交互通行)」、あたりか。
 いずれにしても旧道に入ってすぐ、何か作業をしているらしい人影が川の向こうを走る有馬街道上に見えた。

 珈琲を買ってUターン。今日はどこへも寄らず。
 帰路、時折りごく小さな雨粒が当たるような気もしたが、これも気のせい。

 実際、帰り着くまで雨に打たれることはなかったが、ガレージの扉を撥ね上げ、SRを中に入れようとしたら確かに小さな雨粒が溝の鉄格子板に染みを作っていた。

 濡れなければ、「雨は降らなかった」と、「気のせいだ」と、強引に言って笑っていられる。
 けど、濡れなくて影響は全くなかったけど、「降ったことは事実。証拠がある!」と実害の有無は全く関係なしに「降ったじゃないか!予報は外れた!」と言い募り、責任(?)を追究する考え方もある。
 
 どっちもどっち、ではある。
 が、前者を採るのが普通だろうな。
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リンゴ日報が廃刊

2021年06月22日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
 令和三年(2021)6月22日(火曜日)
 通巻第6959号   
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 かくて香港から「表現の自由」は消える
  リンゴ日報、26日に廃刊、資産凍結で給与支払えず
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 27年間、リンゴ日報は香港で自由のために戦った。
 共産党という悪魔を相手に怯まずに戦ったが、力尽きた。虐げられ、抑圧された人々にどれだけの勇気を与え、精神を鼓舞しただろうか。

 全体主義に従順に従って思考回路を閉ざし、独裁に協力する人々は何処かで、良心と、真実をもとめて考える努力を捨てたのだ。

 リンゴ日報創業者のジミー・ライ(黎智英)と、筆者は単独インタビューをしたことがあるが、彼の哲学はハイエクである。そして「自由な言論、透明性の高い情報がなければ市場は成り立たないのだ」と発言したことがまだ耳元に残る。

 哲学者のハンナ・アーレントは自身が体験した全体主義の衝撃について、「起こってはならないことが起こってしまった」とし、現実に「ナチは私たち自身のように人間である」。だが、「悪夢は、人間が何をなすことができるかということを、彼らが疑いなく証明した」
全体主義体制の悪魔は人々の知性を蝕み、知性を殺した。

 リンゴ日報は香港警察によって物理的に発行が不可能となり、実際に同社資産が凍結されたため、社員の給与支払いが滞り、取材、編集、校正、印刷、配送という一環システムが維持できるのは6月25日まで、と同社幹部は見通しを述べた。
 
 27年に亘って香港に存在しつづけ、「自由、民主、人権、法治」という基本的の原則、崇高な価値観を掲げて人々を鼓舞してきた自由の灯が消える。
         ☆
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コッコッ、コーヒーが~~!

2021年06月22日 | 日々の暮らし
 6月17日(木)

 雨が上がって路面も乾いたようなので、カブに乗って出かけた。パン屋に行き、いつものようにバゲットやパリジャンをリュックに突っ込んでUターン。
 ・・・と、いうつもりだったが気が変わり、パン屋の帰り、コーヒーを買いに寄り道をする。

 先月、義兄の家に珈琲を持って行こうと思いついた。
 いつも買っている店で行きがけに買おうと、十分に時間を見て出発したのだが、神戸の街に出てから気が付いた。いつもの店は土・日が休みだ。
 そして今日は日曜だ。さて、どうする。考えろ、考えるんだ。

 ・・・ということで、同じ焙煎会社の豆を使っている店が道中にあったことを思い出し、そこで買っていくことにした。
 確か初めてその店に行ったのは二十五年ほど前。美味しかったが普段通るところではないため、二、三度行ったものの、以降二十年以上行ってなかった。

 百グラムだけ挽いてもらったものを買って、義兄の家に行って淹れてみた。  
 以前はこんな味のコーヒーを飲んでいたことを思い出す。我乍らこんなに上手く淹れることができたのは久し振りだった。

 それならば、と数日後、同じ味になるかどうか確かめるために、またその店で100グラム買ってみる。
 違う。義兄の所で淹れた時ほどのまろやかさがない。
 ということは水のせいか?西宮の水は美味いとは聞いているが、神戸だって北区の水は千刈の貯水池のだから美味いと言われているのだが。

 だからというわけではないが、そんなことがあって急に店ごとにどれだけ味が違うのだろう、と思い始めた。同じ焙煎会社でも各珈琲店の希望に合わせて豆をブレンドしている。当然、店によって「ブレンド」コーヒーの味は違う(筈だ)。折角街まで出てきたんだから、豆も買って帰ろう。

 行きつけの店は一杯で、でも、豆を買うだけだからと、入り口で注文すると少し待って下さい、とのこと。
 外で待っていろ、ということだと思って待っていたのだが、今日はどうしたことか妙に時間がかかる。先に入った二人連れの分が手間取っているのか?
 様子を見に中に入ろうかと思った時、扉が開いて奥さんがコーヒーの袋を渡してくれた。

 帰って、買い物の片付けをしている時、コーヒーの袋を持って「?」となる。豆じゃない。挽いてある!それで遅かったのか。これじゃ味を比べることは出来ない。挽いてもらう時はマキネッタで淹れるつもりだから、極細挽きで、と注文している。「豆のままで」と言ったつもりだったがバタバタしている最中だったから聞こえなかったのか。店内で待っていれば気が付いて止めることができたのだが。油断した。

 明日にでも改めて行くか。
 


 


 

 
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