CubとSRと

ただの日記

蘭領東インド(インドネシア) 続き

2022年10月26日 | 心の持ち様
 軍人が戦争時の任務として行ったことに対して、「日本人だから」と死刑を宣告したオランダ人現地司令官。
 皇族による助命嘆願を聞かなかったオランダ女王。
 昭和天皇の大喪の礼に、ただ一国だけ欠席した新女王。
 明仁天皇(現上皇)による歓迎晩餐会の席で、場もわきまえず「戦争被害を受けた人たちの心の傷を~」と口にした新女王。

 日本には「親が親なら子も子」なんて言い回しがありますが、今、そんなことを言ったら差別認定まっしぐら、です。
 けど、西欧の国は未だに日本に対してはそういう見方をすることが多い。有色人種に対する差別意識は民度に比例して今もあるのかも。
 だから、「いや、日本だけが悪いんじゃない」「日本は悪くない」等といった主張は少ないがゆえに却ってメディアに採り上げられたりする。
 まあ、「末代まで祟る」という言葉もあるし、日本の近隣にだって「千年経っても恨みは消えない」と国是のように言う国もあるけど。

 さて、高山氏は陛下にこんなことを言ってほしかった。その部分、独断で【 】をつけて転載します。↓
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 「皇室はオランダとの付き合いを考えた方が良い」 後半部


【 いやいや御冗談を。貴国はそちらから宣戦布告された。それで皇軍が蘭印に上陸すると戦いもせずに8万将兵は降伏してしまった。あとは捕虜収容所で白人にふさわしい最上のもてなしをしろとおっしゃる。
 日本軍は露軍、支那軍など多くの軍隊と戦いましたが、これほど怯懦で無責任な軍人を見たのは初めてのことでした。
 心の傷を癒すとは有色人種に使役された白人の悔しさを言われていると思いますが、それを心の傷と思うことの方が露骨な白人優越主義の押し付けではないでしょうか。昭和天皇もその意識が先の戦争の遠因と指摘されました。因みに捕虜の使役は国際条約で認められております 】
 くらいは言い返してほしいと臣民は思ったが、陛下は堪えられた。日本政府も女王の非礼を咎めることなく2回目の補償を払った。

 しかしオランダ人は粘着質だ。女王の跡を継いだ国王アレクサンダーが先年訪日して、同じ宮中晩餐会で「つらい歴史を忘れてはならない」と3度目を要求した。
 加えてオランダ人は支那人と組んで正定事件を持ち出してきた。
 
 1937年、蒋介石軍は米独露の支援を受けて上海の日本人租界を攻撃した。日中戦争の始まりだが、日本軍が巻き返すと蔣の軍隊は潰走しながら各地で略奪や殺戮を恣(ほしいまま)にしていった。
 その現場の一つが河北省の正定だ。軍服姿の支那人10人が教会に押し込み金品を奪ったうえオランダ人司教シュラーベンら白人聖職者9人を拉致、惨殺したというのがあらましだ。

 それがいつの間にか「日本軍がきて200人の女を出せと要求し、断ったシュラーベン司教らを惨殺した」に仕立て直され、支那人の協力で司教の故郷に事件を記す銘板まで置かれた。
 オランダ側はこの流れに乗って、殺された司教を福者に列するようバチカンに要請している。
 オランダはただ今、支那と協力して対日歴史戦を展開中というわけだ。

 こんな国と今上天皇はなぜ仲良くされるのか。



 (二〇一八年三月一日号)

  新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より



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蘭領東インド(インドネシア)

2022年10月25日 | 心の持ち様
 「英領インド」、「仏領インドシナ」と言う名前は覚えている。高校で習った記憶がある。
 で、「蘭領東インド」ってのはきっと習ったんだろうけど覚えてない。
 とにかく怠け者で、まともに勉強(というか、「学び問う」という学問の王道を歩いてこなかった)しなかったものだから、とにかく試験の前の丸暗記。

 それで「英領インド」というのが、当時、東西のパキスタンもひっくるめた地域だ、と知って「随分乱暴な植民地だな」と思い、「仏領インドシナ」は「インドでも支那でもないじゃないか。なんでインドシナ・・・あ!そうか「仏領インドシナ(半島)と言うことか」などと無理やりな納得をしていた。
 そんなだから、「仏領東インド」がインドネシアだなんて覚えたとしてもすぐに忘れてしまっていたんだと思う。
 大体、何でもかんでも「インド」って名づけりゃいいってもんじゃない。「インドシナ半島」はインドでも支那でもないし、インド人が移住して住んでるからってそこが「インド」ってことにはならない。

 なんで「インド」って言ったのか。それは単に西欧国の勝手なんだ。西欧人はそういう考え、悪く言えば差別意識、悪く言わなければ「大雑把」・「大体」、でアジアを捉えている。だから近東・中近東・極東なんて分け方をする。
 それがいつしかそんな大雑把じゃ済まなくなって、近東、中近東、インド、シナ、極東(時々「極東の国日本」と言う言葉が出てくる)となる。

 「蘭領東インド」。インドの東の地域。
 インドの中の「東部」なのか、インドより「東方の地」なのか、「東インド」では分からない。「インドネシア」ではますますわからない。「ネシア」には「島々」くらいの意味しかないらしいから。インドの島々?何だそりゃ。

 でも「インドネシア」ってのは驚くほど広大な地域だから、オランダにとってはこれを失うことは国家の存亡に係わる大問題。
 大事な収入源を日本に横取りされた・・・んじゃなくって、とにかく奪われた。それだけじゃない。日本軍は植民地を奪っておいて、そのうえ、あろうことか自立の精神を教え、宗主国様に抵抗することを教えて、独立までさせてしまった。
 だから英蘭仏の三ヶ国が同じ理由から日本に持つ怨み辛みは半端じゃないということになる。
 でも、そんな怨み辛みは道義に反することだから、本来なら口に出して言えるようなことじゃないんだけど。

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 「皇室はオランダとの付き合いを考えた方が良い」

 オランダはナチのユダヤ人虐殺に協力し、あのアンネ・フランクも差し出した。
 戦後は口をつぐんで復興に勤(いそ)しんだが、それが思うに任せなかった。
 なぜなら国家財産を賄(まかな)い、なお余剰所得を生んでいた植民地蘭領東インド(インドネシア)が還ってこなかったからだ。
 僅かの間、日本軍がそこを支配し植民地の民に統一語と軍隊ペタと同胞愛を教えた。鞭で打たれても飢え死にしても従順だった民は帰ってきた宗主国に団結して4年間も立ち向かい、ついに独立を果たした。

 オランダは元の貧しい欧州の小国に戻った。元凶の日本を心から恨んだ。
 韓国人みたいなコンプレックスからの反日ではない。彼らは白人意識に凝り固まる。それが捕虜にされ使役された。拭い難い屈辱に加えて金の卵を産んできた植民地まで日本軍が奪って、その結果がこの貧しさだ。

 報復はまずBC級戦犯に向けられ、226人も処刑した。最後の一人は落下傘降下してセレベス島を制圧した堀口豊秋海軍大佐だ。
 彼に死刑を宣告した裁判官は、このときに泣いて命乞いをした現地司令官F・ティウォンだった。
 何の罪もないのになぜ堀内大佐は死刑なのかと問う弁護人にティウォンは言った。
 「なぜなら彼は日本人だからだ」
 高松宮はユリアナ女王に堀内大佐の助命を嘆願した。彼女は聞こえぬふりをした。

 連合国は対日賠償請求を放棄したが、オランダは捕虜への補償名目で1500億円を取り立てた。このとき白人国ではスイスと三国同盟仲間だったイタリアも金をとって行った。イタリア人にその話をすると今も赤面して逃げる。
 しかしオランダはその恥も知らない。ユリアナ女王の娘ベアトリクスが女王の座を継いで間もなく昭和天皇が崩御された。
 世界中の王室がご大喪に参列したがオランダ王室だけは欠席した。

 その2年後、ベアトリクス女王が訪日し、践祚された明仁天皇は歓迎晩餐会を開かれた。女王は陛下を前に「日蘭友好とは別に戦争被害を受けた人たちの心の傷をどう癒すか。問題は残る」と暗に追加補償を要求した。

         (続く)
 新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より 

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 おやおや。まあ。なんとおっしゃるうさぎさん、ですね。
 この後、高山氏の書かれていることを今の日本人はどう思うんでしょうか。
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本当に悪いのは誰 続き

2022年10月24日 | 心の持ち様
 あの時、ベントが後からつけられたものだということは聞いたけど、そのような経緯(GE社は要らないと言ったが、日本は独自の判断で付けた)は知りませんでした。
 それよりもあの時は緊急事態の真っ只中、部外者の相手などしている暇は全くなかったところに「僕は原子力には詳しいんだ」と、ヘリから颯爽と原発に降り立ち、自ら状況視察に乗り込んだ、時の総理大臣の姿を映した場面ばかりが思い出されます。
 それでベントの操作が遅くなってしまって、ご存じの通りの取り返しのつかない結果が生まれたとか。真偽のほどは今となっては藪の中。分かりません。

 後半の転載です。↓
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 GE本社はもともと無責任だった。例の2001年の9・11テロのあと米国原子力規制委が「各原発は必ず複数の予備電源を備えろ」という改善命令を出した。
 破壊的なテロ攻撃に遭っても複数の予備電源があれば炉心暴走は食い止められるという実験結果によるものだが、GEはそれを東電に伝えもしなかった。
 もしそれが伝えられていれば東電福島は複数の予備電源を備え、あの事態は確実に避けられただろう。

 何もかもGEが悪かった。しかし日本の新聞はこの悪者を庇い続けた。
 大方の新聞記者、特派員は米国かぶれだ。中でも朝日新聞は社是みたいに米国を敬い、暫くの間、福島原発がGE製という事実すら隠した。
 竹内敬三編集委員は「日本では炉心溶融は起きないという甘い想定でベントを装備しなかったが、海外の動きに押されて導入した」と書く。GE製じゃないです。国産の欠陥原子炉ですよと言っているように読める。

 福島県民はそれだけで東電だけを責め、賠償金をせしめてきたが、そんな朝日の騙しに乗らない人もいた。
 3人の日本人と幾つかの被災地企業が「粗悪な原子炉をつくり、まともに保守もしなかったGEこそあの事故の張本人」としてボストン連邦地裁に昨年末に訴えを起こした。
 訴えが成立すれば日本側はGEの会長から逃げ出した駐在スタッフまで供述を取れる。GEの内部文書も全部要求できる。

 過去、日本企業がさんざ泣かされた手法を、今度は日本側がやれるのだ。あの事故に至るまでの杜撰さもその糊塗も、ついでにGEの対日戦略も暴き出せる。
 楽しい話だが、日本の特派員はこのネタもスルーする。いつまでも米国人に愛される記者でいたい。健気な人たちだ。

 (二〇一八年二月二十二日号) 

 
  新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より
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本当に悪いのは誰

2022年10月23日 | 心の持ち様
 「ついに暴かれる福島原発事故の本当のワル」

 アイゼンハワーは米国人にしては珍しく良い人だった。
 日本に世銀融資を認めてくれて、日本は東名、名神を作り、新幹線を走らせることができ、東京五輪を開けるまでに復興できた。

 それでも日本が原子力発電に手を出すのは許さなかった。たとえ平和利用であっても、日本が核の知識を持てばいつかは広島長崎の報復をするだろう。だから日本の原発導入を渋った。

 でも日本人は頭がいい。米国がだめなら英国に話をつけて黒鉛減速型の原子炉を導入して発電を始めた。日本原発のコールダーホール型原子炉だ。
 燃料はウランでいい。燃やせば直接、核爆弾の材料になるプルトニウム239が容易にできる。それでロシアはチェルノブイリに同型炉を作ったほどだ。

 米大統領は方針を変えた。日本に軽水炉型の原発を与える代わりに黒鉛原子炉を捨てさせすべてを米国が管理監督することにした。ちなみに軽水炉型の使用済み燃料からは核爆弾に仕えるプルトニウム239はできない。

 かくてウェスティングハウス社製とGE(ジェネラルエレクトリック)社製の低濃縮軽水炉が九電力に提供された。
 東電はGEの沸騰水型を入れた。やってきたGE の連中は高飛車だった。
 東電側は日本人の本能から海岸線の高い丘の上に建てたいと言った。
 GEは12歳の子供に説教するように「揚水にカネがかかるだろが」とわざわざ丘を削らせて低いところに原子炉を置かせた。ために3・11で津波を蒙った。

 GEは東電に炉心構造も材質も教えなかった。お前たちは無知でいい。俺たちが面倒見てやる、とまるで宗主国気取りだった。
 で、いざ炉の運転を始めたら配管にひびが見つかるわ、燃料被覆管が腐食しているわ、まともに臨界にも達しなかった。
 日本側が被覆管の材質を変えるなど手を尽くして臨界にこぎつけたが、改めて炉の構造を見ると万一のときに炉心の圧力を抜くベントがついていなかった。

 それをGEに糺すと、「GE製にそんな想定はない。お前らは心配しなくていい」と言い放った。
 3・11の折にガス爆発を防ぐ唯一の手段と期待されたあのベントは、実は東電側がGEの反対を押し切って独自に取り付けたものだった。
 しかしGEはそんな欠陥原子炉を使えるようにした日本に感謝もしなかった。
 おまけに東電福島があの津波を食らったとき、現場にいたGEの駐在スタッフはすぐさま逃げ出し、GE本社の命令で米国に飛んで帰ってしまった。

 (続く)



 新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より

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 昔、「敗戦後の復興は朝鮮戦争への物資調達(『戦争特需』)による影響が大きい」と習った。
 「朝鮮(戦争)のおかげで日本は生き返ったのだ。あれがなければ日本の復興はもっと遅くなっていただろう」。
 また「その頃は注文に生産が追い付かず、シャツのボタンなどは縫い付ける暇がないので、糊で張り付けただけの粗悪品が売られていたりした」、なんてことも聞いた。日本製=粗悪品だ、と。
 当然、そんなことばかり聞いて育つと国に『誇り』なんか持てない。

 それでも旧日本軍の戦闘機や軍艦は大好きで、プラモデルを作ったことのない子供(男の子だけだろうが)なんていなかったんじゃないだろうか、いろいろ言われる団塊世代は言うまでもなく、十年くらい後までは。

 今になって考えてみると、戦争特需で何とか生活ができるようになったのは事実だろうが、「それで全てが解決した」なんて決めつけはどう考えてもおかしい。
 確かに大規模工事、国家プロジェクトとしての取り組みなどは借金をするしか方法はないんだし、世界中の国は、そうやって自国を発展させてきた。


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「支那って言うな!」 続き

2022年10月22日 | 心の持ち様
 では、早速。「なぜ支那人と言ってはいけないのか」


 張宇は「我が国を征服しながらまだ溶かし込んでない国が一つ残っている。それが日本だ」と言った。
 そう言われてみるとあの第二次上海事変以降、欧米列強に植民地化されていた支那の大方を日本が解放している。日本軍の目が届いた北京・上海も治安は良くなり、李香蘭の舞台は昭和20年でも大入り満員だった。漢民族にとっては幸せな鼓腹撃壌の日々だった。

 同じことは凶作に加えて蒋介石軍の略奪で苦しんだ河南省にも言えた。飢餓が頂点に達したとき、進出した日本軍が食料を与えて民は生き延びた。「我々は皇軍の道案内をした。喜んで漢奸となった。こんな国に売っていけないものなどあるのだろうか」(劉震雲『人間の条件1942』)

 つまりあの辺りまでは日本軍は民の命を守った、統治したことになるのだろう。
 そして教育を施し、いま漢民族が遣う言葉の75パーセントが日本製漢字になった。
 「そう、そのときに日本人は我々を支那人と呼んだ。日本に征服統治された屈辱の証だ」というわけだ。

 支那が超大国になっても征服された悲哀は晴れないまま残るし、言葉も日本製のまま。だから早く日本を溶かし込まねばならない。
 それで習近平は国家主席就任早々に反日を旗上げし、オバマとプーチンを訪ねて尖閣を口実にした日本侵攻を黙認するよう頼んだ(矢板明夫『習近平の悲劇』)。
 オバマは呆れ、プーチンは強い調子でたしなめた。

 習近平の言う「偉大なる中国の復興」は頓挫し、一方で足許の国内経済はもはや破綻にひた走っている。
 日本を征服王朝に仕立てたところで勝って溶かし込める可能性などない。そう力まず、支那のままでいいじゃないか。

  (二〇一八年一月十八日号)

  新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より

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 「巨大な支那の歴史の中で英雄はすべて支那人なのだ」
 というタクシー運転手の言葉。
 「我が国を侵した外来王朝を我々は溶かし込んできた。~モンゴルも~満州も~ウイグルも~チベットも溶かし込んだ」
 割り込んできたガイド頭の漢民族、張宇の弁。

 「溶かし込んだ」、つまり「外来人が作った王朝」というだけのことであって、全て漢民族が吸収したのだから、征服されたというのは当たらない、結局は中華の一部ではなく、中華に溶け込んだのだ、と。
 ところが日本は外来人のくせに(征服王朝をつくったくせに)、中華に溶け込むどころか一部にさえなろうとせず、「日本」を貫いている。文化だって馴染もうという気がないから、「言葉」はいまだに日本製が増え続けるばかりだ。征服王朝だった時の姿勢のまま我々のことを「支那人」という。腹が立つ。

 こういう理屈。道場破りにフルボッコにされて道場を乗っ取られて、全財産差し出して棲みついてもらって、でも何が何でも生き残る。「死んで花実が咲くものか」。
 それなのに日本は、道場破りだけしておいて「後は自分たちで建て直せ」と資金まで置いていく。同化する気が全くない。

 でも、出発点は、やっぱり蒋介石の言う
 「日本人が『支那』と言うとき、そこには侮蔑の意味が込められている」
 から、です。
 そして、その「侮蔑」は「国」に対してではなく、支那の一般大衆、「支那人」の品性のなさに向けて、だった。
 しかし、征服王朝にはなれなかった西欧諸国は、支那の一般大衆に目すら向けてなかった ということを見過ごしてはならないでしょう。
 
 

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