書評 BOOKREVIEW
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ピルスベリーは「50年、中国に欺されていた」と悔やんだが「百年」の間違いである
1922年、日本を不当に批判した本書が日米開戦の伏線となった
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ポール・S・ラインシュ著、田中秀雄訳
『日米戦争の起点をつくった外交官』(扶桑書房出版)
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本書の原版は1922年、ちょうど百年前の本である。
ピルスベリーは「50年、中国に欺されていた」と言ったが、半世紀ではない。「百年」に亘ったアメリカの間違いである
日本を不当にけなす本書が日米開戦の伏線の一つとなった。
著者のラインシュは植民学の学者だったが、ウィルソン大統領の指名によって初代中華民国駐在公使となった。六年間、当時の中華民国に滞在し、袁世凱など歴史上の人物を交流し、外交の舞台裏で活躍した。中国人のエリート層と交流を深めるうちに、なぜかシナ贔屓となり、日本を嫌うようになった。
つきあった中国人たちはアメリカ留学組が多く、知識階級で庶民の感覚とは無縁であり、しかもデモクラシーを志向していた。野党指導者が多く、また孫文や黄興らと交わった知識人たちとラインシュは交流していたのである。
▲中国人は日本の行動をつねに「陰謀」と捉えていたとする観
本書は辛亥革命から十年後の、百年前に書かれた外交官に精密な記録であり、当時の中国の社会の底辺や権力者の動向、底流に流れる民衆の民度なども詳細に、精密な観察によっていきいきと描かれている。それゆえに多くの学者や歴史家が、この本から引用しているが、日本では今日まで翻訳がなかった。
反日的とはいえ翻訳することには学術的な、歴史考察の参考としておおいに意義がある。ただし通読して中国人の人生観や宗教観など表面的で浅薄な観察も目立つ。とくに印象的なのは、中国人が日本の行動をつねに「陰謀」と捉えていたとする観察である。
米国の外交官の偏見が混じるにせよ、考えさせられるのだ。
曰く。
「(日本の軍備拡張は)日本がこの機会に東亜の支配を実際におこなうことを意味すると解釈された。中国人は日本と理解を深めれば、必然的に中国が隣国の政治的支配に完全に服従することになると考えていた。中国人は、日本のあらゆる友好宣言に不信感を抱いている。私が中国と日本の間の率直な理解が望ましいと主張しようとするたびに、中国は日本を信用できない、日本はその公言によってではなく、過去の行動によって判断されるべきだ。それらすべてが安心させる宣言によって覆い隠された決定方針、政治的進撃をしめしていると言われた。このように、中国人はあらゆる場面で日本の陰謀を恐れていた」(124p)。
▲袁世凱は民主主義に関心がなく、弾圧の対象だった
ラインシュは近代史の知識は豊富であり、英国の植民地政策がいかなるものだったかを知っていても日中関係の本質が、威嚇か土下座か、冊封体制に入って朝貢するか、させたかという歴史を知らず、嘗て日本が中国に朝貢していたか歴史感覚の郷愁を含めて、自分ならこういう陰謀をめぐらすという思考を日本にあてはめ、なんでもかんでも日本雄の陰謀と短絡させるあたり、その中国人の特徴的な思考傾向の考察までは至っていない。学者の限界だろうか。
本書の原題は「シナにおけるアメリカ人外交官」で、日本の対華二十一箇条、袁世凱の台頭と失脚、ドイツの参戦、孫文と広東政府の対立、五四運動とめまぐるしく激動した状況の中で、著者はすっかり北京寄りとなって日本を批判した。つまり反面教師であり、タウンゼントとは真逆の感覚でシナとつきあったのだ。あまつさえ、この本が米国の対日外交に影響したのである。
袁世凱は民主主義に関心がなく、というより民主派は弾圧の対象であって、自らは古代皇帝と同様な存在と過信しており、冬至には天壇に登って天子としての儀式を行い、その場には外国人多数も招待した。
つまり「軍事独裁政権が古い清王朝の後を継いだ。それだけのことである」(中略)「彼(袁世凱)には冒険家の面影もなければ、戦場を連想させるものもない。彼はいま、軍の指揮官というより管理者のようだ。彼が権力を手にしたのは、無限の忍耐力、人間に対する優れた知識、政治的な洞察力、そして何よりも無節操であっても、常に安全なゲームを行ってきたからに他ならない」(25p)
社会に目を転じたラインシュはこう言う。
「この広大な国の人口は、政治的な意味で均質なものではない(中略)。社会の単位は何世紀にもわたってそうであったように、国家ではなく家族である」
そのうえ「中国人は驚くほど自意識がなくそれゆえに優れた役者である。通りを行き交う何千人もの人々を見ていると、彼らもまた演技をしているのだと感じる」(37p)
そして指導者といえば張作霖は匪賊出身、張懐芝はクーリーあがり、軍混は行商人だった。王占元は馬丁だった。これらの人々が政治、軍事を掌握し、袁世凱の周りを囲んだのだ。
「富と権力という個人的な野望の目標だけを見据えていた」(234p)。
▲西原借款は返金されなかった。戦後の日中友好で吸い取られたのが6兆円
かくして鍛え上げた外交術では、はるかに狡智に長ける中国指導層は、むしろ日本の善意と無知を利用して、かの「西原借款」をだまし取った。武器供与を含めると合計一億七千万円! 今日の貨幣価値にしていったい、幾らになるのか?
西原借款は大正6、7年の頃だから、当時の日本政府の歳入が約11億、15億円すなわち西原借款は歳入の一割を超えていたのだ。
当時は戦争景気で日本はバブルそのもの、ウハウハ潤っていた時代だったため中国に金を貸せるのは日本とアメリカしかなかった。
中国との交渉役は寺内正毅内閣で首相側近だった西原亀三があたり、日本興業銀行・朝鮮銀行・台湾銀行が資金を拠出した。八八艦隊(大正九年度からの八ヵ年計画で艦艇103隻建造。予算総額は5億6484万9280円)が完成した場合、建造費用だけではなく年間維持費が6億円と見積もられていた時代である。
しかし中国は、これを日本が中華民国の貨幣を「円ブロック圏」にひきこむ陰謀だと難癖をつけ、返済に応じなかった。
日中友好で吸い取られたのが6兆円。いまも昔も日本人は底抜けにお人好しだ。
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)10月19日(水曜日)
通巻第7496号より
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「中国は日本を信用できない、日本はその公言によってではなく、過去の行動によって判断されるべきだ。それらすべてが安心させる宣言によって覆い隠された決定方針、政治的進撃をしめしている」
と言われた。このように、中国人はあらゆる場面で日本の陰謀を恐れていた。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないけれど、「自分の影に怯える」。
「 」の中の日本と中国を入れ替えてみれば能く分かります。
「中国の公言は信用できない。中国とはどんな国なのか、過去の行動によって判断されるべき」。
有史以来、自らを「中華」とし、日本のことは「化外(華外)の地」、「東の蛮族(夷)」と蔑視してきたのに、その蛮族に叩きのめされた。一度や二度ではない。更に日清戦争では桁違いに強くなった日本に手も足も出なかった。
「日本は儒学や孔子、我が中華の文明を讃仰するくせに、いつの間にか西欧の文明を取り入れ、我が国を平気で足蹴にする。恩をあだで返そうとする油断のならない嘘つきだ」
けれどそれ以前に、化外(中華文明の外)としてきた日本の文化(日本古来の文化にとどまらず西欧の文化まで取り入れてしまっている)を受け入れなければ、これからの世界でやっていけないということを何となく感じ始めているのだけれど、それが論理としてまだ掴めていない。
だから「日本は信用できない。何をするにしても裏がある。陰謀が隠されているに違いない」と疑心暗鬼に陥るしかない。
それで、「日本を介さず、直接、西欧から必要なものを手に入れよう」となった。けれど、そこには白人の有色人種蔑視があることを失念している。
白人から見れば、「中華」なんて意識はなく、日支は共に有色劣等人種。