1月16日(月)
昨日は(昨日も、か)2時頃になってやっと出た。
と言ってもひよどり台まで買い物に行っただけ。
「鵯越えの逆落とし」の言葉の元になった現場。そこが拓かれて大規模な団地になった。・・・なんて言っても、実際の「鵯越え」はどこなのか行ってみた人はあまりないだろうと思う。
それよりも「鵯越えの逆落とし」って本当に鵯越えなのか、それとも須磨の鉢伏山近辺なのか分からないんだそうだ。
というのも「平家物語」から推察するしかないからで、その「平家物語」はどこまでが原本なのか能く分からない。
琵琶法師が平家物語を謡って聞かせる。平曲というやつだが、当然話には尾ひれがつく。面白いからと言って話を膨らます。
原本だって地理を確かめて、それこそ聖地巡礼ができるように、なんてしっかりした考えから書かれたものではなく、伝承(多くは口承)を作者の世界観によってまとめたものだろうから、鵯越えから一気に一の谷に繋がったって別に大した問題じゃなかったのだろう。
まあ、「魏志(の倭人についての記述)」とか「後漢書(の「東夷」とされるものの記述)」と同じで些末なことはどうでもいいとばかりに周辺の国について適当なことを書いたりすると、それしか資料がない場合は後の学者は大変な思いをして考証をしなければならない。
「資料がないからそこはファンタジーで」なんてことはちゃんとした国ならば決してやってはならない解決法だ。「ファジー」ならともかく。
あれ?買い物のことだった。
寒くもなく空もほどほどの晴れ間が見える、出るなら最高の日。
でも、用事がない。食料はしばらくは籠城できるほど、ある。
それでも出たい。
そして思いついたのが「岩津葱を買いに行く」。
年末に行ったときは「岩津ねぎ」と書いた幟旗が虚しく立っているだけだった。岩津葱だけが疾っくに売り切れていた。
最近、兵庫県の内陸部では葱の栽培に尽力している農家が増えてきて、下仁田葱や九条ネギを生産しているらしいが、知名度が岩津葱にまだ及ばないらしい。
朝来で買うほど安くはない。ただ、齢を取ると食欲は金額を超えるらしく「少しくらい高くたって」という気持ちが先に立つ。
「食えれば何でもよい」「空腹は最高の料理人」などの言葉は霞んでゆく。
そうして手に入れた岩津葱。少量の水を入れ、勝手口のドアに吊り下げた。
急いだ割に、まだ食べてない。