CubとSRと

ただの日記

葱始末

2023年01月26日 | 日々の暮らし
 1月16日(月)

 昨日は(昨日も、か)2時頃になってやっと出た。
 と言ってもひよどり台まで買い物に行っただけ。

「鵯越えの逆落とし」の言葉の元になった現場。そこが拓かれて大規模な団地になった。・・・なんて言っても、実際の「鵯越え」はどこなのか行ってみた人はあまりないだろうと思う。
 それよりも「鵯越えの逆落とし」って本当に鵯越えなのか、それとも須磨の鉢伏山近辺なのか分からないんだそうだ。
 というのも「平家物語」から推察するしかないからで、その「平家物語」はどこまでが原本なのか能く分からない。
 琵琶法師が平家物語を謡って聞かせる。平曲というやつだが、当然話には尾ひれがつく。面白いからと言って話を膨らます。
 原本だって地理を確かめて、それこそ聖地巡礼ができるように、なんてしっかりした考えから書かれたものではなく、伝承(多くは口承)を作者の世界観によってまとめたものだろうから、鵯越えから一気に一の谷に繋がったって別に大した問題じゃなかったのだろう。

 まあ、「魏志(の倭人についての記述)」とか「後漢書(の「東夷」とされるものの記述)」と同じで些末なことはどうでもいいとばかりに周辺の国について適当なことを書いたりすると、それしか資料がない場合は後の学者は大変な思いをして考証をしなければならない。
 「資料がないからそこはファンタジーで」なんてことはちゃんとした国ならば決してやってはならない解決法だ。「ファジー」ならともかく。

 あれ?買い物のことだった。
 寒くもなく空もほどほどの晴れ間が見える、出るなら最高の日。
 でも、用事がない。食料はしばらくは籠城できるほど、ある。
 それでも出たい。
 そして思いついたのが「岩津葱を買いに行く」。

 年末に行ったときは「岩津ねぎ」と書いた幟旗が虚しく立っているだけだった。岩津葱だけが疾っくに売り切れていた。
 最近、兵庫県の内陸部では葱の栽培に尽力している農家が増えてきて、下仁田葱や九条ネギを生産しているらしいが、知名度が岩津葱にまだ及ばないらしい。

 朝来で買うほど安くはない。ただ、齢を取ると食欲は金額を超えるらしく「少しくらい高くたって」という気持ちが先に立つ。
 「食えれば何でもよい」「空腹は最高の料理人」などの言葉は霞んでゆく。


 そうして手に入れた岩津葱。少量の水を入れ、勝手口のドアに吊り下げた。
 急いだ割に、まだ食べてない。
 

 
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斜面の切り株

2023年01月25日 | 日々の暮らし
 午後2時30分。虫歯の治療。
 天気予報の雨の降り始める時間と重なっている。
 そう。「予報は、ずれる」・・・・かもしれない。

 どうしようか。歩いていくか。それとも能天気に徹してカブで行くか。
 散々迷ったけれど、結局カブで行く。うまくいけば別件の支払いもできるから。

 だが、歯の治療だけで今日のメモリーは全て費やされた気分。刺激が強すぎた。
 見た目はともかく、舌触りからすると歯が一本根っこだけ残して切り取られた気分。

 歯茎を土堤だとしたら歯はその上にきれいに並んだ並木のようなもの。これが見事に揃っていたら「きれいな歯並び!」と褒められる。
 が、残念ながら歯並びには全く褒められる要素のない乱杭歯の当方、ただでさえ行儀の悪い歯並びの中でも、特に一本、全く並ぶことすらできず60度くらいの角度で外に向けて飛び出ているのがある。下手するとイノシシの牙になりそうな。

 それが途中の部分から虫歯になった。で、削り取ってもらったら斜面から斜めに突き出している切り株みたいになった、と。
 元々飛び出して生えているのだから、舌先で並びを確認してもそこに来ると「歯がない!」としか認識できない。
 そこで無理やり歯列の外側を舌でなぞってみると、「あれ!こんなところに切り株が!」といった感じになる。外側にあるのだから舌で確認するのは結構難しいが、鏡に映すと却って見易い。

 麻酔の注射を打ち終わる辺りで「ちょっと痛いですけど最初だけ」と言われる。願わくば針先が刺さる前に言い終わって置いて下さることを!!
 それだったら覚悟も少しはできるのだが。一人時間差攻撃。

 削り始めてもこれが結構痛い。時々神経に触れるような鋭い痛み。顔をしかめたり、表情を緩めたりの連続はいつ終わるのだろうと思うくらい続く。
 「あ~、これは相当に虫歯になってるな。石灰化している」との独り言が聞こえた。
 そこからが酷い。細い棒状のものが虫歯を削った後に出現した穴(おそらくは神経が通っている筒状の穴)に突っ込まれていくのがよく分かる。
 それ、想像するだけでも痛いのだけど、その奥底へ向けて突き込まれる時の痛みだけではなく、その棒を引き抜くときにわざわざ壁面をゴリゴリ引っ搔きながら抜き上げる。その度に神経を引っ掻かれているような痛みが襲ってくる。

 何度それをやったのだろう。すっかり疲れ果て、辟易とした辺りでやっと終わった。
 歯が一本なくなった感じだけれど、続きは3週後。
 それまではちょっと見では分からない歯抜け爺さんの日々が続く。
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冷静に見ると

2023年01月24日 | 心の持ち様
 ●読者之声
 +++++++++++++++++++++++++

    (略)
 
 昨年家庭平和連合(旧統一教会)という家庭平和を破壊する韓流宗教団体が話題になった。
 故安倍晋三元首相が暗殺されるまで全く「信者二世」に関心など持ってなかった癖に、安倍及び安倍派叩きに利用出来ると踏むと、朝日・毎日など新聞メディアに週刊誌、立民・共産党が大騒ぎ。偽善者丸出しである。

 週刊文春は90年代からコツコツと旧統一教会批判をして来たので例外だが、共産党が反共団体を批判するとか臭すぎ(苦笑)。そもそも、世界最悪のカルトは共産党(爆笑)。
 共産党は前世紀世界中で一億人殺戮したが、旧統一教会は寄付金をぼったくっても、少なくとも組織的に人は殺してない。
 旧社会党系元民主党左派で立憲民主党の長妻は、「日本人の資産が韓国に流れて良いのか」と突然愛国者ヅラだが、旧民主党議員達は朝銀(朝鮮信用組合)に一兆円の公金が投入された時に本気で阻止したか。資金は韓国どころか、北朝鮮に流れ、核やミサイル開発費になった。当時本気で怒ったのは西村愼悟くらいだ。
 
 勿論おらも旧統一教会を弁護する気はさらさら無い。ただ、国家が刑事事件に該当しない段階で、特定の宗教の善悪や選別をする意味を立民党などの議員は分かって無い。逆に共産党や元KGBプーチンは充分、分かってる。
 騒がれた旧統一教会の政治的影響力も安倍叩きの一環で膨らまされた(たかが実質会員二万人なのに。苦笑)。旧統一教会、岸信介、安倍晋三と安倍派、日本会議と無理に関連付ける左翼版陰謀論である。

  話を戻すが、いくら信者といえ、良い大人が(場合によっては借金までして)何故旧統一教会に高額の寄付をするのか。おいおい、マインドコントロールとか言うなよ(笑)。実はヒントは、キリスト教聖典である新約聖書『マタイによる福音書』19章にある。

(引用開始)すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」(16節)。(中略)
この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」(20節)。
 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」(21節)。
 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである(22節)。
 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである(23節)。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(24節)(引用終り)。

 つまり、ユダヤの神イェホバの一人息子と自称したユダヤ人ナザレのイエスは、金持ちは皆地獄へ落ちると言っているのだ。この言葉を「神の言葉」と真に受けると、五千万円でも一億円でも寄付したくなる(爆笑)。
 何事もバランスを重視するユダヤ教はこんな事は教えないが、ここがユダヤ教とキリスト教の分かれ目となる。
 「神の教え」では、全財産を教会へ寄付せよ!そして、中世教会は絶対権力となる。この教えを完全無視した事が欧州近代の始まりなのだ。

 旧統一教会創始者の文鮮明は、新約聖書のこの箇所を原理主義的に解釈・利用したのだろう。「寄付せよ!救世主である私に!」と。
 だが、ナザレのイエスの教えによると、金持ちの文鮮明・韓鶴子夫妻は、米国石油王ロックフェラー一世の子孫達や自由に出来る個人資産世界一の金持ちのイーロン・マスク、同二位でロシア・オリガルヒの棟梁のプーチン皇帝同様に地獄に落ちる事になる(爆笑)。
 ユダヤ人が信じる旧約聖書では、ユダヤ人で有ってもダビデ王の子孫で無いナザレのイエスも、朝鮮人の文鮮明も同様に救世主メシアになる資格はないが、目くじら立てると人生つまらない(笑)。

 しかし旧統一教会が日本で集めた寄付で韓国に建てた建物は、如何にも成金風で趣味が悪い。あんなところに五千万円も寄付する位なら、日本全国の寺社の御朱印を集めて、薄く広く日本の宗教・歴史・文化財を支える方が良い。
  (道楽Q)



 
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023)1月24日(火曜日)
       通巻第7602号より
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2023年01月23日 | 日々の暮らし
 1月13日(金)

 午後10時47分。
 こんな時間から、それも二日分の日記を書こうとしている。
 その時点で自身、「大概だな」と思いはするけれど、今書かなきゃ。明日はもっと書けなくなる。間違いない。

 書かなくたって、どうってことはない。ただ、思い出すヒントをなくしてしまう(記憶への紐づけをしない)わけだから、後になってどうしても思い出せない、思い出そうとすることすらできなくなる・・・ってのは、何だか悔しいじゃないか。自分の一生、話を盛ることはしても捏造するのは嫌だ。

 というわけで書き始めたのだが、明日は10時頃まで雨、ということが確定しているから安心して夜更かしができる、というだけの話。

 さて。
 昨日、木曜日。予定通り、年が新たまって1月12日。
 (「新たまって」と書く方が正しいような気がする。あ、そうか。枕詞か季語か縁詞か知らないけど「あらたまの~」ってのがあるが、あれは「新たまる、新ためる」からで、だから「新玉の」ってしているのか。そうだよな「新たなる」とは言うけど「あたらなる」とは言わない)

 1月12日は4時起床。
 昨晩、夕食後だったか何度も左足の裏が攣りそうになった。
 ビタミンCが不足しているのか、とレモンの還元汁入りのを飲んだが、すぐまともになるわけではない。それに加えて肩胛骨(右)の奥の方が痛い。
 胆石の時の痛みに似ているが、あれほど強烈ではない。しかし、嫌な痛みだ。「やはり腎臓?」と思う。

 足の裏が攣りそうになるのも、背中が攣りそうで痛かったのも、昨晩一番強く意識しただけのことであって、実際は二、三日前からあった症状だ。
 それで昨晩寝る時にも、今朝のストレッチの最中にも指圧棒を使ってしばらく押してみた。

 今(午後11時25分)、それらの痛みはない。
 指圧棒が効いたか?それともレモン果汁還元水?
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爺さん「同志」

2023年01月22日 | 日々の暮らし
 1月11日(水)

 最近、擦れ違う車やバイクからの視線を感じることが多くなった。
 自意識過剰?

 「視線を感じる」だなんて、昔なら恥ずかしくてそんなことはとても口にできなかったのだが、爺さんになると「きゃーステキ♡」は当然のこととして「おっ!かっこいいじゃないか」なんてことは1000%言われるはずもないから、客観的事実だけを冷静に書くことができる(?)。

 「きゃーステキ♡」、じゃなくって「胡散臭いから」或いは「人が犬に」でなく「犬が人にかまれた」ように「珍しいものを見たから」といった感じで、の話。

 さて。 
 車に乗っている時もそうだが、バイクに乗っている時は明らかに「見られている」と感じる時間が長くなった。
 何故だろうと考えるまでもない。とても無精ひげとは思えないくらい伸ばされた、かと言ってきれいに手入れをされている風でもないこの髭を見て、彼らは色んなことを感じ、推量しているからなのだろう。

 そういえば今日、近くの交差点を家の方に右折したら、ちょうどビートかカプチーノが信号待ちで停まっていて「あれ?先日の爺さんかな?」と思った。
 (しかしあの時は、確か黄色の車じゃなかったかな?これ、赤だけど。)
 (記憶違いか?いやいや。いくらボケ始めてるったって、黄色と赤を間違えて覚えるってことはないだろう)

 帰って日記を見直してみる。確かにあの時の車は黄色だったと書いている。
 今日のは間違いなく「赤」だから、別の老人だ。
 そう。どっちも老人が一人で乗っていた。

 そして今日の爺さんは明らかにこっちを見て微笑んでいた。
 年甲斐もない乗り物好きの「同志」と見たのかも。
 それとも「バイク兵みたいな恰好をした髭爺が『カブ』に乗ってるwww」、と笑っていただけ?

 いや、そんなことはない(と、思いたい)。
 
 
 
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