CubとSRと

ただの日記

折角出てきたんだから

2023年01月21日 | 日々の暮らし
 1月10日  続き

 昨日は酒を飲んだから、「今日は特に酒の肴の心配も要らないし」、ということで帰ろうかと思ったが、9時20分・・・・。
 いくら何でも勿体ない。
 「とにかく搨菜でもあれば」と、道の駅まで行くことにした。

 今日は特に寒いせいか、トイレが近くて困る。
 病院に着いて30分そこそこで辛抱できなくなり、病院を出て20分ほどでコンビニのトイレに寄る。
 そして懸案事項が片付いた安心もあったのだろう、「腹が・・・減った・・・」。
 そこでおにぎりを買って、いつものダム湖ほとりの駐車場で食べようと思いつく。しかし駐車場に着いた辺りで、もう怪しくなった。

 道の駅には搨菜はなかった。代わりに菜の花があったので2束買う。
 もう少しすると生協でも菜の花が並び始める。いかにも「春が来た」という感じで姿も美しい。京料理や「季節の旬のもの」として、しか考えられない。「季節を味わう」という言葉が一番似合う食材だ。
 が、道の駅で売っているのは違う。大概は茎が2センチ径くらいあって、正真正銘「菜の花畑からさっき採ってきました」といった風情。
 「これ、大丈夫か?硬くて食べられないんじゃないか?」と思わされるくらいなのだが、見た目に違って炒めるとすぐ火が通り、何よりも柔らかく、甘い。

 そういえば、道の駅について車を降りる時、隣の車の人が「おはようございます」と声を掛けてきた。
 そして「良い天気になりましたね」と続ける。
 返事をしながらそちらを見ると、赤いプリウスらしい車で、オレンジ色のパンツ姿の男性。70代だろうか。フロントガラスを拭き始めた。
 車体は朝露が乾いたのだろうか、全体が土埃で水玉模様になってしまっている。でも、楽しそうでよい。勿論、黄土色の水玉模様ではなく乗っている本人の気持ちが、だ。

 天気が良いので、普段は青空駐車だろう愛車で、出てきたのだろうか。
 短時間とは言え、「片雲の風に誘われ」「漂泊の思い止まず」に、ついハンドルを握ってしまった。
 ひとっ走り、道の駅まで行って、何か適当な食材を見繕って帰り、糟糠の妻にプレゼント、なんてね。
 それとも当方の髭面を見て、似たような老人が風に誘われ、遊びに出た、仲間?と思ったのかも。
 まあ、遊びに出たようなもんだけど。
 
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検査結果

2023年01月20日 | 日々の暮らし
 1月10日(火)

 昨晩食べたものに油物が多かったせいか、胸焼けというほどではないがもう一つ調子が良くない。

 それでも4時に起きて、5時10分からの散歩時、北風が吹いて寒くはあったものの特に身体の不都合はなかった。
 何より今日は仕切り直しの病院行き(こんな書き方すると「病院送り」になったみたいだな)。

 が、もう一つ食欲がわかない。「朝、食欲がない」なんて何十年ぶりのことだろう。
 仕方がないのでカップスープを一杯。間違いなくあとで空腹で発狂するなと思いながら、どうしよう、もうちょっと何か食べて置こうかとモタモタしていたら間違いなく受診が遅くなるので出発する。
 夜明け前からの冷え込みがまだ続いている。

 病院に着いたのは8時半過ぎ。先にいたのは女の人一人だけ。おかげで30分後の診療開始時、すぐに呼ばれた。
 切除したポリープ4つは全て悪性のものではなかったが、ポリープのできやすい体質かもしれないので一年後の再検査をお勧めします、と言われる。
 毎年の集団検診の時に大腸検査を受けたらいいですか、と聞くと、それよりもポリープを取った後一年辺りの再検査の方が、良いということだった。
 確かに集団検診の時の検査では潜血の有無からしかポリープの存在は分からない。内視鏡で見た方が早いし確実だ。

 今年の秋の終わりにはもう一度検査、だな。
 またあの下剤を大量に飲まなければならないのか、と思うと些か以上に憂鬱だけど。

 取り敢えずはこれで一件落着。
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なんて日だ!

2023年01月19日 | 日々の暮らし
 1月9日(月)

 焼酎1合半、酒1合。アジのフライ一枚。カレイの切り身煮つけ、エビの天ぷら、鰹のたたき、餃子一人前。
 で、いつの間にか転寝までして、気が付いたのは午後8時半。

 今朝4時起床。站椿15分。5時15分散歩、素振り。
 パンとカップスープの朝食。9時に間に合うように、とコペンで出掛けた。
 
 首尾よく到着。駐車。院内に入ると・・・「今日は休みです」。
 「なんて日だ!」じゃない、「何てこった!」。

 ネットでちゃんと調べてきたんだが。
 今日のところには「時間が変更されるかもしれません」と書いてはあった。が、「休日になります(なるかもしれません)」とは書いてなかったぞ!

 とにかく「成人の日」は休みになった。しょうがない。予定が狂ってしまった。さて、どうする?じゃ、給油だけして帰るか。

 ガソリンスタンドに行った。給油機の前に車を停めたら、水滴がフロントガラスに当たった。
 え?と思いながらよく見たら、ガラスだけではない、ボンネットの上にも夕立の時のような大きな水滴がぽつりぽつりと落ち始めた。
 慌てて上を見る。晴れているのに何故???
 辺りを見ると給油スペースの各枠ごとに、枠をトレースするように濡れている。ガソリンスタンドの屋根にできた霜が解けて水滴となり、落ちてきているらしい。

 原因は分かったが、これはたまらん。どこか少しでもましなところへ、と、きょろきょろ辺りを見回したが、マシなところなんてある筈もない。嫌なら給油を諦めるしかない。そんな気はない。
 そこまで嫌がることもないだろうと言っちゃいけない。屋根を開けている。車内にも水滴は降り注ぐ。現にサイドブレーキ辺りにも水滴の落ちたらしい跡がある。

 しょうがない。「ここがコペンのいいところっ♪」、と屋根を閉めた。
「いいところっ♪」って、普通、自動車というものはそんな心配自体しなくていいんだけど。

 屋根を閉めて、安心して給油を始める・・・つもりが、屋根に落ちる水滴が飛沫となって飛び散る。当然、それが掛かる。
 「あ~っ、おんなじことかぁ」と思う間もなく、肩を水滴が直撃した感触。 
 「えっ?」と思う間もなく二撃目が背中を撃つ。給油場所も水滴の落ちる定位置だった。どうにもできない。とにかく少しでも身体をそこから離して給油するしかない。

 着ていたコートが濡れた。こんなこともあるんだ。
 ここまでくるとやはり「何て日だ!」。

 家に帰る前に酒の肴の準備を、とスーパーマーケットに向かう。
 モタモタ走っていた前の車が信号で止まる。走っていた時のままに車内でごそごそしていると思ったら、煙草の封を切ったらしく、帯の付いたセロファンや破り取った口の紙を窓の外に投げ捨てる。
 「え~っ!?」と思ってみていたら信号が変わる。
 5秒くらい経ってやっと動き出した。

 走っている最中、煙草を吸おうとして片手運転で煙草を探す。
 あったけど、封、切ってない。信号で止まっているうちに封を切る。
 咥えて火を付けようとしたら信号が変わった。でも吸いたい。
 咥えたばこで走り出すまで、5秒。
 そんなとこだな、きっと。

 なんて日だ!今日は吉日だぞ?
 (吉日は関係ない、か) 
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天気予報、はずれる

2023年01月18日 | 日々の暮らし
 1月7日(土)

 昨日の天気予報では、今日は9時(10時?)頃から以降、雨、と。
 もっと早くなれば散歩は休みなんだけどなぁ。

 朝4時、目覚ましに起こされる。
 思ったより高いところに薄いうろこ雲を従えて月が出ている。
 「月に叢雲」の逆だ。雲に隠されるはずが雲の方が背景のように見える。
 花札・・・・より美しい。
 やっぱり雨の降る気配は欠片もない。

 30分余りで散歩から帰ってきて、ちょっと考えた結果、木刀を持って庭に出る。
 考えたのは、出掛けに降る気配が全くなかった空がすっかりうろこ雲に覆われてしまったからだった。それにいつの間にかうろこ雲の隙間が全くなくなり、一枚の鋼板のようになってしまっている。
 当然、月も「雲を従える」どころかすっかり背後に隠され、辛うじて形が見える程度になっている。いつ雨が降り始めてもおかしくない。
 素振りの途中で降り出すことも十分ありうる。これがちょっと考えた理由。

 結局、素振りを終えて家に入るまで降らなかった。

 7時前、明るくなった外を二階から見る。
 雨音は全くしなかったが、どうも霧雨程度の時雨があったようで路面が少し濡れている。
 ネットでの一時間予報は気象協会、いつの間にかここまで「晴れ」になっている上に、以降も「晴れ」に変わっている。でも、降ったぞ。
 ウェザーニュースの方は10時頃から夕方まで雨。
 (これを書いている今、庭を見るとずっと小雨が降っていた様子。雨音は全くしなかった。気象協会、どうする?)

 まあ、北区は広い。夏じゃなくても降らないところがあったりする。

 朝、御飯を炊いて例年通り七草粥ならぬ七草雑炊を作る。
 鍋一杯(丼二杯分)作って、みんな食べてしまった。
 
 

 
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神宮大麻

2023年01月17日 | 日々の暮らし
 1月6日(金)

 夕方になって地元の八幡宮へ。ここはこの辺りの総鎮守となっている。
 本来ならば住んでいる土地で参るべき神社は別にある。
 ただ、本来の氏子だけでは神社の収入になるものがほとんどないため、その神社には神職が常駐してない。
 代々続く神職の家の場合でも、他の仕事で生活費を得るしかない、という神社は多い。それに加えて「じゃ、俺がやってやろう」と思ったって神職の資格を取るにはそれなりの金と時間がかかる。

 結果、神職のいない神社がどんどん増えて、地域の寄り合いの場であり、合議の場でもあった神社は次々に消えていく。
 で、窮余の策として神社庁より委託されたその地域の鎮守社などが他の神社の維持運営を行っている。
 こういうやり方は神社だけのものと思っていたが、由緒ある寺なども同じようなやり方をしているらしい。寺には神社庁みたいなものはないけど、代わりに各宗派の本山がある。

 そういうわけで(?)、皇大神宮の神札(大麻)は神社庁に所属する神社にも置かれてあって、地元の神社でお受けすることができる。場所によっては町内会が世話係になって配って回る、などということもする。地元の神社の氏子だから、ということらしい。神宮>>総鎮守>氏神社>>氏子みたいな関係。

 脱線した。とにかくその八幡宮にコペンで向かう。
 年に一度しか参らないから、というわけでもあるまいが、道を間違えた。

 道を進んでいくと分岐点にかかった。一方は無人になってしまっている有名な古刹。もう一方が目指す神社への道。
 「あれ?神社は右側じゃなかった?」
 でも、そう表示されている。気になるのは勾配が急になっていることだ。困ったことにUターンできる幅がない。進むしかない。

 進むうちに気が付いた。ここは前にセローで通った道だ。・・・ということは・・・。
 「注文の多い料理店」に向かうような気持ち。いや、既に「注文書」の通りに行動を始めている。後戻りはできないのに次の分岐点が待っている!
 
 そして遂に展望の利く場所に出る。
 農家の庭先にしか見えない道を通り、神社本殿の横から参道を通るというほとんど掟破りみたいな道を下って、やっとのことで年始参拝者用の駐車場を見つけ、車を停める。
 ややこしい特別駐車場から今度は歩いて参道を戻り、参拝。神札を受けて車を置いた場所に戻る。
 その時になって参道脇がすべて特別駐車場になっていたことに気づく。

 帰りは本来の参道を通って帰る。当たり前。
 帰りの道も対向車がやっと擦れ違える程度の道だったけど。

 天神様の細道と違って、往きも還りもこわごわだった。
 大変な思いをした分、御札に余計に有難みが出てきたかもしれない。

 
 
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