CubとSRと

ただの日記

久々の点火プラグ

2024年08月11日 | バイク 車 ツーリング
 7月29日(月)?

 数週間前、いやもう一ヶ月になるか。鎌を研いでもらおうと隣市の道の駅に行った日だから、とにかく土曜日。

 帰るときにSRのエンジンを掛けようとして5,6回踏んでも掛からなかった。
 普段なら一回。悪くて2回で掛かる。
 これまで25年余り、先代のSRを含めたらほぼ30年。こんなにエンジンの掛からなかったのは、たった一度しかなかったように記憶する。それも先代の終わりの時だけ。

 あの時は結局廃車にするしかなかった。新車で買って5年も乗ってなかったと思うがエンジンが駄目になった。
 雨天時も通勤で使っていたら、いつの間にか発電機への浸水があって、中のコイルがすっかり錆びてしまっていた。

 買い替えて今日まで、この時ほどではないにせよ結構「あれ?こんなに掛からないなんて、どういうわけ?」と思わされることは何度かあった。それでも5回も繰り返すことはなかった。
 数回でふと気が付き、リザーブに切り替えたことは確か2度。

 先日ふと「プラグ、替えてみようか」と思った。
 そして、今朝出る前にプラグを替えた。
 やや灼け気味で、被った様子はない。ただ、点火プラグのギャップがほんの少し開き気味に見える。

 早速エンジンを掛けてみた。キックアームを踏み切って一瞬遅れてアクセルを開き気味にする、とエンジンが掛かる。
 プラグを交換したら、アクセルを開き気味にするところからエンジンが掛かるまでの時間がほんの少し早くなったように感じた。
 当然、スロットルを回すと反応も少し早くなった(ような気がする)。

 それでもよそ見をしながら、或いは他のことを考えながらエンジンを掛けようとすれば掛からない。
 (飽く迄も自分の場合だが)注意力散漫ではエンジンすら掛けられない。



 これが他のバイクにSRが抜きん出て優れているところ・・・・?
 「バイクには精神を集中して乗る」という意識があれば、事故率は間違いなく下がる。
 キャンプで「火熾しから始める」のを自慢するようなもの、か。

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白兎大神 関連の日記をもう一度掲載

2024年08月10日 | 日々の暮らし
 「ただの日記」、と、言い逃れというか予防線を張って書いているこの文章。
 基本は自身の頭のため。そしてあわよくば僅かでも頭の回転を速められるように、という下心を持って書いている。
 というわけで、転載は言うまでもなく、再掲は当たり前、再々掲だって再々々掲だって自分のためならなんだってやるつもりでいる。

 そうなると先日の宮崎氏の記事だってそれにかかわると思われる以前の日記も併せて再掲しておいた方が良かろう、と自分の視線で実行することにした。
 まず、先日の日記。

 書評 BOOKREVIEW 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 中国、ロシア、北朝鮮のスパイから、いかに貴重な情報を守るか
  敵のスパイを欺き、無力化するために何が必要か

  ♪
 上田篤盛、稲村悠『カウンターインテレイジェンス 防諜論』(育鵬社、発売=扶桑社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


 日本はスパイ天国。スパイ防止法がないので、敵側スパイは跳梁跋扈、やりたい放題。
 この無法とも言える情報筒抜け状態を憂慮する米英は、たとえ日本が同盟国といえども、機密情報の共有はない。

 スパイ防止法が成立しないのは「敵の代理人」が日本にうようよ蠢いているからである。
 そこで保守論壇では、近代戦での明石元二郎の諜報活動や陸軍中野学校のエリート、大川塾などの壮士、満州事変以後の大陸浪人の活躍などを大書特筆するわけだが、ちょっと待った。
 日本は歴史はじまって以来、こうした方面でも本能的行動、つまり状況の把握と敵情報の通信などに工夫があったのである。
 評者(宮崎)は日本史開闢以来「最初のスパイ」はオオクニヌシノミコトが因幡の白ウサギを救った神話に求める。白ウサギは求婚にいく兄弟達の行状を前もって視察することを任務とした八上比売(ヤカミヒメ)側のスパイだった。

 神武天皇が肇国した朝廷が皇統後継をえらぶに際して、日向からやってきた神武先妻アヒラヒメの子タギシミミが反乱を企図した。その危機を和歌に託して知らせたのは神武皇后だったイスケヨリヒメだった。
 
狭韋河よ 雲起ちわたり 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす

畝傍山 昼は雲とゐ 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる

 母の和歌の意味を悟った兄弟のなかで次兄の神沼河耳命が先制攻撃でタギシミミを成敗し、以後、建沼河耳命(アケヌナカワノミコト)となのった。第二代綏靖天皇である。情報によって危機を救った逸話こそ、スパイ戦争の本質を物語っている。

 本書のまえがきにこうある。
 「情報化社会において情報は武器であり、戦力である。情報を収集し活用するだけでなく、情報を守ることができなければ、混沌とした時代において国家や企業は生き残ることができない。
日本は、米国、中国、ロシアという世界大国に囲まれた厳しい地理的環境にあり、資源の大半を海外に依存している。さらに、戦後憲法による戦争放棄の制約もある。このような状況下で、日本が国際社会で生き抜くためには、かつての日本陸軍の情報参謀だった堀栄三が指摘したように、「ライオンではなくウサギの戦法」を採用し、牙や爪よりも耳を重視する必要がある。
その耳とは、積極的な海外の情報収集に長けているだけでなく、諸外国が日本に対して行っているスパイ活動や工作活動に関する微細な情報も見逃さない高度なセンサーを指す。つまり、防諜リテラシーがいかに重要かを常に意識し、その重要性を啓発していくことが求められているのである」。

 政治学の基盤であるインテリジェンス、カウンターインテリジェンスの近年の実例や各国の歴史を総覧し、総合的に情報戦争を考える際には必読の一冊と言える。

 
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)8月1日(木曜日)
     通巻第8350号 より  

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 「白兎海岸」と呼ばれる砂浜の海岸から低い砂丘を上り切った辺り。白兎神社は海辺の見張りのようにある。
 海岸(海を越えて?)で大国主の兄弟である八十神(多くの神、の意)に酷い目にあわされた白兎が大国主によって助けられたという話は、みんな知っている。
 しかしその後、八上比売の情報を伝えたり、大国主の命を救ったり、と、これが本当にあの八十神にいじめられたか弱い存在だったのかと思うような大活躍をする。しまいには白兎大神と称され祀られることになる。
 この辺になると日本人でも知らない人が多いかも。

 関連日記
  ↓
「心積もりとご利益」
             2020年04月03日

 禊の真意はどこにあるのか、ということで、少し寄り道をしました。
 自身の強い意志を以てしても耐え難い苦痛を受け入れ、徹底的に穢れを祓う。そうすることによって飛躍的な向上を実現する。現実の人間が、神に一歩近づくかもしれない。

 戻ります。
 兎は、兎ではなく、兎に仮託された何か、だと考える。
 八岐大蛇が「背中に松や柏を生い茂らせ、八つの丘、八つの谷に伸びるほどの巨大な大蛇」と書かれているからといって、「一年に一度、老夫婦(あしなづちと、てなづち)の八人の娘を一人ずつ喰らいに来る時、背中の松や柏はどうなるんだ?」などとは、誰も言いません。
 「動くたびに背中の松や柏がぶつかるだろうから、髪の毛なんかと違って大蛇もうっとうしくてしょうがないだろうな」
 そんなの抱腹絶倒のコメディーです。
 でも、文章を読む、或いは語るのを聞くと、そんな抱腹絶倒のコメディーの筈が、何とも壮大な「巨大な龍のような大蛇が地響きを立てて迫ってくる」大迫力の場面として想像されるばかりです。

 隠岐、いやもっと向こうの韓半島までも治めていた神が、「もっと有力な神がやってくる」と知って首実検をするために準備万端整えて、今や遅しと待っていた。そこに果たして有力な神々がやってきた。
 しかし、筋は通っているけれど、傲慢で思い遣りに欠け、とてもじゃないけど我が地に座してもらうべき神には見えなかった。当然、この地の姫神と結んで繁栄の基を拓く神ではない。
 ところが一人遅れてやってきた大国主は、間違いなくこの地の者と仲良くやっていけそうだ。
 それに、多くの物(担いでいる袋の大きさ)を持っている。(袋の中身は新しい技術や知識だと思われます)
 
 「これは信用のできる神」と判断し、八上比売に「警戒の要なし」と連絡する。八上比売は、この地そのものと言っていいんじゃないでしょうか。
 白兎は、海の向こうから追われるようにしてやって来て、この地に住み着いた難民、いや、意識としては漂着した結果、覚悟を決めて、この地を終の住処としてこの地の先住の人々と共に守り抜こうとした渡来民族なのかもしれません。そうではなくて、もしかしたら長きにわたって支配していた大陸や半島から引き揚げてきた、原日本人である引き揚げ者、かも。
 だから海を眼前にする丘に棲んで、見張りのプレーリードッグのように、背伸びをしていつも海の向こうを見張っていた、と考えたらおさまりやすい。

 白兎神社に参拝して、帰ろうと真正面に海を見ながら急な階段を降りる時、ここが何となく海の向こうを見張る、見張り台のような気がしてきました。そうでないと「白兎神社って、何のご利益があるんだろう」、となってしまいます。
 
 「大国主に助けられたから、『助けられるのが上手になる』のが、ご利益」
 、なんて変ですよね。それなら「白兎を助けた大国主」をこそ祀るべきでしょう。
 やはりこれは、預言をしたことから「先を見通す目を持つ神」だから、
 「謙虚に、真剣に他者のためを思う」、「『先見の明』が備わりますように」
 、となるんじゃないでしょうか。

 ご利益というのは、「ギブ、アンド、テイク」ではないし、「国益」のような、腹黒さ・狡猾・奸智・姦計等が大きく絡む、不安定な損得を指すものでもない。
 「敬し、願い、努めることで、少しでも実現した願い」のことだ、となりそうです。
 「祓、禊の先にあるもの」と考えれば。
 「自らの意志で苦難に飛び込み、飛躍的な向上を」と考えれば。


 是々非々論を振りかざすのも、他者の間違いを糾弾するのも、「自らの意志で苦難に飛び込」み、痛みに耐える(苦心する)ことをしなければ、結局はどこかの党のようにブーメランになって返ってくるばかりで、「ご利益」は夢のまた夢。






 

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まあ、色々あるな

2024年08月09日 | バイク 車 ツーリング
 当たり前に起きていれば、今朝は珈琲店に行こうと思っていた。
 それを8時まで寝ていたわけだから、当然その計画は中止。
 買い物は、昨日全て終えているので、今日出る用はなし。

 でも、今日は家に居たら熱中症になる(いつも言っている気がするが、気のせいだろう)。
 かと言ってコペンで出るのは二日連続になるし、何より今日は風が強過ぎる。
 というわけで、SRで炭酸水を買いに行くことにした。

 出る30分前になって気が変わった。
 カブで行くことにする。
 目的地は隣市のドラッグストア。

 数台前をヤマト運輸のトラックが制限速度厳守で走っている。
 それは気にならない。いや、素晴らしい。遅くたってペースメーカー、妙な煽りをされる心配はない。数台挟んで、我がカブが付いていく。

 数十秒後、カブの後ろに黒いミニバンが!
 煽られるかなと思ったが、このミニバン、意外に優等生でちゃんとしっかり車間距離を取ってついてくる。これまた素晴らしい!カブを一人前に扱うミニバンなんか滅多にいない。

 だが、世の中思い通りにはならない。優等生のミニバンでも後ろに何台も接近してくると、仕方なし車間距離を詰めて来る。後ろの車等も煽るつもりはなくとも後方を気にするうちに自然とそうなっていく。
 いつもスマホを見てたり、同乗者とのおしゃべりに夢中になって前方注意がおろそかになっている、とは限らない。
 まあ、何と言ってもこちらはカブだ、後ろの車連の余裕がなくなる前に衝原の駐車場に避難しよう。

 そう思って少しずつ車間距離が縮まってくる中、駐車場に逃げ込んだ。
 逃げ込むカブの数台先、先頭だったヤマト便はほぼ同時に左側に入り口のあるゴルフ場へ車影が消えていった。

 「あ、あ~っ。何てことだ」
 ・・・・とは思ったけれど、当然後続の数台は加速する。避難していなければこのカブも一緒に加速せざるを得ない。
 この先は下り坂だから、カブだって80キロくらい(勿論、メーター読みだけど)は出せるが、やっぱり無理はしたくない。

 「避難して正解」、と思うことにする。
 まあ、善悪・禍福、色々に絡み合ってるもんだ。
 

 
 
 
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最悪を考える(?)

2024年08月08日 | 日々の暮らし
 さて。
 今日は散歩をサボった。習字もサボった。
 昨日の酒量はいつもより少なかった。
 が、暑さで寝苦しく、うつらうつらするうちにすっきりとしない朝を迎えた。

 5時頃には起きたものの、今朝はすぐに「散歩は今日はなし!」と決めた。
 腰・脚が起きた時すでに痛かった。
 下半身が冷えていたからかもしれないが、明らかに昨日より具合が悪い。こんな調子で無理して散歩に出たら、おそらく最悪の場合(まず、ないとは思うが)歩いている間に痛みが増す方向に行く。
 そうなるとテレビの通販番組にあるように、「痛みが段々増していき、外に出るのが億劫になって気力も段々に衰え、引き籠もりみたいになって~~」のモデルケースになるしかない・・・・かも。

 これまでの経験からすると、二日連続で痛い思いをしたら、動作に慎重さによく似た臆病さ(恐怖心)が見えるようになる。
 結果、恢復に却って時間がかかる。

 「あと一歩で、登頂を諦めることも勇気」。
 臆病でも何でもよい。身体の代わりはないのだから、無理は、すまい。


 8時に起きる。
 やはり飲み過ぎたわけではない証拠に、
腹が減った」「腹が減った」「腹が減った」・・・・。

 いつも通りの朝食を、と思いながらも「散歩もしてないのだから」と粥にした。
 ・・・わけだが、いつもなら往年の日活悪役俳優、金子信雄の「口八丁手包丁」で覚えたベーコンと玉葱を入れた牛乳粥、となる。が、二日ほど前につくったばかり。
 連続するのも芸がない。で、白粥にする。
 義兄から中元にもらった漬物セットがあるので早く食べなければ。
 
 誤算。
 先日は朝、夕と二回に分けて食べたのだが、
腹が減った」「腹が減った」「腹が減った」・・・・。
 という関係上、鍋一杯作ったのに全部食べてしまった。
 い、いや。これはその、牛乳分、量が少なかったわけだから・・。

 夕方、また御飯炊かなけりゃ・・・。


 
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発令 発出?

2024年08月07日 | 日々の暮らし
 7月25日(木)

 暑くなるのははっきりしている。警戒レベルらしい。
 それで家で大人しくしていろと言われたら、これはもう確実に体力低下・ジリ貧というやつに繋がって、早い話却って寿命を縮めることになる(と思う)。
 だが、それ以前にもう米がない。更に麦もない。
 そしてこの暑さは何日も続く。

 つまり!「寿命を縮める」以前に、「熱中症になる」前に、「飢え死に」してしまう。
 ならば早めに出て、店が開くと同時に買い物をすれば良い。
 そうすれば命にかかわる危険を少しでも右から左へ受け流すことができる。

 4時起床。4時35分から5時まで散歩。
 右腰から脚にかけての痛みは、日によって、或いは時間によってさらには緩急をつけて刻々と変化するので、いつどうなるか全く予想がつかない。
 けれどもできることはみんなやってみなけりゃ。諦めたら負けだ。
 それでC・Cレモンの濃縮タイプからやっぱりポッカレモンの蜂蜜割り(勿論蜂蜜は少量)に戻すことにした。

 9時半。北町生協。米と麦。
 10時過ぎ。ひよどり台。
 最後にスーパーマーケット。やっと牛乳を買った。

 缶ビール1本とレモン酒2杯で酔いつぶれる。
 肴は5種類もあったのに、更に期限切れ間近で半額になっていた尾道ラーメンを一杯。


 ところで。
 敗戦後、法律の関係上、日本は警戒警報等を「発令」できなくなった。
 何故なら「発令」とは「命令(を発)する」ということで、「民主」主義の国では国民が主人公だから何人たりともこれ(国民のこと)に命令できないからだ、と言われる。
 国民の命を守るために自由を制限(=罰則を設けるとか)するのが「発令」なんだから、日本では「発令」と言っちゃいけないのだ。
 ・・・・とコロナに席巻される時「発令」と言えないから、と「発出」という分かったような分からないようないかにも「敗戦国日本」な表現が多用されるようになった。
 
 ・・・あれ?今、「発出」なんて言ってる人、いる? 
 テレビの壊れた今、ラジオのニュースしか聞いてないんだけど「発令」という言葉は能く聞かれるんだけど。
 「命令」してもよくなった、ってこと?
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