7月19日(金)
ちょっと油断すると3日くらいはあっという間だ。
・・・・と、いつもその度に反省に見せかけた後悔をする。
少し時間が押してきていても、その日のうち(或いは翌朝すぐ)に書いておけば、もう少し気の利いたことも書ける(ような気がする)のだが。
実際一日に必ず一つや二つは「あ!」と思うような発見がある。
ただ、当然のように、その時それをメモできるような状況にはないのがいつものこと。
加えて「あ!」と思うようなことってのはほとんどひらめきのようなもので、それを書き留めようとすれば相当量の前段の説明が必要になる。それをしないで「あ!」だけメモしたって、後になっても何の役にも立たない。ベッドから落ちる瞬間に何時間も掛けなければ説明できない夢を見るようなものだ。
「事実」或いは「考え」等が溢れ返っている中で毎日を過ごしているのが「(社会)生活」というものだが、全くつながり・関係のないと思っていたそれぞれが何かの拍子でいきなりそのつながり(結節点)が見えることがある。予想もしなかった繋がり方が見えたことで、次には新しい発想なり、予想なりがそれこそ爆誕するという展開になるかもしれない。
この「いきなり見えるつながり」というのが「あ!」という思いと言ったらいいか。
「いきなり見えた繋がり」だけをメモしたって、何と何がどういう形でつながっているのかということについて説明がなされなければ、他人には理解できない。
メモというのは本筋の説明では使えない。本筋はひたすら教科書に載っている論理、道筋を正確に覚え、応用(実践)するところにある。
しかし、折角覚えた論理、道筋の正否はなかなかに当人には実感できない。
そこで逸話や範例と本筋との結節点を実感することで血の通った考え「方」を手に入れなければ社会の発展には貢献できない、と。
とは言え、役立たずでしかない「あ!」のメモ。役立たずと分かっていてもメモをしないよりした方がいい。全く役に立たずとも?
全く役に立たずとも記憶は残る。取り組んだという記憶は間違いなく自信(敵千万と雖も我征かん)となり、能力(能くする力)の向上に大きく係わって来る。
だからメモしなきゃ。