CubとSRと

ただの日記

書評2篇 その2

2024年08月16日 | 心の持ち様
 世界同時史を比較して、近現代史の奇怪な謎を解く
  意外にも通説は平凡すぎて、もっと深い闇が歴史にはある

  ♪
 渡辺惣樹 v 福井義高『東大教授に書けない! 腹黒い近現代史』(ビジネス社)
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 本書をかかえて散歩に出た。江戸川橋を音羽方面に向かい、最初の角を左折すると、かなりきつい坂が丘の上までつづく。正八幡神社、三つの由緒ある寺々を過ぎ、関台小学校を越えると、右前方に東京カテドラル教会。左手に拡がるのが椿山荘だ。
 その先、造園と野間美術館を過ぎると、村上春樹や北岡伸一がいた和敬塾の奥行きの広地敷地。それからまだ先が「天下の闇将軍」だった田中角栄邸である。
 この一帯は明治維新後、誰が所有していましたか?(このクイズのヒントは最後に)

 さて本書は歴史の基軸を日本だけにとどめず同時進行の世界史との脈絡のなかで、歴史的人物や事件を裁断する。
 博覧強記のふたりが世界史からみる日本の近現代を、別のアングルから照射する試みである。歴史好きな読者には知的スリルがある。
 幕末維新の時代から大恐慌の時代まで、列強(英米とロシア、独)のズルたちに翻弄され続けた日本をざっくりと解剖したら、えっと驚く事実がぽんぽんと飛びだした。
 読み始めてまず一番の興味は伊藤博文暗殺犯のことだ。
 紙幅の関係から、此の拙評は、伊藤博文暗殺事件だけに絞る。
 はるばる満州の奥の哈爾浜へ伊藤は何を目的に行ったのか。ロシア大蔵大臣が待っていた。東清鉄道の買収案件で、大きな影響力をもっていたのは伊藤だった。当時の哈爾浜はロシア人の町だった。
 伊藤博文暗殺の謎を追った人は何人もいるが、犯人は韓国人テロリスト安重根だけでなかったことは確かである。複数の朝鮮人からなる暗殺チームが居た。
 安重根が哈爾浜駅のプラットフォームで群衆を掻き分け、下から撃った弾丸は伊藤をそれた。というより安重根は伊藤の顔を知らず、となりの長身の人物を狙った。
 致命傷は背後から撃たれた弾丸だった。裏手のレストランの二階からの狙撃は騎手銃とされた。
 安重根は裁判で一人だけの犯行としてほかに数人の仲間を庇った。
 まさに「疑惑の銃弾」だった。
 哈爾浜の旅にでかけた評者(宮崎)は暗殺現場にも数回撮影にいったが、現場に立っていた碑を背景に写真も撮ったのだが、その後、大連から哈爾浜へ中国新幹線が繋がって、駅舎が建て替えられ、伊藤博文遭遇の地という碑は撤去された。
 当局は、この暗殺事件を安重根だけを犯人に仕立てた。これって、まるでJFK暗殺にまとわりついた疑惑のデパートに酷似する。
 さて本書で渡辺、藤井の二人は当時の世界情勢と列強のバランスから事件の謎に迫る。類書とまったく異なるグローバルな見方である。
 犯人がロシアでないことは確かだろうとするが、渡辺のドイツ説に対して福井はイギリス説も捨てきれないと言っている。この詳細を書いたら本が売れなくなることを慮って、詳細は本書にあたられたし。
 伊藤暗殺を決意した安重根はインテリで達筆家だった。彼は両班出身で、この朝鮮の伝統的身分制度を壊した伊藤に格別の恨みを抱いたことは事実である。取り調べの記録から、安重根がウラジオストクをアジトにして、誰と何処で合い、誰と接触し、誰が資金を、そしてピストルをどのルートから手に入れたかなどは判別されている。また日本人の協力者がいたことも判明している。
 伊藤暗殺はロシアにはメリットにならない。ドイツ、英国にはそれぞれの思惑があったのだろう。
 だが国内に視点を移せば、当時の国内政局は流動的で、伊藤暗殺で、誰がもっともメリットを享受したか? 犯人ではないにせよ、政治は結果論である。 
 若し「黒幕」が想定サレルとすれば伊藤暗殺で裨益した政治家は誰?
 椿山荘を、あの庭園を設計した人は誰だったか?
 西南戦争で城山まで西郷軍を追い詰め、号泣しつつも、西郷軍に最後の砲撃を指揮した軍人は?


 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)8月9日(金曜日)
     通巻第8361号より
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書評2篇 その1

2024年08月15日 | 心の持ち様
 日本人の中国理解は日本人だけにしか役立ちません
   それが中国の本質を理解する妨げになっているのです

  ♪
 楊海英『中国を見破る』(PHP新書)
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 中国の歴史改竄はなにも共産党だけの専売特許ではない。
 蒋介石の国民党も嘘八百を並べたし、そもそも司馬遷の『史記』からして白髪三千丈、『三国志』は史実が怪しい。『三国志演義』とか『西遊記』は史実とは無縁のSF。歴代王朝が綴る「正史」は曲筆と嘘、つまるところ政治宣伝である。
 中国の史書には『古事記』のようなロマンの薫りはない。草花の匂いがしない。かわりに血の匂いが染みついている。
 近現代史をみても日清戦争を中国では甲午戦争と表現して、誰と戦争をしたかは曖昧、そのうえ敗北は認めない。遠くへ逃避し、延安の洞窟で逃亡生活とハーレムと壮絶なリンチに明け暮れた、血なまぐさい、凄惨な闇が『大長征』となった。
 花園ダム爆破による洪水で数十万人が溺死した不祥事を「日本軍がやった」といいふらし、あまりに不潔な疫病の蔓延を防止するための731部隊が、生体実験をしたなどと嘘宣伝ばかりだ。戦後、アメリカが詳細を調べあげ、731細菌部隊の目的は防疫とした。
 ありもしなかった南京事件を「南京大虐殺」だったと戦後しばらくしてからでっち上げた。数万の犠牲を出した天安門事件は「なかった」ことになった。なにしろ世界にテレビ中継されていたのに新幹線事故車両を穴を掘って隠そうとした。炭鉱事故は報道しなかったし、災害報道は軍の救援活動のフィルムばかりである。
 
 ところが中国がいうのだから正しいのだ、中国に謝罪すべきだ、友人なのだと、頓珍漢は友好を唱える日本人の似非インテリや政治家、外務官僚、財界人が多いから中国人からみれば馬鹿の骨頂にみえるだろう。
 日本人の中国理解は日本人に役立つかもしれないが。中国の本質を理解する妨げになっていると楊海英教授はずばり言う。
 『中国五千年』も『中華民族』も嘘であって、そのうえ『漢族』という概念が誕生したのは二〇世紀になってからのこと、日本には万世一系の「通史」があるが、中国には、「『大日本史』『日本外史』のような通史が存在しない。秦の時代から、王朝が入れ替わると、新しい王朝が滅びた王朝の歴史をまとめてきた。司馬遷の史記にはじまり、王朝ごとの歴史はあっても、複数の王朝を跨ぐ歴史(通史)を記述する発想がなかった」(63p)
 上記はじつに重要なポイントである。
 中国共産党が言い出した「中華民族」なるシロモノにしても、「漢文化への同化論はそもそも歴史的に存在しない」。
 だからこそ「歴史を書き換えることで、現在の中国の政治家や知識人は、異民族を同化させることにおいて、自らを正当化できるのである」。これが中国共産党の「少数民族弾圧の根底になる」(98p)のだと楊教授は、本質を衝くのである。
 また「権力を握るのは皇帝のみであり、神や仏ではない。その皇帝が自分の都合にあった思想しか許さず、とりわけ外来の宗教を弾圧する」。
 それが個人崇拝、権力者崇拝の土壌である。
 中国の本当の知識人にとっては万世一系の日本には政治にも文化にも落ち着きがあって、羨ましくて仕方がないというのが本音だろう。
 もやもやを吹き飛ばす爽快な一冊!
                     (宮崎正弘)


 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)8月9日(金曜日)
     通巻第8361号より
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夏の雨

2024年08月14日 | 日々の暮らし
 8月4日(日)

 5時を30分ほど回って、やっと起きる。
 当然「散歩は?」となるが、この時間になっても空は薄暗い。
 流石に夏至を一ヶ月半も過ぎれば明るくなるのも遅くなる。
 加えてしっかり曇り空。ということは、散歩に出てもまだ大丈夫。

 しかし、降るという今日の予報通りになりそう、と今朝は散歩中止。

 結局天気予報は、今すぐにでも降り出しそうなことを言い続ける。言い終わってもすぐ降り出す気配はない。
 9時前。既に暑く、何より全く風が吹かない。

 朝食を終え、洗濯物を干してSRで出たのは9時過ぎ。
 道の駅まで行ったが今欲しい野菜もなかったので、すぐ帰る。

 北町のバイパスに流入する丁字を右折。
 バイパス沿いの中学校に近づいた頃、急に道路に水が溢れ、同じ左車線を走る前の車が水飛沫を上げるのが見えた。車間距離を十分に取っていたため、右車線に向け、回避行動を取る。
 しかし、何でこんなところで?工事中の水道管の事故?
 それにしては工事関係車輛らしい車の姿が一台も見えない。
 昼飯時だから工事ほっぽらかして引き揚げた?酷い奴らだな。

 取り敢えず、水の流れる左車線は避けて通る。
 が、数秒後、今度は二車線全面に水が流れている。
 「これは避けられない!」
 と思った途端に、「濡れた路面」なんてものじゃない、浅い川の流れみたいになったその道路に盛大な飛沫をあげながら突入していた。

 「バイオハザード」で水平(横)に発せられたレーザー光線を慎重に跨ぎ、潜り抜けて何とか乗り越えられたと思った瞬間、次には網の目のように交錯するレーザー光線が迫って来て、次の瞬間人間が賽の目切りにあって床にばらばらと落ちる、といったシーンが脳裏に浮かんだ。
 まあ、水飛沫は上げたけど、水没はしなかったのだから大した問題ではない、と言われそうだが。
 ここに至って、初めて「これは工事中の事故じゃない。通り雨が降ったのだ」と気付く。

 それにしても本当に「夏の雨は馬の背を降り分け(振り分け、に掛けている)る」、という言葉通り。

 中学校の前から尾根の背に当たる場所まで1~2百メートル。そこには道路の濡れた形跡すらなかった。
 当然帰ってきた家の周りは、全く何もなかったらしい灼けた道路と夏空。
 

 
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ヒュイーン

2024年08月13日 | 日々の暮らし
 8月3日(土)

 4時55分から5時25分まで散歩。

 土曜日ということで、今日はコペン?SR?カブ? 悩む。
 とにかく暑くなるのは分かっている。暑くなると意識が朦朧としてくる。
 それ以前に今日は眠くなるに違いない。

 危険度から考えれば、コペンの居眠り運転が№1。
 カブへの嫌がらせ(幅寄せ、煽り、被せるようにしての追い抜き。だからカブでは決して路肩は走らない)が№2。
 SRが一番安全だが、居眠り運転の可能性が僅かながら、ある。
 カブは一番居眠りの可能性が低い。
 その分、他の危険性が十二分に補填をしているからだが。

 睡眠不足で、今日は眠くなるかもしれないと予想し、書いている。
 散歩は5時前だが、起きたのは4時半だった。
 起きたというより、車の音で目が覚めた。

 斜め向かいの車にしてはエンジン音が小さい。
 いや、それ以前にこれは滅多に聞かない音だ。普通のエンジン音じゃない。エンジンというよりモーターの発する音。隣?隣じゃなくてもっと離れたところ・・・・。 
 と思ったが、どうも隣らしい。早朝から子供を連れてどこかに行くのだろうが、珍しくアイドリングの時間が異常に長い。アイドリングじゃなくって、モーターでエアコンを作動させている、ってこと?ハイブリッド車に乗ったことがないから分からない。

 ・・・・しかし長い。音は小さい。その小さな音が早朝延々と続くってのは却って苛々する。何故って、これでは散歩に出られない。

 なんてことは言ってられないから、しばらくして遂に出ることにした。
 玄関の扉を開けたら既に音は消え、人影も見えず、何事もなかったかのように車だけがあった・・・・。

 折り返し点まで、昨日と同じく右腰は軽い痛みで終始する。
 ドラッグストア近くまで来た時、隣家のミニバンが来たのが分かった。
 手を振ってみたが気が付かなかったようだ。気が付かなかった振り、ではなく本当に気が付かなかったのだろう、上体が微動だにしなかったから。

 帰って朝食。
 9時過ぎ、「快適音楽セレクション」を聞きながら一休み、と思ったのだが気が付けば12時前。望海風斗(?)の番組が終わろうとしていた。
 3時間も寝ていたことになる。

 もう暑過ぎる。風が全くないのと、空気が熱いのと、で、流石にこれはもう駄目だ。
 
 というわけで、今日は遂に散歩以外一歩も外に出なかった。
 

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カブ用ライディングウェア(ギア?)

2024年08月12日 | 日々の暮らし
 8月1日(木)

 5時を30分近く回って起きる。
 昨日の酒は缶ビール1本にハイボールが3杯。酔いが残っている感じはない。

 が、5時半近くになっている。寝ぼけ眼で、さあ、散歩はどうする。
 往復時、ともにラジオ体操にぶつかる心配はないが。
 あ、今日は8月1日だ、月初めの参拝に行く日だった。帰りにぶつかる可能性が出てきた。

 体調は昨日ほど悪くはない。腰の痛みも随分軽い。これなら神社まで距離が伸びても問題はないだろう。一番の心配事であるトイレ問題もこの二、三日で相当軽くなっている。
 行こう、やっぱり。

 ということで出発したのは5時45分。帰ってきたのは6時半。
 辛うじてラジオ体操の行きかえりにぶつかることはなく終了。

 カブで出る。暑い。
 それでも鈴蘭台の生協へ資源ごみを持って行く間中は、何と言っても海抜300メートル以上。走ってさえいれば辛抱はできる。
 
 三宮に出てからは苦行だった。風が熱風になっている。
 リーバイスの店に行って、オーバーオール 黒 一万六千円。
 明日はこれで出る?

 暑いな。初出動は秋、だな。上着は・・・グレーか。
 ん?シャツジャケットしかないぞ?
 ま、いいか。

 夕食。
 昨日、酒の肴に買ったハマチの腹身、半分を刺身にして食べ、残りを醤油漬けにして置いていたのでハマチ丼に。併せて喜多方ラーメン(勿論、インスタント麺)とミニトマトの卵とじ。
 
 
 
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