紅葉は終わってしまったし、少々疲れ気味の日曜日。ということで、買い物や用事ついでに2012年4月1日に廃線となった長野電鉄屋代線を辿ってみました。松代中学への通学に毎日乗っていました。当時は大正10年製造の古い車両がメインでしたが、たまにスイス風の2000系のD編成の特急車両が各駅で来ることがあり、その日は本当に嬉しかったのを覚えています。その頃は河東線といっていました。千曲川の東を走る線路だからです。世界的アコーディオン奏者のcobaやモーニング娘。18の羽賀朱音ちゃんも乗ったでしょう。
◉日本を走る鉄道車両図鑑 長野電鉄2000系
松代駅。長野電鉄の中で最も古い駅舎です。中学生のときは、そこに見えるベンチで電車を待ったこともありました。駅の待合室には、映画のポスターがたくさん貼ってありました。若大将の加山雄三とか、ヤクザ映画とか。ちょっとエッチなポスターは、先生が笑いながら見ないようになと言ったり。
(左)松代駅前。寂れていますが、昔からこんなです。サッカー部の帰りに空腹を我慢できず、駅前の母の同級生がやっていたラーメン屋に飛び込んだこともありました。(中)駅のある場所に置かれたポイント切り替えのレバー。(右)『汽車ポッポ』の石碑。
「駅舎と跡地の現状」。東屋代は、母校の駅。夏は下駄を履いている輩が多かったですね。通学時にはカランコロンという音が響きました。岩野駅は上杉謙信の本陣、斎場山の麓。春の桜が見事でした。電車の本数が少ないので、よく松代駅から象山口駅まで友人と歩きました。真夏に用水から浮かび上がった人魂を見たり、真冬の駅前の小川で氷に乗って遊んでいたら割れて落ちて、下半身ずぶ濡れで電車に乗って帰ったこともありました(笑)通学時には近所のグラマーで美人のお姉さんがタイトスカートとシームの入ったストッキングでお尻をふりふり通勤していく後をついていくのが日課でした(笑)。
昔は須坂は凄く遠いところだと思っていました。でも車で行くと近いんですよね。屋代線は屋代−須坂まで23キロぐらいしかないんです。自転車で余裕の距離です。
「雄姿な電車と鉄道施設」。東急車輛とか小田急のロマンスカーとか、後期ですね。昭和40年ごろだったか国鉄の信越線から河東線に志賀高原に向かうスキー列車が乗り入れていて、小学校の通学時に何度も見たことがありました。今は昔。
「線路撤去と活用状況」。一部は遊歩道やサイクリングロードになっているようですが、長野市の区間はほとんど進んでいません。本当に長野市の行政は駄目だなと思います。全面サイクリングロードにすれば、自転車通学の学生が安全に通学できます。とにかく県庁所在地だというのに駅前が悲惨です。国際的に通用するホテルさえない。長野駅から善光寺までなにもないし遠すぎる。長野市民ですが、遊びに行くのは松本。長野はつまらない。本気で街づくりをするべきです。よそ者若者馬鹿者を受け入れる度量が必要です。私も請われれば参加したいと思っています。
左下のスイス風車両が懐かしいです。しかし、廃線に反対の声は思いの外少なかったですね。バスが復活するならそれでいいと、松代病院に通う老人も言っていました。しかも停留所が2つできて便利になったと。
松代城跡から見る松代駅舎。左奥にそびえるのは、真田幸隆に攻略された東条氏の山城がある尼厳山。拙書でも紹介していますが、非常に面白い里山です。
松代城のお堀。真鴨が泳いでいました。観光バスや観光客の車も。黄色い柳の黄葉と左の緑の樹木の間に見える丸い山が、上杉謙信が本陣とした斎場山(旧妻女山)です。展望台のある現在の妻女山は旧赤坂山で謙信の本陣ではありません。ここのところを歴史作家や歴史研究家が知らずに間違いを犯しています。
(左)妻女山(旧赤坂山)の尾根の先端を屋代線は巻いていました。母校の清野小学校のすぐ近くです。カーブから突然電車が出てくる非常に危険な踏切で、私が通っていたころは遮断器もありませんでした。しかし、90年の開業時代に一度も踏切事故はなかったのです。(中)屋代線の土口トンネル。屋代線には、もうひとつ大室にトンネルがあります。(右)始発終点の屋代駅。現在はしなの鉄道のみです。大学生時代、上野から特急浅間で帰り、屋代駅で夜に河東線に乗り換えて帰ったものです。
撮影を終えて温泉に入って帰る道すがら。北アルプスの白馬三山が映えていました。里は向こうが稲刈りが終わった田んぼ。手前の緑は麦です。だぶん千曲市名産のユメセイキでしょう。非常に美味しい小麦です。冬なのに春みたいな風景ですね。
素晴らしい動画です。彼女は京王線や資生堂のCMでもおなじみです。澄んだ歌声が大好きです。
◉長野電鉄屋代線90年 24.4kmの思い出 ありがとう屋代線 熊木杏里
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
◉日本を走る鉄道車両図鑑 長野電鉄2000系
松代駅。長野電鉄の中で最も古い駅舎です。中学生のときは、そこに見えるベンチで電車を待ったこともありました。駅の待合室には、映画のポスターがたくさん貼ってありました。若大将の加山雄三とか、ヤクザ映画とか。ちょっとエッチなポスターは、先生が笑いながら見ないようになと言ったり。
(左)松代駅前。寂れていますが、昔からこんなです。サッカー部の帰りに空腹を我慢できず、駅前の母の同級生がやっていたラーメン屋に飛び込んだこともありました。(中)駅のある場所に置かれたポイント切り替えのレバー。(右)『汽車ポッポ』の石碑。
「駅舎と跡地の現状」。東屋代は、母校の駅。夏は下駄を履いている輩が多かったですね。通学時にはカランコロンという音が響きました。岩野駅は上杉謙信の本陣、斎場山の麓。春の桜が見事でした。電車の本数が少ないので、よく松代駅から象山口駅まで友人と歩きました。真夏に用水から浮かび上がった人魂を見たり、真冬の駅前の小川で氷に乗って遊んでいたら割れて落ちて、下半身ずぶ濡れで電車に乗って帰ったこともありました(笑)通学時には近所のグラマーで美人のお姉さんがタイトスカートとシームの入ったストッキングでお尻をふりふり通勤していく後をついていくのが日課でした(笑)。
昔は須坂は凄く遠いところだと思っていました。でも車で行くと近いんですよね。屋代線は屋代−須坂まで23キロぐらいしかないんです。自転車で余裕の距離です。
「雄姿な電車と鉄道施設」。東急車輛とか小田急のロマンスカーとか、後期ですね。昭和40年ごろだったか国鉄の信越線から河東線に志賀高原に向かうスキー列車が乗り入れていて、小学校の通学時に何度も見たことがありました。今は昔。
「線路撤去と活用状況」。一部は遊歩道やサイクリングロードになっているようですが、長野市の区間はほとんど進んでいません。本当に長野市の行政は駄目だなと思います。全面サイクリングロードにすれば、自転車通学の学生が安全に通学できます。とにかく県庁所在地だというのに駅前が悲惨です。国際的に通用するホテルさえない。長野駅から善光寺までなにもないし遠すぎる。長野市民ですが、遊びに行くのは松本。長野はつまらない。本気で街づくりをするべきです。よそ者若者馬鹿者を受け入れる度量が必要です。私も請われれば参加したいと思っています。
左下のスイス風車両が懐かしいです。しかし、廃線に反対の声は思いの外少なかったですね。バスが復活するならそれでいいと、松代病院に通う老人も言っていました。しかも停留所が2つできて便利になったと。
松代城跡から見る松代駅舎。左奥にそびえるのは、真田幸隆に攻略された東条氏の山城がある尼厳山。拙書でも紹介していますが、非常に面白い里山です。
松代城のお堀。真鴨が泳いでいました。観光バスや観光客の車も。黄色い柳の黄葉と左の緑の樹木の間に見える丸い山が、上杉謙信が本陣とした斎場山(旧妻女山)です。展望台のある現在の妻女山は旧赤坂山で謙信の本陣ではありません。ここのところを歴史作家や歴史研究家が知らずに間違いを犯しています。
(左)妻女山(旧赤坂山)の尾根の先端を屋代線は巻いていました。母校の清野小学校のすぐ近くです。カーブから突然電車が出てくる非常に危険な踏切で、私が通っていたころは遮断器もありませんでした。しかし、90年の開業時代に一度も踏切事故はなかったのです。(中)屋代線の土口トンネル。屋代線には、もうひとつ大室にトンネルがあります。(右)始発終点の屋代駅。現在はしなの鉄道のみです。大学生時代、上野から特急浅間で帰り、屋代駅で夜に河東線に乗り換えて帰ったものです。
撮影を終えて温泉に入って帰る道すがら。北アルプスの白馬三山が映えていました。里は向こうが稲刈りが終わった田んぼ。手前の緑は麦です。だぶん千曲市名産のユメセイキでしょう。非常に美味しい小麦です。冬なのに春みたいな風景ですね。
素晴らしい動画です。彼女は京王線や資生堂のCMでもおなじみです。澄んだ歌声が大好きです。
◉長野電鉄屋代線90年 24.4kmの思い出 ありがとう屋代線 熊木杏里
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。