「都会のネズミと田舎のネズミ」というのは、イソップ物語の代表的な話のひとつ。田舎のネズミが友達の都会のネズミを招待します。都会のネズミは、田舎のネズミのあまりに質素な食べ物と粗末な家を可哀想に思い、都会に招待します。都会のネズミの家は豪華で賑やかな街中にありました。食べ物も豪華で美味しいと喜んでいると、飼い猫に襲われます。やっとの思いで逃げると、今度は人間に追い立てられます。田舎のネズミは、こんな都会はこりごりと田舎に帰って行きました。
質素にのんびりと不安なく生きていくほうが、刺激と快楽とひきかえに、恐怖の中に苦しんで、贅沢に暮らすよりもずっと幸福だという寓話ですが、都会で生きていくには、他人に無関心で心を麻痺させていないとやってられない瞬間があるのです。愛の反対は憎しみではなく無関心と言ったのは、マザー・テレサですが、このところの凄惨な事件を思うたびに、田舎の都会化もかなり進行していると感じます。殺伐とした風景の中の自分に嫌悪感を感じなくなったら立派な都会人です。
ある夕方のことでした、夕日が沈んだ茜色の空の下、千曲川河川敷の小径に近所で見かける猫が歩いていました。声を掛けても振り向きもしません。田舎の猫は愛想が悪いです。しかし、家からは1キロ以上離れていて間には高い堤防もあります。散歩にくるわけもないので、恐らくネズミ取りか、葦の林にいるヨシキリやキジの卵や雛を狙ってのハンティングが目的でしょう。声を掛けても振り向きもしなかったのは、半日中追い回してもなにも捕れなかったからに相違有りません。なんだか不機嫌そうな後ろ姿がそう言っていました。
田舎の猫というのは、その辺にいるイタチやタヌキと同様に、ほとんどが半野生です。人間に媚びないしなつきません。正月に炬燵で寝そべって雪景色を見ていたら、庭を何食わぬ顔でタヌキが横切っていきました。これが、鬼無里だと熊だったりするわけですが。増えすぎると害獣扱いされて彼らも大変は大変なのですが、けっこうしぶとく逞しく生きています。
ペットショップでグルーミングされ、人間も食べられるような缶詰を常食とし(実際ニューヨークではペットフードの何割かは人間が食べているそうですが…)、ヒラヒラの服まで着させられている都会の猫をこの河川敷に放したら、恐らく一歩も動けないでしょう。
河原の小径をとぼとぼと歩く不機嫌そうな後ろ姿は、シルエットになった篠山とススキの陰に消えていきました。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。動物には、猫やもぐら、ニホンカモシカの写真もあります。