大河ドラマ『真田丸』が始まり、松代城や妻女山にも訪れる人が増えました。土曜日に山の手入れをしていると、3人ぐらいが鞍骨城跡へ登っていったようです。翌日は薄曇りでしたが風がほとんどないので登ることにしました。今時積雪が全く無いのは初めてです。
新年の晴天の日の妻女山松代招魂社(左)。戊辰戦争以降の戦没者を祀ってあります。瓦には真田の六文銭が。拝殿の中の額(中)。招魂社の書は、松代藩最後の藩主、真田幸民(さなだゆきもと)ですが、真田ではなく滋野幸民と書いてあります。わざわざ本姓を書くのには、何か相当の想いがあったのでしょう。滋野氏はもともといた望月氏の地に入り縁戚関係を深めていきます。そして海野氏、真田氏もその関係。望月氏の中からは布施氏を名乗るものも出て、善光寺平を収めました。平安時代のことです。幸民は、伊予宇和島藩主・伊達宗城の長男で、真田幸教の養子となりました。長年名主をやった我が家の祖先も御目通りしているはずです。
招魂社の奥の駐車場から右の林道を登ります(右)。林道入口に私が立てた地図と看板があります。木の杖が置いてあるので使ってください。返却してもいいですが、捨ててきても構いません。ここから鞍骨城跡までは、約90~100分です。
左はウスタビガの繭(まゆ)。年によって増減しますが、今年は異常なほどに少ない。これは羽化後で空ですが、以前蛹が入ったものを玄関の花瓶に挿しておいたら、ある夜羽化してしまい、家人の悲鳴で気が付きました。開張10センチ以上あるので、知らないと驚くでしょう。手のひらに乗せて遊んだ後に逃がしてやりました。
逆光に映える桜の枝(中)。ガマズミの冬芽(とうが・ふゆめ)(右)。
ミヤマウグイスカグラの蕾(左)。なんと咲いているものもありました。霜でやられていましたが。マユミの実(中)。例年ならば枯れているか落ちているのですが。そのマユミの冬芽(右)。
コナラの蘖(ひこばえ)の冬芽(左)。白いものはシジミチョウの卵でしょうか。コナラの冬芽にカマキリの卵(中)。高さ1m以上についていました。豪雪があるのでしょうか。無関係という調査報告もありますが。ニワトコの冬芽(右)。
天城山(てしろやま)を巻いて二本松峠を過ぎ、尾根を進むと駒止と呼ばれる深い堀切(左)。進むと二条の堀切(中)。これは越えて振り返ったところ。堀切を越えると鞍骨城跡が姿を現します(右)。尾根の両側には、馬場跡ともいわれる細長い削平地があります。
まず一の郭(くるわ)に登ります(左)。ここは左を巻いて二の郭へ。大きなケヤキの木が立つ二の郭(中)。ここからは右へ巻いて本郭への斜めの道を登るのが普通ですが、今回は三の郭へ直登しました。かなり危険です。滑落しないよう慎重に登りました。三の郭から見上げる四の郭(右)。
四の郭の石垣(左)。その上には本郭の石垣も見えます。四の郭から見上げる本郭(中)。さすがにここは登れないので右手の大手へ回ります。南面にある虎口(こぐち)(右)。倉科のMさんが立てた「天空の山城 鞍骨城」という標柱が迎えてくれます。
鞍骨山798mが本郭で鞍骨山山頂(左)。村上義清の傍系の清野氏の山城です。西から土塁のある東を見たところ(中)。土塁の上から西を見たところ(右)。
本郭から見下ろす松代城跡(海津城跡)。写真中央が松代城。『真田丸』のイベントでしょうか。麓から太鼓の音が聞こえてきました。右上はモーニング娘。16の羽賀朱音ちゃんが通っていた松代中学。世界的アコーディオン奏者のcobaもここの出身。二人共私の後輩ということになります。
本郭先の展望岩から。西北西を見ると白馬三山。右に神城断層地震で山頂が崩壊した神話の山、虫倉山。その手前が茶臼山。一番手前の三角の山は、今回は妻女山から来る時に巻いた天城山(てしろやま)。
北を見ると左に戸隠連峰と、戸隠富士といわれる高妻山。右に長野市民の山、飯縄山。手前に広がる善光寺平(川中島)。千曲川の手前に登山口の妻女山。気温は1度ぐらいですが、無風なので寒さは感じません。AC長野パルセイロのホームスタジアムも今日は試合がないようで静かです。試合がある日は、ここまでチャントが聞こえます。
豪雪地帯の飯山などを除いて、全県下に大雪注意報が出ました。典型的な上雪(かみゆき)です。2014年2月の大豪雪の様にならないといいのですが。備えだけはしておきましょう。
◉『清野氏と戦国時代』 鞍骨城跡の主、清野氏についての詳細な歴史です。
海津城(後の松代城)の起源については、清野村誌の記述により清野氏という説があります。
◉真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信)
◉真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その2(妻女山里山通信)
明けて月曜日の昼。深夜から降り始めた雪で一夜にして真っ白に。上雪なのでシャーベット状。非常によく滑ります。写真は妻女山展望台から松代方面。上信越自動車道は動いていました。長野自動車道と中央道はほぼ通行止め。東京では京王線が麻痺状態になったようですね。明朝はこのシャーベット状の雪が凍結します。交差点や橋の上のミラーバーンに要注意です。週末は更に強烈な寒気が入ってくるとか。やれやれ。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
新年の晴天の日の妻女山松代招魂社(左)。戊辰戦争以降の戦没者を祀ってあります。瓦には真田の六文銭が。拝殿の中の額(中)。招魂社の書は、松代藩最後の藩主、真田幸民(さなだゆきもと)ですが、真田ではなく滋野幸民と書いてあります。わざわざ本姓を書くのには、何か相当の想いがあったのでしょう。滋野氏はもともといた望月氏の地に入り縁戚関係を深めていきます。そして海野氏、真田氏もその関係。望月氏の中からは布施氏を名乗るものも出て、善光寺平を収めました。平安時代のことです。幸民は、伊予宇和島藩主・伊達宗城の長男で、真田幸教の養子となりました。長年名主をやった我が家の祖先も御目通りしているはずです。
招魂社の奥の駐車場から右の林道を登ります(右)。林道入口に私が立てた地図と看板があります。木の杖が置いてあるので使ってください。返却してもいいですが、捨ててきても構いません。ここから鞍骨城跡までは、約90~100分です。
左はウスタビガの繭(まゆ)。年によって増減しますが、今年は異常なほどに少ない。これは羽化後で空ですが、以前蛹が入ったものを玄関の花瓶に挿しておいたら、ある夜羽化してしまい、家人の悲鳴で気が付きました。開張10センチ以上あるので、知らないと驚くでしょう。手のひらに乗せて遊んだ後に逃がしてやりました。
逆光に映える桜の枝(中)。ガマズミの冬芽(とうが・ふゆめ)(右)。
ミヤマウグイスカグラの蕾(左)。なんと咲いているものもありました。霜でやられていましたが。マユミの実(中)。例年ならば枯れているか落ちているのですが。そのマユミの冬芽(右)。
コナラの蘖(ひこばえ)の冬芽(左)。白いものはシジミチョウの卵でしょうか。コナラの冬芽にカマキリの卵(中)。高さ1m以上についていました。豪雪があるのでしょうか。無関係という調査報告もありますが。ニワトコの冬芽(右)。
天城山(てしろやま)を巻いて二本松峠を過ぎ、尾根を進むと駒止と呼ばれる深い堀切(左)。進むと二条の堀切(中)。これは越えて振り返ったところ。堀切を越えると鞍骨城跡が姿を現します(右)。尾根の両側には、馬場跡ともいわれる細長い削平地があります。
まず一の郭(くるわ)に登ります(左)。ここは左を巻いて二の郭へ。大きなケヤキの木が立つ二の郭(中)。ここからは右へ巻いて本郭への斜めの道を登るのが普通ですが、今回は三の郭へ直登しました。かなり危険です。滑落しないよう慎重に登りました。三の郭から見上げる四の郭(右)。
四の郭の石垣(左)。その上には本郭の石垣も見えます。四の郭から見上げる本郭(中)。さすがにここは登れないので右手の大手へ回ります。南面にある虎口(こぐち)(右)。倉科のMさんが立てた「天空の山城 鞍骨城」という標柱が迎えてくれます。
鞍骨山798mが本郭で鞍骨山山頂(左)。村上義清の傍系の清野氏の山城です。西から土塁のある東を見たところ(中)。土塁の上から西を見たところ(右)。
本郭から見下ろす松代城跡(海津城跡)。写真中央が松代城。『真田丸』のイベントでしょうか。麓から太鼓の音が聞こえてきました。右上はモーニング娘。16の羽賀朱音ちゃんが通っていた松代中学。世界的アコーディオン奏者のcobaもここの出身。二人共私の後輩ということになります。
本郭先の展望岩から。西北西を見ると白馬三山。右に神城断層地震で山頂が崩壊した神話の山、虫倉山。その手前が茶臼山。一番手前の三角の山は、今回は妻女山から来る時に巻いた天城山(てしろやま)。
北を見ると左に戸隠連峰と、戸隠富士といわれる高妻山。右に長野市民の山、飯縄山。手前に広がる善光寺平(川中島)。千曲川の手前に登山口の妻女山。気温は1度ぐらいですが、無風なので寒さは感じません。AC長野パルセイロのホームスタジアムも今日は試合がないようで静かです。試合がある日は、ここまでチャントが聞こえます。
豪雪地帯の飯山などを除いて、全県下に大雪注意報が出ました。典型的な上雪(かみゆき)です。2014年2月の大豪雪の様にならないといいのですが。備えだけはしておきましょう。
◉『清野氏と戦国時代』 鞍骨城跡の主、清野氏についての詳細な歴史です。
海津城(後の松代城)の起源については、清野村誌の記述により清野氏という説があります。
◉真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信)
◉真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その2(妻女山里山通信)
明けて月曜日の昼。深夜から降り始めた雪で一夜にして真っ白に。上雪なのでシャーベット状。非常によく滑ります。写真は妻女山展望台から松代方面。上信越自動車道は動いていました。長野自動車道と中央道はほぼ通行止め。東京では京王線が麻痺状態になったようですね。明朝はこのシャーベット状の雪が凍結します。交差点や橋の上のミラーバーンに要注意です。週末は更に強烈な寒気が入ってくるとか。やれやれ。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
戦国時代には周囲は山城だらけだったわけですが実用上大いに疑問があります。
鞍骨城跡は訪れたことがありませんが山城は冬が大雪の年は城詰めが可能なのだろうかと思いました。
生活が不便でできないのではないかと。
尼厳山も険しすぎで当時藁沓などでは登れそうにない。
寺尾城がぎりぎりぐらいでしょうか。
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帰路、松代の城下町を散策して松代藩大鐘楼を見てきましたが途中小山田(茂誠)家の屋敷をみて感動。
大河ドラマの中のあの髭づらの顔を思い浮かべました。
先日のドラマでは武田勝頼を裏切り主君小山田信茂が織田方に殺されましたが彼は幸村の姉と共に生き抜いたのですね。
もりもりキッズさんの家系ゆかりの方もドラマに出てきますか?
松代藩主の家系を少し調べてみましたが、信之の血筋は途絶えているようですね。
松平定信の子幸貫(7代)が養子にきて、後伊達家から10代が養子てきていますね。当主がだめなら家臣の末裔に真田の血筋がどこかで残っていればいいなあと思いました。
ブログにアップしましたが、今日は倉科の三滝へ撮影に行きましたが、40センチぐらいありました。
上はもっとでしょう。
うちの家系はそんな大河ドラマに出るような大層なものではありません(笑)。
まあ、私は郷土史研究もしているので、フィクションは小説含めあまり観ないようにしているのですが、三谷幸喜ぐらいぶっ飛んだ脚本だと、逆に安心して観ることができますね。
松代城の歴史1、2に清野氏やら真田氏やらのことをまとめてあります。お時間がありましたらどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/morimorikids/e/a24525835bdac97feee86ca517400259
http://blog.goo.ne.jp/morimorikids/e/df5f697cb562d0387d9d5c1e791e6307