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清野氏の鞍骨城跡のある鞍骨山へ。登山道整備をしながら登るGWの最終日◆その2(妻女山里山通信)

2022-05-09 | 歴史・地理・雑学
 鞍骨山その1からの続きです。

 本郭からの松代城の眺め。中央の梢の間から松代城が見えます。展望を得るには、落葉期の12月から4月上旬がおすすめです。上信越自動車道の上に金井山城跡。その奥にエム・ウェーブが見えます。

 鞍骨城跡本郭。標高798mの鞍骨山山頂。鞍骨城は、旧埴科郡の山城の中で最大。本郭は、西辺20m、南辺17m、北辺9.7mの不整方形。西方に脇郭と副郭、さらにその西に大郭と狭長な郭があり、堀切を隔てて平坦部が続きます。本郭の北東には土塁があり、外側は石積みになっています。南面に比べて北面は険しく傾斜が急です。このため南面が大手とされたようです。この城は、清野氏の要害であったことは間違いありませんが、永正年中(1504-1520)清野山城守勝照の築城説については明証がありません。

 清野村誌によると、「村の北の方、字中沖にあり。往古本村領主清野氏数代之に居す。年月不詳。清野某海津に移り、該地に倉庫を建つ。此時より禽の倉屋敷と称す(現在の松代城の場所)。天文、弘治中、清野山城守武田氏に敗られ、越後に逃走するに及び武田氏の有となり、天正十年三月武田勝頼滅び、織田信長の臣森長可の有となり、六月信長弑せされ長可西上するに至り、七月上杉景勝の所有となり、某幕下清野左衛門尉宗頼、該地に移り居住すと言う。管窺武鑑に七月四郡(埴科・更級・水内・高井)上杉景勝の有となり、清野左衛門尉を、猿ケ馬場の隣地、竜王城に移とあり。一時此処に居せしか不詳。後真田氏領分の時に至り寛永中焼亡す。後真田氏の臣高久某此域に居住し、邸地に天満宮を観請す。弘化二乙己四月村民清野氏の碑を建つ。」と記されています。

 信濃の小領主であった清野氏は、村上義清の配下でしたが、天文22年(1553)8月、村上義清が上杉謙信を頼り逃れると、清野氏は、道寿軒と長子清秀が上杉方に、次子信清(清寿軒)は武田方にと、親子兄弟敵味方に分かれて戦いました。どちらが勝っても一族が生き延びるという苦肉の策。その後、武田が滅びると上杉の会津移封に伴って清野を去ったのです。信濃の小領主たちは、甲越どちらかにつくか、親子兄弟別れるかして、いずれにしても信州先方衆として真っ先に戦わなければならなかったのです。

 武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ…、鞍掛山へ御上がり云々」との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか…。いずれにせよ山城マニア、戦国マニア必見の山城です。

 本郭から土塁を越えて下ると小さな郭があります。本郭では、鋭い棘のあるノイバラやヤマガシュウをたくさん切りました。

 そこから20mほど痩せ尾根を進むと二箇所展望岩があります。まず西側の展望岩。岩場にはネズミサシの木があるので葉に触れると痛いです。

 西展望岩からの眺め。標高800m近いので、新潟焼山の山頂が見えます。

 少し先に東側の展望岩。北風が強いので木の葉が激しくなびいています。

 東展望岩から戸隠西岳を望む。

 その右に戸隠富士と呼ばれる高妻山(2353m)。

 左には白馬三山が。白馬岳(2932m)の大きな山容が印象的。

 正面には御開帳で賑わう善光寺。右手前には武田信玄が本陣としたと伝わる八幡原(はちまんぱら)。

 陣場平ではすでに散ってしまったズミが満開でした。

 林床に妖しく咲くマムシグサ(蝮草)。サトイモ科テンナンショウ属の多年草。薬草で毒草です。

 鞍骨山から妻女山へ戻る際に気をつけなければいけない天城山(てしろやま)手前の分岐。左へ巻道を行くと倉科将軍塚、鷲尾城跡を経て倉科に下りてしまいます。正面は、天城山を越えて芝山、明聖霊神、唐崎城跡を経て雨宮に下ります。妻女山に戻るには右の巻道を進みます。

 清野古墳のある尾根の西面の樹間から爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳が見えました。

 2時少し前に陣場平に戻りました。山仕事はしていましたが、山登りは使う筋肉が異なるので、久しぶりで脚の筋肉がパンパンになりました。というかバラを切るたびにしゃがんだり立ったりを百回以上したのが原因でしょう。いい運動になりました。北風に吹かれて体が冷えたので温泉へ向かいます。

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