~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

あの日から4カ月が…

2011-07-11 11:09:07 | 日記
今日で、あの大震災から4カ月が経ちました。

国の対応の遅さに、もの言う気力も無くなっていくようです。

以前、年越し派遣村の村長だった湯浅誠さんが、内閣参与として国の

仕事に携わった時、行政に関る人達に当事者意識がないと、激怒

していた姿が思い出されます。

当事者意識をどれほど持てるかと言う事が、被災者に寄り添う救済に

繋がって行くのだと思います。

遅々として進まぬ生活の基盤の立て直しに反して、精神面での

東北の人は我慢強いとか、早い立ち直りへの雰囲気を感じ不安を

覚えます。

本屋で「つなみ」という大手出版社の雑誌が平積みなって

いました。

見ると、震災にあった子ども達の文集でした。

私は、もうこういうものが出版されるのかと、唖然として

しまいました。

震災の写真を特集した雑誌や、写真集が驚くほど速く書店に並んで

いたし…

子ども達は、自ら書きたいという思いで作文を書いたのでしょうか…

私は 息子を亡くし暫らく経った時、今の気持ちを手紙とか文章に

してみたらと、勧められました。

元々文章を書くことが好きだった私は、書けば何か見えてくるかも

しれない、気持ちが少し楽になるかもしれなと思い、

書いてみましたが、泣き泣き書いた手紙や文章は、読み返してみると

どれも感情の表層だけを辿ったもので、悲しみは増すばかりでした。

人生を揺るがすような大きなことは、外に出せるようになるまで

それなりの時間がかかるものなのではないでしょうか。

戦争を体験された人達が、なかなか語れないように…

私たちに出来ることは、被災者の生活や心を支え続けることで

あって、立ち上がることを急がすものであってはならないと

思いました。

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頑張れ日本の陰で…

2011-07-08 22:17:09 | 日記
東日本大震災の直後から「頑張れ日本」の言葉がテレビから

引っ切り無しに流れ、まるで日本中の合言葉になり、そして

その言葉にのって進め進めという勢いで、復旧復興に向かっています。

立ち止まる時間もなく、悲しみと向き合う時も、悲しみや苦しみを

口にすることも出来ず、すべてを心に沈めて歩きだそうとしている

被災地の人を見ていると、胸が詰まりそうになります。

今日、新聞に載っていた精神科医の野田正彰さんの文章を読み、

思いが重なった気がしました。

  
  「阪神大震災の時は、牛乳瓶や空き缶に花を差し瓦礫の中で

   うずくまっている人を大勢見たが、今回の震災ではそんな姿は

   少ないと感じている。

   被災地の人達は胸が張り裂けそうな悲しみを抑え、押し黙って

   いるのではないでしょうか。

   悲しむということは、失った家族と対話することです。

   その悲哀を通して、人は人生の意味をあらしめている。

   本当に深く悲しめる人は他者と深く喜び合える人でもある。

   ただそれだけのことが文化として共有できない社会は、

   野蛮な暴力社会だと思います。

   悲しみを、ちゃんと悲しめる社会

   それこそが本当の復興へ向かう私たちの精神の礎で

   あるべきです。  (野田正彰)

   
   野田さんの文章の一部です。言葉は多少きついところも

   ありますが、頑張れ日本の陰で見落としてきている大切な

   ことを示唆しているように思いました。

   

     
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本気で…

2011-07-07 22:11:43 | 日記
やっと、パソコンが直ってきました。

何だかブログを書くのもドキドキします。


 先日、探し物をしていたら、高木仁三郎さんの「市民科学者として

生きる」と言う本が、偶然出てきました。

反原発を理論的に唱え続けた高木仁三郎さんが、もし今生きていたら

福島の原発事故を何と言うでしょうか…

この本を読んだ時、私はそれほど原発に関心があった訳ではなかった

けれど、高木さんの生き方に深く感銘を受けたのを今でも覚えて

います。

本の間に、その年の私の年賀状の下書きがはさんでありました。

高木さんの詩を引用したものでした。


    本気ですれば  大抵のことができる

    本気ですれば  なんでも面白い

    本気でしていると 誰かが助けてくれる

           (高木仁三郎 市民科学者として生きる)

  
   迎春

  日々の生活の中で どれほどの本気が 私にはあるだろうか

  なんとなくではなく  本気に…

  新しき年を迎え  このことを心に留めていきたいと思います

  本年もよろしくお願いします

      2001年 1月 1日  山 直

年賀状の2001年というのを見て驚きました。

この賀状を出した10ヶ月後に息子を亡くしているのです。

本気で生きるどころか、生きるという選択肢も自分の中から

消えてしまった日々を送っていました。

それが、初女先生と巡り会い、イスキアで再びの生を授かり

今を生きることを、初女先生から学んだのです。

高木さんの「本気」と初女先生の「今を生きる」を

息子が教えてくれているようです。

これらすべてが、神様のご計画だったような気が、今は

しています。

不思議です。

時の流れというものでしょうか…
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空文字

2011-07-05 22:22:41 | 日記
「空文字」という言葉を初めて知りました。

視覚障害の人が手話や指文字でコミュニケーションを

していますが、中空に書く文字を「空文字」と言うそうです。

天に文字を放つような言葉になんだか嬉しくなってしまいました。

今日、仕事帰りに、まだ青空の残る夕方の空に、空文字を書いて

みました。

「愛してるよ、創」

息子へのたった一行のラブレターです。

誰にも言えない空文字。

あの子は受け取ってくれたでしょうか・・・。

天空に放った言葉に返事は返ってこないけれど、

少しの涙の後の清清しさは、あの子からの返事かもしれない・・・
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毎日の意味

2011-07-03 14:48:23 | 日記
今週は広尾で、年に一度の書展をやっています。

私は、先生に誉めていただいた大きな作品を間違って捨ててしまい、

急きょ、小さな作品に書き直しました。

子どものような私の書を、好きだと言って下さる方が

何人もいらして、次へのエネルギーを頂いています。

昨日の反省会の席で、先生が「私の知人の小池邦夫さんは、

毎日自分に絵手紙を出すようにと言われ、毎日書いたのよ。

そうやってやらされる事も大事ね。山崎さんも、毎日私に

一字でいいのから「書」を書いて送って」と言われたのです。

私は、驚いて、もう少しで「マジっすか?」と言いそうに

なるのをおさえて、「えー、先生本気ですか?じゃあ先生は

返事くれるの」と言うと、「勿論」という答えが返ってきました。

「毎日か・・・」そう言えば、ブログを始める時に、Tさんに

「毎日書くといいよ」と言われ、何もない日も、必死で探して

自分の思いを言葉に置き換える力に、少しはなっているかなと

思っています。パソコンが壊れ、毎日ブログを書くという

日課に穴があくと、何だか宿題を忘れているようです。

それにしても、毎日の書は大きな大きなハードル・・・・

今、毎日の意味を再び考え直しています。
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