今日のは、おさかなです。かわいくできました。
うろこ模様の表現で、最初は半角で三角模様にしようと思ったのですが、碁盤模様のほうがおもしろいかもと思ってやってみましたら、ピエロのようにかわいい魚になりました。
横方向に編んで、玉編みでひれのとこの飾りもつけてみました。なかなかに豪華なお魚になりましたよ。小さなことを大切に考えて、やってみるのもいいですね。
おさかなは、夢判断などでは、豊穣の象徴だとか言われてるんですが、この図を見ていると、昔見た夢のことなどを思い出します。その夢は、こういうのでした。
わたしの庭に、小さいけれどきれいな蓮の池があって、不思議に光っているのです。池をのぞいてみると、水面を覆っている蓮の葉の下で、きれいな魚がたくさん泳いでいるのです。真珠のようにきれいな魚が、それはそれはいっぱい、泳いでいるんです。
きれいだなあと、わたしがのぞいていると、どこかから変なおじさんがきて、わたしの庭の池で釣りをしはじめたのです。やがておじさんは一匹の魚を釣り上げたのですが、その魚は、真珠色の魚ではなくて、ちいさくてゆがんだ、めくらの魚だったのです。それでおじさんは、ちっと舌打ちして、ばかみたいだというふうに、行ってしまったのです。
後に残ったわたしは、こんなにきれいな魚がいっぱいいるのになと、残念でならなかったのです。
そういう夢でした。
そのころは、同人誌を出したり、絵を描いたり、小説を書いたり、いろいろと試行錯誤をしていた時代でした。夢がたくさんあって、いろんなことをしたいと、いろんなことをがんばっていたころだったのです。でも、どれひとつとして成功しなくて、何をやっても、馬鹿じゃないの?という顔で、相手にされなかったりして。本当に苦しかったころでした。
わたしは、いろんなことができるのにな。でもみんな、そんなのは馬鹿だっていう。わたしの池の魚には、もっとすてきな魚がいっぱいいるのに、小さいめくらの魚しか、見てくれない。
そういう思いが、夢に出てきたのかもしれないですね。
あの頃みていた夢は、どれ一つとして、まともにかなってはいないのですけど。それはそれでいいかと、今は思っています。死ぬほど頑張ってきた山や谷を越えて、何にもならなかったってことも確かにあるのだけど、それほど不幸じゃない。なぜならば、わたしは、ほんとうに、がんばってきたから。そしてその自分を、とてもいいと思っているから。
あの池は今もわたしの中にあって、不思議に光っていますよ。魚がいっぱいいる。
おさかなのもようには、「夢」という意味を込めたいですね。豊かな夢。人間がいっぱいもっている。
どんな夢があります? たとえば、折り紙の作家になりたいとか、編みものでいいものをつくりたいとか、コーヒーの職人になりたいとか。そういうのあります?
昔なら、馬鹿じゃないかって、紙屑のようにつぶしていた小さな思い。大切にしてみましょう。
折り紙がおりたい? いいね、すてきだね。おもしろいねえ。いいことにしていこう。
そうすると、ほんとうに、おもしろいことができますよ。
人間はすてきだな。