世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-02-17 06:52:02 | 月の世の物語・別章

豆のさやの形の船に乗った少年は、露草色の空にかかる白い月を目指し、まっすぐに飛んでいました。彼の船の中には、石炭のように黒く曇った水晶の箱が置いてあり、それは、風も精霊の手も神の手も触れていないのに、こんこんと音を鳴らしながら、鼠がおびえているように震えてうごめいていました。

「ふう」彼は息をついて、ゆっくりと月に船を下ろしました。白いなめらかな大地の続く月の上に、月長石の小山のような地形がひとつあり、その山にはあちこちに、ガラスをはめこんだ四角い窓がたくさんありました。少年は船を山のすぐ前に下ろすと、後ろの席から例の黒い水晶の箱をとり、船から降りて山に向かいました。そして山の前で自分の名前と要件を告げると、すぐに目の前にガラスの扉が現れ、それが開いて、彼を中に呼び込みました。

そこは、月のお役所でした。彼は受付に出てきた若い役人の一人に、黒い箱を差し出して、言いました。「これです。例のもの。でも、どうしてなんです?けっこう便利だったんだけどな、いろんな魔法に使えて」少年が言うと、役人は「ふむ」と言って、黒い箱を受け取り、蓋を開けて中を確かめました。その中では、かつて、少年が地球上で友人からもらった地球の魔法玉が入っていました。小さな魔法玉は、触れるものの指を焼くほどの熱の光を放ちながら、心臓のようにどくどくと鼓動しつつ、触れもしないのに、箱の中をころころと転がっていました。役人は言いました。
「上部のご命令でね。月の世にある地球玉は全て回収するようにとのことなんだ。理由は言えない。君も最近は、これの扱いに、少々困ってたろう?」「…ええ、それは。ちょっと前からだったかな。だんだんと熱くなってきて、素手で触れなくなったから、手袋をはいて扱ってたんですけど…」少年は役人の持っている黒い箱を見ながら、まだ残念そうな顔をしていました。地球の魔法玉は、彼の船を動かす魔法の道具としてすばらしい働きをして、特に地球に向かって人や荷物を運ぶときなどは、それは早いスピードで船を運んでくれたものでした。

「ちょっと待ってくれたまえ」役人はそういうと、黒い箱を持って、受付の部屋から姿を消し、数分後、透明な水晶の箱を持ってきて現れました。「天の国の月長石だよ。あそこの職人が魔法を念入りに行って作ってくれたものだ。地球玉を提出したものは、代わりにこれをもらえることになっている」透明な水晶の箱の中には、厚い月光をたっぷり吸いこんだ、小さな光る月長石の玉が入っていました。それは地球玉のような熱の光は持っていませんでしたが、静かにも清らかな白い光を濃く放っていました。役人はそれを、箱ごと少年に渡しました。

「ありがとうございます」少年は水晶の箱を受け取りながら言いました。そして役人に挨拶をすると、静かにガラスの扉から出て行きました。少年は船に戻ると、水晶の箱から月長石の玉を取り出して、それを手にとってしばらく眺めました。「地球玉とはまるで違うなあ。あれは怖いくらい迫力があったけど、これはなんだか、きれいな女性が静かに笑ってるみたいだ。…どんなものだろう、とにかく使ってみるか」彼は、操縦席の舵の真ん中に描いてある紋章の中に、その月長石の玉を放り込むと、呪文を唱えてみました。すると、船はまるで重さがないかのようにふわりと浮かびあがり、舵を勝手に回して、船を動かし始めました。少年は、「おおっと」と言いながらあわてて舵を握りました。「お、軽いや」言いながら彼は舵を操りつつ操縦席にある幾つかのスイッチを押しました。すると船は彼の命令に従い、羽根のように軽く、月の風の中を飛んでゆきました。「…へえ、これもいいや」少年は満足して笑い、船のスピードを上げ、露草色の村に向かって、静かに下りてゆきました。

地球玉を受け取った役人は、お役所の中の廊下を何度か曲がり、奥の階段を上り始めました。そして最上階にある小さな扉の前に止まると、少々発音の難しい呪文を唱え、自分の名と要件を述べました。すると、扉は開くこともなく、中から一人の女性役人が扉を透いて現れて、役人の差し出した黒い箱を受け取りました。「では、頼みます」役人が言うと、女性役人は小さく頭を下げ、「わかりました」と答え、また扉の向こうへ、扉を開くこともなく、入って行きました。役人は、女性役人が消えていったのを確かめると、黙って扉に背を向け、自分の仕事場へと帰ってゆきました。

その部屋は、聖者以外の男性は決して中に入ってはならない部屋でした。黒い箱を受け取った女性役人がその中に入ると、そこには何人かの高い力を持つ女性役人がいて、それぞれに、知能器の前に座ったり、帳面に銀のペンでしきりに何かを書いていたり、月長石に吸い込んだ月光に呪文を振りこんではしきりに光の糸をひきだし、それで何かを編んでいたりしていました。

「新しい地球玉がきたわ」黒い箱を持った女性役人が言うと、ほかの女性役人たちが一斉に彼女を振り向き、それぞれの椅子から立ち上がって彼女の元に近寄り、箱の中の地球玉を覗きこみました。

「まあ、これはまた、変わってるわね」「ええ。前にここに来たものは、いつだったかしら」「ひと月前よ。あのときの玉はまだ、こんなに熱くはなかったし、震えてもいなかったわ」「…まるで、何かにおびえているみたい」

女性役人たちは、地球玉を取り囲んでしばし会話を交わしたあと、熱い地球玉には触れることなく指で魔法を起こして箱からふわりと取り出し、それを宙に浮かせたまま運んで、部屋の隅にある祭壇のような形をした大きな知能器の前の台に置きました。別の女性役人が、清めの呪文をつぶやきつつ、ある一連の詩のような複雑なパスワードをキーボードに打ち込みました。すると知能器の大きな画面に、緑の光を放つ美しい神の紋章が現れ、女性役人たちはその紋章の前に一斉に頭を下げ、祈りを捧げました。

「清らかにもお美しき神の御心に感謝します。愛なる光にとことわの栄がありますように」女性役人たちが紋章に向かって深く礼儀をすると、台の上で震えていた地球玉が突然鋭い光を放ち、悲鳴を上げるような、きぃ、という音を上げて、かちんとひび割れ、だんだんと光を弱めながら、小さくなり始めました。

一定の儀礼を終えると、女性役人はまた深く神への感謝を表し、再びキーボードを打って、神の紋章を消しました。そしてひび割れて小さくなった地球玉に、おそるおそる触り、手にとりました。玉は、ひび割れながらも、まだかすかに内部に光をともし、それはじくじくと痛む傷に耐えるかのように、点滅を繰り返していました。

「…ひびが入ったわ。これは何のおしるしかしら?」「わたしたちに、わかることではないわ。神が教えて下さらない限り。…推測はできるけれど」「ええ、おそらく地球玉は、今の地球に、何らかの筋道を通って共鳴しているのよ。水晶球を全て埋め終わってからよ、地球玉がこんな風になりだしたのは」

彼女らの仕事は、この地球玉のように、清らかなものと汚れたるものの複雑に入り組んだ、普通の魔法ではなかなか手に負えない汚れを、神の紋章の力を借りることによって清めることでした。今の地球上には、一言汚れといっても、さまざまなものがあり、一見清らかに見えるものが、奥の奥に恐ろしい汚れを秘めていることがあるものなどが、たくさんありました。それは時々、罪びととともに月の世に持ち込まれ、所々で人の目をくらまし、さまざまな害を及ぼすことがあったのです。

女性役人の一人は、とにかくひびの入ったその玉を、透明な水晶の箱に入れ、日付と採取した場所、測定した光度や清めの印などを書いたシールを箱に貼り、部屋の奥にあるもう一つの部屋の扉を開け、その中に入っていきました。数人の女性役人もその後を追いました。奥の部屋には、棚の上に、水晶の箱に閉じ込められた数々の地球玉が、見えやすいように斜めにたてかけられ、日付の順に並べられていました。

女性役人たちは、ひびの入った地球玉を、棚の一番端に立てかけると、呪文をつぶやいて手の中に帳面を出し、そこに書いてある地球玉の観察記録に目を通しました。そして棚に並んだ地球玉を注意深く観察していると、日を追って、地球玉がだんだんと小さくなり、光を弱め、代わりに何か、分厚い影のようなものが、表面に現れてきているのに気付きました。「これは何?」ひとりの女性役人が言いました。「玉の奥に潜んでいた地上の汚れが出てきたのね。普通は玉そのものの熱や光で常に浄化されているはずだけれど」「神の浄化を受けるとなぜか光が弱まって、汚れの方がきつく表面に出てきてしまう」「そうね。水晶球は確かに、何らかの影響を地球に及ぼしているのよ。それで神の浄化を受けると、地球の真実がこの小さな地球玉に見えてくるんだわ…」女性役人たちは会話を交わしながら、帳面に新たな観察記録を記すと、それを手から消し、奥の部屋から元の部屋へと戻りました。

「準備は着々と進んでいる」突然、ひとりの女性役人が、自分でも思いもしなかったことを、何かに操られたかのように言いました。ほかの女性役人は一斉に彼女を見ました。彼女らにはわかっていました。神が彼女の口を動かしたことを。こういうことは、この部屋では珍しくありませんでした。女性らしいきめ細やかな霊感を持ち、神のために己の座を空けることをしなやかにできる彼女らの魂には、あまりにも透明で傷つきやすい清らかな神の御手が、傷つくこと少なく、同じ段階の男性よりもかなり簡単に触れることができるからです。

「準備は着々と進んでいる?」ほかの女性役人が繰り返して言いました。だれかがため息をつき、額をもみながら、しばし何かを考え込んだかと思うと、指をぱちんと弾き、一息呪文を唱えて、部屋の真ん中の中空に、地球の幻を描きました。他の女性役人たちもそれを見つめました。女性役人たちは、地球の幻をくるくるとまわしながら、しばしその様子を観察していました。「埋められた水晶球によって、地球上の影が、清いものと分別されはじめているのだとすれば、地球玉の変化も納得いく…かしら」一人の女性役人が言うと、隣にいた女性役人が首をかしげつつ、言いました。「わからないわ。神のなさることは、理解できないことが多すぎる。こうして見たところ、地球上にあまり変化が見えるとは思えないけれど…」

と、ある女性役人が、ふと何かの霊感に打たれて、片方の瞳を紫色に変え、通常とは違う瞳で地球を見てみました。「待って、ちょっと地球を止めて」その女性役人が何かに気づいて言うと、目の前でくるくると回っていた地球が止まりました。「見て、ここ」彼女は指から光を出し、地球上のある一点を差しました。「水晶の陣の相当近くにあるところ。目に見えない火山がある」すると他の女性役人たちは、彼女と同じように片目を紫色に変え、その一点を見てみました。「まあ、ほんとう!」「これは、普通に見ていてはわからないわ!神のお導きね!一体なんなのかしら?」「活動をしているわけではないみたい。いや、まだしていない、というべきかしら」「ほかにはないかしら。探してみましょう」
女性役人たちはまた幻の地球を回し、同じような見えない火山がないか、探し始めました。そうして彼女らが地球を注意深く観察していくと、まだ火山というよりはその萌芽というべき透明な盛り上がりが、水晶の陣の近くに七つほど、現れているのがわかりました。
「おお!」と、彼女らは感嘆の声をあげました。「神はおやりなさっている!」「確かに、神の御業だわ。なんてことなの。これはどういうことなの?」

ひとりの女性役人が、知能器の前に座り、先ほど発見したばかりの、地球の見えない火山のデータをかき集め、知能器に放り込み、人類の進化度数と罪功数、そして地球玉の変化データを振りこんで分析を始めました。彼女はキーボードをカチカチと打って魔法計算をしてみましたが、知能器はある程度まで計算を進めたものの、突然硬い壁にぶつかったように、こん、と音をたてて画面が真っ白になり、「接触不可能」という青い文字が点滅しました。

「接触不可能?」「聖域だわ。これは、触れてはいけない神の秘密なのよ」「わたしたちでも、だめなの?わたしたちは決して秘密をもらしはしないのに」「きっとだめなのよ。でなければ神は教えて下さるはず」

「ちょっと待って」知能器の前に座っていた女性役人が言いました。「見えない火山を、地球上の見える火山に比喩して計算してみる」彼女は、一番発達した見えない火山を知能器の画面に呼び、それに一番よく似た地球上の見える火山に比喩して、再び同じ魔法計算を試みました。知能器は、かなり強引な比喩をやらされて、幾度か戸惑い、奇妙な音を出して驚きましたが、十数分もかけてなんとか正しい計算結果を吐きだしました。それを見た女性役人は、まるまると目を見開いて、一瞬、あっと声を飲みました。

「…なんてこと!これがもし、本当に起こったら、地球人類は壊滅してしまう!」周囲がざわりとうごめきました。誰かが叫ぶように言いました。「うそ!そんなことはあり得ないわ。神は人類は滅びないとおっしゃっているのに!」「これは比喩よ。データだってまだ少なすぎる。でもなんでこんな結果が出るの?」「見せて、わたしにも」女性役人たちは、画面に映る計算結果を一斉に見つめ、ほぼ同時に驚きの顔を見せました。そして、震えながら口を覆い、あるいは額に手をあてて首を振り、あるいは指を組んで祈りの姿を見せ、それぞれに受けた心の衝撃を表面に表しました。

「…こんなことになるの?地球は」「これはあくまでも比喩よ。現実に起こるはずはない」「そうよね。神は決して、地球をお見捨てにはならない。けれど、もし神がお見捨てになったら…」「そう、きっと、こうなるのだわ…」女性役人たちは、神の真実の恐ろしさを垣間見てしまったことに身の縮むような戦慄を感じ、震えていました。

「あの見えない火山を使って、きっと神は人類をなんとか救うおつもりなのよ」ある女性役人が、一筋の光を求めるように言いました。それを別の女性役人が制して言いました。「待って、…これ以上深く探るのは、やめましょう。わたしたちは見てはいけないものを見てしまうかもしれない」すると、皆はそれに一斉にうなずきました。しかし彼女らは、ショックから抜け出すことができず、茫然と息を飲み、苦しそうに顔を歪め、地球の幻を見つめました。

「なんてことをしたの!あなたたちは!」一人の女性役人が、青い地球の幻に向かって激しくどなりつけました。彼女は悔しそうに歯を食いしばり、ぽろぽろと頬に涙を流していました。
「こんな、こんなことになっているなんて……」彼女は手で顔を覆い、とうとう声をあげて泣き始めました。ほかの女性役人たちは困ったように顔を見合わせ、とにかく彼女の周りに集まり、なだめるように言いました。

「大丈夫、幻よ。全ては、計算上の幻」「そうよ。比喩だと言ったじゃないの」「でも、現実に起こっても、不思議ではないことなのね」「ええ、計算上に、神の愛という絶対のXがなければ」「…信じましょう、神を。神がわたしたちを裏切るはずがない。でなければ、なぜ今まで、わたしたちが地球のためにがんばってきたのか、わからない」「そうよ。真実は幻とは全く違う。神の真実はいつも、わたしたちの計算と予測をはるかに上回るもの」「愛が、人類を見捨てるはずはない」

女性役人たちは、泣き濡れている彼女を真ん中に、まなざしを交わしあい、手を取り合い、お互いの心を確かめました。やがて泣いていた彼女もその心に響き、「神よ」と天を見上げて指を組み、「地球をお救いください」と祈りました。

女性役人たちは、この部屋で見つけた透明な火山のことも、また幻の比喩計算の結果のことも、部屋の外の誰にも漏らさないことを、決めました。そして、必ず、皆でできる限りのことをして地球を助けようと、誓い合いました。

部屋の真ん中に浮かぶ幻の地球は、独楽のようにくるくると回りながら、何も聞かなかったかのような振りをして、冷たく覚めた幻の心を、彼女らの涙から背けていました。


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