
似ていません。この絵は、色っぽいお姉さんという感じですが、萩尾の描いた阿修羅王は、もっと子供っぽく、少年のような感じです。相変わらず、記憶だけをたよりに、自分の好きなように描いて楽しんでいます。
阿修羅王は、光瀬龍の書いた小説を原作に、少年誌に連載した作品、「百億の昼と千億の夜」の主人公です。キャラクターのモデルは、興福寺の阿修羅王立像なのではないかと思います。
釈迦、アトランティスのオリオナエ、弥勒など、壮大な名前が並び、物語は宇宙の真相、神の真意などと、苦しいテーマをかかげていますが、今読むと、その当時の人間の魂が、社会の激しい嘘にさいなまれているという告発を、仮構の中に隠して訴えている作品の一つだと考えられます。
開発と称してすべてを滅ぼそうとしている、「シ」の真意を見抜き、絶望的な戦いを挑む、阿修羅王。「シ」は、宇宙の支配者かとさえ思われる、大きすぎてなぞに満ちた存在。権力の一切を掌握している。
「シ」との戦いの一切に敗れ去った阿修羅王は、ともに戦った友人をすべて失い、孤独におちる。そして宇宙の滅びの岸辺で、彼女は「シ」ではない、なぞの存在に出会う。
「わたしは、天輪王だ」
それは、「宇宙」そのものとの出会い。「シ」にとって、宇宙は、ただの「炉」に過ぎなかった。だのに、その炉に「それ自身」というものがあった。宇宙自身、宇宙そのもの。その存在を、「シ」は知らない。
阿修羅王は、再び、歩き始める。ただ一人で。
愛しているといいながら、すべてをうばうものがいる。お前たちは阿呆だ、とるに足らぬものだ、だからおれが何とかしてやるといいながら、すべてを苦しめているものがいる。彼はその嘘を見抜くものを、徹底的に叩き潰す。
萩尾望都はそれに敗れ去った。だが、阿修羅王は再び、絶望的な戦いを挑む。すべてをうばわれ、ただ一つだけ自分の下に残ったもの。本当の「自分自身」だけを、ともにして。
阿修羅王は、光瀬龍の書いた小説を原作に、少年誌に連載した作品、「百億の昼と千億の夜」の主人公です。キャラクターのモデルは、興福寺の阿修羅王立像なのではないかと思います。
釈迦、アトランティスのオリオナエ、弥勒など、壮大な名前が並び、物語は宇宙の真相、神の真意などと、苦しいテーマをかかげていますが、今読むと、その当時の人間の魂が、社会の激しい嘘にさいなまれているという告発を、仮構の中に隠して訴えている作品の一つだと考えられます。
開発と称してすべてを滅ぼそうとしている、「シ」の真意を見抜き、絶望的な戦いを挑む、阿修羅王。「シ」は、宇宙の支配者かとさえ思われる、大きすぎてなぞに満ちた存在。権力の一切を掌握している。
「シ」との戦いの一切に敗れ去った阿修羅王は、ともに戦った友人をすべて失い、孤独におちる。そして宇宙の滅びの岸辺で、彼女は「シ」ではない、なぞの存在に出会う。
「わたしは、天輪王だ」
それは、「宇宙」そのものとの出会い。「シ」にとって、宇宙は、ただの「炉」に過ぎなかった。だのに、その炉に「それ自身」というものがあった。宇宙自身、宇宙そのもの。その存在を、「シ」は知らない。
阿修羅王は、再び、歩き始める。ただ一人で。
愛しているといいながら、すべてをうばうものがいる。お前たちは阿呆だ、とるに足らぬものだ、だからおれが何とかしてやるといいながら、すべてを苦しめているものがいる。彼はその嘘を見抜くものを、徹底的に叩き潰す。
萩尾望都はそれに敗れ去った。だが、阿修羅王は再び、絶望的な戦いを挑む。すべてをうばわれ、ただ一つだけ自分の下に残ったもの。本当の「自分自身」だけを、ともにして。
記憶で言ってるので、実際は違うかもしれませんが。
この記事に書いているのは、わたしなりの解釈であって、読み方は人によって違うと思います。
この作品が発表されたのは、80年代だったかな。わたしは高校生くらいだったと思う。自己否定感の暗闇の感触が、まだはっきりとはわからなかった頃です。ただただ息苦しかった。
わたしにとって、萩尾望都は、ただひとりの心の教師でしたね。だれも教えてくれなかったことを教えてくれました。
詩 師 氏 死 詞 子 史 視 子 志 自 四 私 歯 使 支 始 示 司 獅 試 祉 思 糸 紫 梓 仔 姉 姿 屍 巳 指 止 矢 砥 至 弛 旨 施 嗣 覗 茨 祇・・・・
シという音にはいろんな文字があてられているのですね。
「始」は気がついたら「私」になっていたのかもしれないと
一人問答です。
百億の・・・はわたしも思い出深い作品です。でも読むのが苦しいのは、思い入れが辛すぎるところにあるからでしょうね。
本屋さんで、萩尾作品を見かけるたびに、胸が苦しくなるんですよ。
若い頃の苦しさが、よみがえってくるからだと思います。
だから、できるだけ見ないようにしているのだけど、やはり忘れられなくて、こうして記事に書いてる。
萩尾望都は、そういう作家なんだと思います。
久しぶりにブログを見回している所です。
リニューアルしたんですね、僕のほうなんかほったらかしでした。あんなに応援してもらったのにごめんなさい。
百億の・・は16~17才の頃SFにどっぷりと浸かっていた頃、何か夢の中にいるような感覚で読みふけっていたのを思い出します、仏教のことなど全然知らなかったので、、なぜか10年おきぐらいにこのタイトルを耳にするので不思議な感じがします。