公園の外に出ると、道行く人の詰めた視線がわたしを襲うのを感じた。子供を抱いた母親は、いそいそとわたしの前から走り去り、犬をつれた老人はこれみよがしに鼻をつまんだ。わたしは間違って明るい所に出て来たモグラのように、こそこそと逃げ出した。
古い建物の並んだ細い路地の一つに入ると、わたしはどぶ川にかかった橋の陰に隠れた。バッグの上に座って一息つくと、かゆい頭をばりばりとかいた。見ると、何日も洗ってない髪や髭には蠅がつきまとい、手の爪には黒い垢がたまっていた。洗剤の泡が流れる川面を見ながら、わたしは、衣服を通して感じる外気の冷たさのように、今の自分の惨めさをひしひしと感じようとしたが、何やらばかばかしくなって、やめた。抱き締めたひざの上に顔を埋めると、わたしはもう何も考えなかった。どぶ川の上の風は奇妙に生暖かかった。
わたしは、日が暮れるまで、何も食べずにその場所で過ごした。暗くなってから、萎えた気力をようやく振り絞って立ち上がり、足を引きずりながら公園に戻った。そして、水を吸った雑巾のようにベンチに倒れ込んだ。も、ゴミ箱をあさる元気さえ、わたしにはなかった。
ふと、わたしは、このまま餓死してしまおうか、と思った。今の自分に残された道は、それだけしかないではないか。
わたしは、目の前の、吐き出しそうなほどゴミを食ったゴミ箱を見た。するとなぜかしら、わたしはおかしくなった。声にならない笑いがわたしの肩をつき動かし、しぼりだされたべたつく涙がまつ毛にからんだ。何がおかしいのか、わからなかった。虚ろな、かすれた声が、まるでどこからか吹いてきた見知らぬ風のように、わたしの耳に届いた。静けさが、わたしの笑いを飲み込み、一息起こったわたしの病的な熱を冷ますまで、わたしは笑い続けた。
深海に取り残された危うい泡の中で、辛うじて生きている虫のように、わたしは今、絶望にあえいでいる。何もかもが自業自得なのは、もうわかっている。これは、ほかでもない、わたし自身が選んだ道なのだ。だのにわたしは、心のどこかで、なにか奇跡が起こりはしないかと、だれか自分を助けてくれる人がいないかと、考えているのだ。
ふと、足元に白い光が走った。わたしは何げなく足元を見た。ぼんやりと白く光るホタルイカが、ふらふらとベンチの足にまとわりついていた。わたしはもう驚かなかった。
静かな、透明な、水面が、いつの間にか、わたしを包んでいた。わたしは上を見た。巨大な菱形のエイが、音も立てずにひらひらと飛んでいた。遠くモミの木のこずえの向こうに目を移すと、無数の銀色の木の葉のようなイワシの群れが、ぐるぐると激しく渦巻いていた。虹色に光細い骨と透明な蛋白質だけでできた小さな深海魚が、わたしの鼻先をひるひると震えながら横切った。
(洋子……)
わたしは目を閉じた。そして、今までけっして開こうとしなかった思い出のバルブをいっぱいに開けた。胸の奥から、切なく苦い潮の流れが溢れでて、わたしを飲み込もうとしたが、わたしはもう抵抗しなかった。
「ここはね、海の底なのよ……」
少女の声が、耳元で鳴った。わたしは目をあけた。洋子の瞳がすぐそばで笑っていた。
わたしは、この少女を知っていた。彼女は、わたしが小学校六年の時の同級生だった。いつも、粗末なみすぼらしい服を着て、時々穴のあいた靴下をはいてきたりしていたが、洋子は、その頃のわたしが知っている少女の中では、一番きれいな少女だった。つやつやの黒髪の下の白い顔に、くっきりと黒く描かれたつるりとした瞳が、まるでぴかぴかに磨かれた黒曜石のようで、わたしはいつも、遠くから隠れるように、彼女を見つめていた。時々目があったりすると、覚えず心臓が飛び上がって、あわてて目をそらしたものだ。だが、そのときの彼女の瞳はわたしの胸から消えないで、しばらくの間、かすかな温かみをともなったときめきが、わたしの胸の内側を打ち続けた。
彼女と友達になることができたら、どんなにいいだろう。わたしは勉強ができるから、宿題を教えてあげてもいい。家に招待して、自慢のラジコン飛行機を見せてあげてもいい。わたしの宝物だった、秘密の懐中時計を見せてあげてもいい。だが、そんなひそかなわたしの思いを、わたしはだれにもうちあけることができなかった。わたし自身でさえ、わたしが洋子のことを好きだということを、だれにも知られたくないと思っていた。なぜなら、わたしの母親の言葉をかりると、彼女は、いかがわしい商売をしている女の生んだ、私生児だったからだ。
洋子には、友達なんか一人もいなかった。いつも一人で、教室のすみっこに立っていた。担任の教師が、日ごろ口をすっぱくして言っている、平等論とか、道徳とかいうものの手前、クラスのみんなは大声では言わなかったが、陰ではこそこそと、ある悪意のこもった冷たい噂を流すやつらがいた。子供の頃は半分も意味がわからなかった彼らの言葉も、今になってみればわかる。わたしたちは、何とひどい言葉で彼女を傷つけ続けていたことだろう。
クラスの皆にいじめられても、洋子はめったに反撃しなかった。いつも悲しそうな目をして引き下がり、いつのまにか皆の前からいなくなっていた。わたしは一度、洋子が学校の裏門近くの木の陰にしゃがんで、声もあげずに泣いていたのを、見たことがある。わたしは、学級委員長の義務にかこつけて、彼女に近づこうとしたが、その時、彼女の着ていたブラウスが引き破られたように乱れているのに気がついて、覆わず逃げ出していた。何だか、見てはならないものを見てしまったような気がした。そしてそれからしばらくの間、良心の呵責と良からぬ想像がわたしにつきまとい、わたしは勉強が手につかなくなった。
わたしは、教室の中では、一度だって彼女に話しかけたことはなかった。だけど、ただ一度だけ、言葉を交わして、不思議な時間を共に過ごしたことがある。
あれは、わたしが、生まれて初めて父や母を裏切って、塾をさぼった日のことだった。わたしはその頃ある有名な私立中学を受験するために、毎日勉強をしていたのだが、洋子のことが気になり始めてから、成績が思うように伸びなくなっていた。
点数のよくない答案を見て、母は小言ばかりわたしに言い続けた。
どうしたの。あなたらしくないじゃないの。前はこんな点数とったことなかったのに。先生の教え方が悪いのかしら。塾を変えてみる? ああ、こんなの恥ずかしくてお父さんに見せられないわ。
父は不機嫌になり、夕食の時もあまりわたしにものを言わなくなった。夜わたしが自室に上がった後、父が、わたしの成績を材料に母にどなりちらしているのを聞いたときは、いたたまれなかった。何もかもが自分のせいなのだと、わたしは思い込んだ。もっと勉強しなければ、お母さんがお父さんに起こられる。もっと勉強しなければ……
だけど勉強漬けの毎日の中で、水の中でおぼれかけている金魚のように、わたしは息がつまりそうだった。学校の友達が、きゃあきゃあと騒ぎながら外で遊んでいるのが、わたしにはきらきらまぶしく見えた。わたしも皆と一緒に、外で思い切り走りまわりたかった。できることなら洋子と……。洋子と一緒なら、わたしはどんなことだってできるのに。柿の木に登って一番高い所の実を取ってやる言だって、裏のどぶ川を飛び越えることだって、学校の池に棲んでる鯉をつかむことだって、何だってわけなくできるのに。だけどわたしは、家にとじこもって勉強しなくちゃいけない。
そんな焦燥感にたえきれなくなったわたしは、ある日とうとう、英語塾をさぼり、自転車を走らせて、学校の裏手の山の中に逃げこんだ。
(つづく)