世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2011-11-18 07:14:22 | 月の世の物語

森の奥に、一頭の一角獣がおりました。一角獣は森をさまよいながら、虹色の角を響かせ、笛の調べのような不思議な音楽に、森の風を導いておりました。

月から役人が降りてきて、一角獣の様子を見にきました。こんな清いものがどうしてこんなところに来たのか、とにかく月の世に神獣がいることは、役人をたいそう困らせました。少しでも彼を汚すようなことを言えば、神獣は深い傷を負い、そのまま溶けた光となって、元々すんでいた世界へと帰ってしまうのです。それは人間にとって大きな罪でした。決して汚してはいけないものが、愚か者の多い月の世にいては、たいそう大変なのです。

役人は考えた末、罪の軽い者の中からだれかを選び、彼の世話をさせることにしました。そこで脇に抱えていた帳面を開き、さて誰がよいかとささやきました。するとたくさんの名前の中で、一人の女の名前が朱色に光りました。

早速女は役人に呼ばれ、森へと連れてこられました。女は生きていたころ修道女でしたが、一度だけ神を裏切り、自らの得のために嘘をついたことがありました。その小さな汚点を、彼女はひどく悔み、死ぬまで忘れることができませんでした。そして死んでからさえも、罪びととして自ら月の世に向かい、毎日布を染めて暮らしていました。

彼女は役人につれられ、一角獣を見にゆきました。彼は、森の中の小さな池で、月光の溶けた水を静かに飲んでおりました。女は一角獣の神のように美しい姿に息をのみました。彼は全身白く、角は澄んだオパールの貝のように長く細く、瞳は凍った水晶のように深い深い青なのでした。風が吹くと角は笛のような音を鳴らし、美しい音楽は彼女の胸をやさしく抱き、そのあまりの幸福に彼女は涙を流しました。そうして神獣は、いっぺんに彼女をとりこにしてしまったのです。

女はその日から、一時も一角獣から離れることはなく、世話をし続けました。世話をするために必要なことは、役人が教えてくれました。一角獣の周りには、汚れたものが近寄らないように、役人によって結界が張られておりました。彼女はその結界が壊れないように、七日おきに指定された位置に薬をまき、香を焚きました。

一角獣は、彼女がずっと自分のそばにいることに、はじめは気付いておりませんでした。角で歌うことが好きで、その音が森の心に響き、大地の真珠を清めていく天然の仕組みの麗しさに、酔いしれていたためでした。しかしある日、突然自分の角の歌に合わせて、誰かがおずおずと声を合わせて歌っているのに気付きました。見ると、自分の後ろに、ひとりの人間の女が立っておりました。彼は最初、戸惑いましたが、女が善良で清い言葉を使うことがわかったので、何も気にすることなく、彼女がそこにいることを許しました。

長い長い間、女は一角獣の世話をし続けました。そのうちに、彼は彼女が自分に触れるのを許してくれるようになり、女は悦んで彼のたて髪にさわり、それを櫛といて、きれいに編みあげました。彼は心やさしく、彼女が彼の背中にもたれて眠ることさえ許してくれました。女は、いつしか、昔のことも、何もかも忘れていました。そしてどれくらいここにいるのかさえも、忘れてしまいました。ふたりでいるだけで、すべては美しく幸福でした。

しかし、別れのときは突然やってきました。ある日目を覚ますと、彼は姿を消していました。彼女は青ざめて結界の中を捜しまわりましたが、彼の姿はどこにもありませんでした。女は細い悲鳴をあげ、地にうずくまり、顔を伏せて泣きじゃくりました。泣きながら彼女は、指に小さな銀の指輪があるのに気付きました。

月の役人が降りてきて、彼女をなぐさめ、わけを話しました。「ここでの仕事をすべて終えたので、故郷に帰らねばならなかったそうだ」役人は呆けている彼女に、ひとくさりの呪文をとなえながら、彼女の額に指で小さなしるしを書きました。すると女は、再びすべてを忘れ、きょとんと地面に座っておりました。

長い間、清いものを守っていた森は、いつしかその性質を深く変えておりました。ひそやかに降る月光は、楽器を奏でるように、この世にあるはずのない澄んだ言葉のものがたりを、木々に語らせました。それは聴く者の胸を清める、美しい恋のものがたりでした。



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