天の王様のお宮のそばには、花々に囲まれた小さなお庭があり、今そこでは、天女たちによって、王様のための奏楽が行われていました。彼女らはそれぞれの楽器をとり、合奏の美しさに、月光に溶けてゆくかのような幸福を感じながら、それぞれの旋律を奏でていました。
ふと、琴を弾いていた、中で一番姉役の天女が、気配に気づき、言いました。
「みなさま、おやめください」その声に、天女たちは一斉に演奏をやめ、姉役の天女のお顔を見ました。彼女の名は梅花の君といい、天の国の天女たちをまとめる長の役目もしておりました。彼女はやさしくも厳しい声で、少し声を低め、天女たちに言いました。
「王様はお眠りになりましたわ。みなさま、静かにいたしましょう。今宵はもう奏楽をやめ、それぞれのお仕事におつきください」。
「まあ、またお眠りになったのですか?」「このごろ王様は、よく奏楽の途中で眠ってしまわれること」天女たちはしばしさわめきましたが、すぐに梅花の君の言に従い、それぞれ別に持っている自分の仕事のもとへと、帰ってゆきました。
梅花の君は、王様のお宮をちらりとごらんになり、王様が椅子に座って、ひじをついて頬をささえながら静かに眠っているお顔をご覧になりました。
(また、夢の世界に、ゆかれてしまったのね……)梅花の君はそう胸の中でささやくと、すぐにお宮を離れ、自らの持つ機織り小屋へと飛んでゆきました。
その頃、王様は、夢の中で、はるかかなたまで続く、一面の白い雲の原にいました。空には月も日もなく、ただ無数の宝石のような星々が、黒い空に渦をまきながらゆっくりと動いていました。王様は、そこでは、十二くらいの子供の姿になっており、その目の前には、一本の大きな緑の木が、真っ直ぐに立っていました。その木の根元には、ちょうど子供が入れるくらいの洞(うろ)があり、その中には、不思議に翡翠色に光る、布袋(ほてい)の石像が鎮座していました。
王様は、雲の上に正座すると、背筋をまっすぐに伸ばしてから、ゆっくりと膝の前に手をつき、布袋の像に向かって、深くお辞儀をしました。すると布袋の像の口から、ひとくさりの詩のような不思議な音韻が流れました。それは、神しか知らぬ、王様の真の名でした。王様はそれに顔をあげ、はい、と返事をしました。布袋の石像はつやつやと星光をまといながら、深くも慈愛に満ちた声で言いました。
「わが子よ、精進しておるか?」すると王様は、少年ながら確かな自信のある声で答えました。「はい、日々、学んでおります」。すると布袋の像がまた言いました。「では試すぞ?」王様もまた、「はい」と答えました。
「まず最初に聞く、子よ、『愛』とはなんぞな?」すると王様はすぐに答えました。
「はい、『愛』とは、すべてです」すると布袋は少し光を強め、「おお、良い子じゃ、そのとおりじゃ。では次に聞く、『悪』、とは?」「はい、『悪』は、存在しません」布袋はさらに輝き、王様の答えを悦びました。天に回る星の下、静かな問答がしばし続きました。
「では聞く、おまえは、だれじゃ?」王様は間髪なく答えました。「はい、わたしは、わたしです。そして、わたしは美しく、とてもすばらしいものです」。
「おお!」と布袋は歓声をあげるように言いました。
「では子よ、また聞く。おまえは、できるか?」「はい、できますとも」。
「道は困難に満ちている。いや、困難などというものではない」「はい、存じております」。
「おまえは、それが、やれるのか」「やりますとも」。
「なぜやるのじゃ?」「はい、神がそうおっしゃるからです」。
「なぜじゃ? なぜ神の言うことをきく?」「はい、なぜなら、わたしは、神を愛しているからです」。
すると布袋はしばし沈黙し、目に星のような涙を灯しました。その光は布袋の像をつるりと流れ、雲海の中に魚のように溶けていきました。
「わが子よ」と、布袋は深い悲哀に満ちた声で言いました。涙があふれ、布袋の像はがくがくと震えていました。「すべての神がおまえとともにある」布袋は言いました。王様もまた、いつか涙していました。王様はしばし言葉につまり、腹から絞り出すような声で「はい、ありがとうございます!」とようやく答え、深くお辞儀をしました。
「ではしばし、眠れ」布袋は言いました。すると王様は返事をする暇もなく、ことりとそこに倒れ、すぐに寝息を立てはじめました。空の上では、無数の星が、ゆっくりと傾きながら、無音の巨大な音楽で、彼の夢の中に、語りかけていました。
王様はふと、目をお覚ましになりました。いつしか天女たちの奏楽は止み、あたりは静まりかえっておりました。王様はしばしぼんやりと宙を見つめたあと、静かに椅子からお立ちになり、お宮から外にお出になりました。
空を見ると、今宵は望月でした。天の国は、よほど月の近くにありましたが、地上のように普通に月は満ち欠けしました。彼はふと醜女の君のことを思いました。「今宵は望月か、醜女の君はさぞ忙しかろう」王様は月を見上げながらおっしゃりました。
その頃醜女の君は、王様の思ったとおり、水盤に映った月光をすくい、額に汗しつつ、せっせと月珠を作っておりました。彼女は近頃、仕事が楽しくてなりませんでした。月の世の者みなが忙しく、たいそう月珠を必要としておりましたので、それはたくさん作らねばならなかったからです。
「ああ、これだけあれば、どれだけの人のお役に立てるでしょう!」醜女の君は汗をふきつつ、樽一杯に作った月珠を見て、うれしそうに、言いました。