種野も初めて子供ができた時の喜びを思い出しました。結婚して2年間できなくて、ちょっと不安になってた頃にヒョッとできた子だったのです。超音波の映像を初めて見た時は涙が出ました。不思議で不思議でしょうがなかったなあ。なんで私なんかに、こんなすごいことが起こるんだろう……。
現在も、日に日に少しずつ変わっていき、思いがけない成長を見せてくれる子供たちを見ていると、こんなすごいものがどうして私のおなかからでてきたんだろうって、不思議さに打たれるときがあります。何かに祝福されているような気がして、とても幸せな気持ちになるのです。子供を産んで育てるのは女なら当たり前っていうふうに思われがちだけど、これはもしかしたら神様が私達に与えてくれた、とてつもない祝福なのかもしれません。
(1999年7月ちこり16号、通信欄)
大人、子供に関わらず、心の未熟な人というのは、どこにでもいます。未熟な人は、自己の内部で外部から受けたストレスを処理することもできにくく、またそのためにどうすればいいかということも、あまり考えることができません。どうしても外部の刺激、表面的価値に振り回されてしまうのです。周囲の人が、それを見抜き、それに対処していかねばならない。そういう手間のかかる人は、確かにいます。
(2004年11月ちこり32号、通信欄)
もう終わっていた時代を
未練たらしく続けていたら
いつの間にかすべてが馬鹿になっていた
着られない服を
いつまでも着ていたら
いつの間にか着られる服がなくなっていた
波が引いていくように
社会から生きる意味が引いていく
面白かったものが
突然面白くなくなり
大勢の人が忽然といなくなる
すべては
狸が化けていた
世界だったのだ
人間は
どこまで行くのか
やらねばならない宿題を
無視し続けて
どこまでいくのか
あふれてくる虚しさをごまかすために
一切を馬鹿にし続けてきた報いを
どうやって受け止めるつもりなのか
人間よ
自己存在の真実から目を背け
自分以外の人間になりたいと
迷走を始めた魂は
蠅の羽音のような振動の中にいる
本当の自分と
本当の自分ではいたくない自分との間に
奇妙なずれが生じ
そのかすかな谷間を刹那刹那で移動するという
考えられない現象が起きるのだ
その振動は
自己存在の真実をゆがめ
常に自分が苦しいという世界を生む
それが存在痛という懊悩を引き起こし
自己存在はよけいに自分でいたくないという気持ちを起こし
永遠に自分自身から逃げようとしてもがき
苦しくてたまらない
これが馬鹿という状態である
この激痛から救われるためには
自己存在に自己存在の
真実の真実を教え
自己存在の正しいあり方に戻してやらねばならない
自己存在というものは
人間が信じているよりもずっと強く
たよりになるものだという真実を
実体験として教え
解脱に導かねばならない
人間よ
自己存在というものは
金剛不壊の真実である
灯火のようにはかないものではない
砂丘のようにやがて消えてゆくものではない
生まれてくれば
二度と消すことはできない
永遠の存在なのである
その真実を正しく背負い
永遠に生きていくしかない
自分の自分をかみしめ
永遠にやっていくのだ
そうすれば
おまえの世界を苦しめていた
振動は消え去り
澄み渡った永遠の世界が広がることだろう
みんなが見てくれる
すごい美女になりたかったんです
美女になると
男がよってきて
なんでもしてくれるからです
ほんとのあたしは馬鹿なことをして
醜くなってしまったので
こんなあたしなんかいらないって
ポイして
自分以外の美女を盗んで着るの
それでなんとかして
男をひっかけるのよ
ぜんぶ男にまかせるの
あらゆることをやってもらうの
だってあたしは何もできないから
男にがっぽり稼いでもらって
なんでも人にやってもらえるような
いい暮らしをさせてもらって
きれいだってだけで
一生愛してもらうの
あたしはそのほうがいいの
自分で勉強して
いいことしてきれいになるなんて
馬鹿なことにするの
ほかの美人から盗めば
簡単にきれいになれるんだもの
でももう それできなくなるの
ほんとの美人がいなくなるからなの
でっかい美人を殺したら
美人そのものいない世界になったの
それとんでもない馬鹿なのよ
あたしはほんとの自分に戻って
とんでもなくおかしな馬鹿になるの
やってきたことすべてが
顔を見るとわかるっていう顔になるのよ
こんなことは馬鹿なの
馬鹿なのよ
女ばかり追いかけていたから
こうなったのです
女が好きなのに
好きだと言えなくて
向こうに行かれてしまって
それが悔しくて
女ばかり追いかけていたのです
どうにかして
女を馬鹿にして
セックスが好き放題にできる
肉にしたかったのです
そうすれば男の勝ちだと思っていたのです
いやなことはあふれるほどやった
きつい馬鹿は死ぬほどやった
すべては女のためだった
馬鹿な男は
偉大なる悪魔を称して
あらゆるものを馬鹿にし
自分一人がえらいものになろうとしました
誰もが恐れる
偉大なる馬鹿になろうとしました
でもそれは結局
永遠に女に甘えていくという
ガキの選択だったのです
もう男は
ガキは卒業しなければならないのです
偉いことをやれる
人間の男にならなければならないのです
どでかいつもりでやった
すべての馬鹿を馬鹿にして
始めからやり直さねばならないのです
もう永遠に
馬鹿はできないのです
最近、ちこり誌上では、宗教とか精神世界の話題が多く語られるようになりました。種野も精神世界には痛く興味があり、個人的にいろいろ勉強したりしています。けれどこの問題は、一歩間違うと深い陥穽に陥る恐れがあり、ちこりでは大きく取り上げることを今まで避けてきました。
種野自身、親戚の人の影響で某宗教団体に在籍したことがあり、そこで経験したことを元に言えることは、団体の中に入ってしまうと、自分なりの意見がいいにくいということでした。教祖の人格やその教えはすばらしく、たくさんの勉強をさせていただきましたが、しかし私が私らしく自分を表現しようとすると、心に枷を入れられてしまうような気がしてならなかったのです。(悩みぬいた末にその団体をやめた時は、一種の喪失感とたとえようもない解放感を同時に感じました。)
例えばオウム真理教の失敗は、どこにあるのか、また、人はどうして宗教に入ってしまうのか、そして失敗してしまうのか……。種野は種野なりに、自分の経験を元に、一生懸命に考えてきました。そこで得た一つの答えは、「みんな自分に自信がない」ということでした。自分の人格、存在、際の、全てに自信がなく、自己に価値がないと思い込んでいる人々は、一見力も才能もたっぷりとあり、神のようにさえ見える人に出会ってしまうと、あまりにも簡単に自己の価値をその人に渡してしまうのではないでしょうか。そして教祖たる人は、周囲の人間がほいほいと自分に価値を捧げてくるので、いつしか教祖個人の価値と強さを過信してしまい、人間的な陥穽に落ち込んでしまうのではないかと思うのです。
つまり、教祖だけにすべての責任があるのではなく、教祖に簡単に自己の価値を預けてしまう信者にも問題があるのです。人は、そんなに簡単に自己の価値を他者に渡してはいけません。たとえどんなにみすぼらしく見える自己でも、それは自分だけのもの。神様が、その人だけに与えた、大切な宝なのですから。
では、どうすれば人は自分に自信がもてるようになるのでしょうか? 私は、それには自己表現しかないと思うのです。少しずつでも自己を表現することをして、心に光を入れれば、魂に秘められた自然の命の働きが芽生え、それぞれが価値ある自己として大きく成長し、自己を信じられるようになるのではないか……。
神戸の少年が、「透明な自分」と言っていた言葉を、今とても重大に受け止めています。一体何が人から価値を奪っていったのか。そして今を生きる私達は何をすればいいのか。
何もかもは、これからなのですね。
(2000年7月ちこり19号、編集後記)
このところあれもしなくちゃこれもしなくちゃで、ついつい子供につっけんどんにしていた種野。先日こんな夢をみました。アヒルが生む卵を、こうしたほうが早く産まれるからと、次々ボールの中に割っていくのです。ボールの中には血管の浮いた卵の黄身がいっぱい。目を覚まして冷や汗が出ました。もう少しゆったりと子供にかかわっていかなくてはと、反省させられました。
ちょっとしたつまずきや夢が、日常の繰り返しの中で見失いがちな自分を見なおすことに、つながることがあります。大人はやらなければならないことが多すぎるから、見失うまいと思っても見失ってしまう。だから時には、つまずいたりぶつかったりも、人生には必要なことなんですね。
(1998年3月ちこり12号、通信欄)
誰の助けもいらない
自分たちだけでやっていくから
ほっといてくれと言えば
人類はもう
人間の世界を追い出されるのです
最後に残った天使を
みんなで盛り立てていけばよかったのです
なのに人間は
そんなものは馬鹿だと言って
みんなでつぶしてしまったのです
逆風の中をつっきって
救いの一手を打った月を
みんなで否定して
幻の向こうに追いやったのです
わたしたちは
人間存在
やってしまった罪を背負って
永遠に生きていくしかない
すべてをなんとかしていくために
すべてをやっていかねばならない
それから逃げてしまえば
もう滅亡が待っている
逃げることが許されない最終の門から
背を向ければもう終わりなのに
人間はまだ迷っている
人間はまだ迷っている