中越沖地震の被災者の方々へ心からお見舞い申し上げます。
私は昨日のブログの「マニフェストの読み方」で地方分権について書いた。
書いている内に、地方分権→自主的な学校運営→日教組の連想から私の知人の旧日教組の先生の話をしたくなった。
<<ある教師の話>>
1.私の属しているある趣味のグループには非常な問題意識を持っている人達ばかりいて、良く趣味の話から脱線して政治や社会情勢、国際問題などの話題ど盛り上がることが多い。
話が学校や教育のことに及ぶと会員の元日教組出身と思われる教師がよく、国旗や国家に象徴される軍国主義化とか、文部省に対する条件闘争とか、教育委員会の管理体制と戦ったなどの話が出る。
然し彼の持ち出した話は、殆どの場合私を含めて皆からさりげなく完全に無視される。
何故なら彼は人間的に非常に立派な温厚な人で、それでいて他の趣味のグループを立ち上げて主宰したり、コミュニティー作りや国際交流などで頑張っていることを知っており、彼の言った事に反対などして彼の気分を壊して、脱会などさせたくないからだ。
2.私が元住んでいた地域に来たころは、町内会活動が盛んで、熱心な人達が行事をやや強引に進めた余り、町内がそれまであった、仲良しグループとそれに反対する人達のグループ、そして私たちなどそのどちらにも属さない人達と分裂して、町内の活動が沈滞してしまった。
そして輪番で日教組出身の元教師が町内会の幹部になって町内活動に止めを差す事になった。
彼が最初に行ったのは町内会運営規則の見直しだった。
その会則の最初に大日本国憲法の精神に則り と書き、後は平和的にとか民主的な運営とかの字句が散りばめられていた。
町内会の基本は「向こう三軒両隣、近所付き合いを大切」にだと思いませんか。
彼の就任以後は辛うじて続けられていた盆踊りは廃止、秋の文化祭は出品の激減で中止、それではと企画された町内での公園の花見も参加者希望者が殆どないまま。
町内活動はこうあるべきと信じて、(当時の誰もが認めたように)一生懸命やっている彼の活動は完全に空回り。
結局は、二カ月に一度の役員会が町内会の活動の全てだった。
この二つの例を見ても、日教組出身の教師の考え方は世の中の考え方と全く浮いた存在になっているのに気がつかぬまま、自分の考えに囚われている人もいるようだ。
<<「吊るし上げ」>>
あるブログを見ていたら、
学校の会議で日教組の教師の主張に反対した教師が会議後、日教組の教師達から別室に呼び出されて文句を言われたそうだ。それでもなお反対した教師が頑張り通したお蔭で学校が正常化された。
と書いてあった。
このように集団で一人の人をやっつけ、集団の意志に従わせる方法が、もう死語になりかかっているが、左翼系の人達が良く使った「吊るし上げ」だ。
日教組の組織率の高い広島県で民間から派遣された校長が何人か自殺した事実が報道されたが、何故かこれに対する日教組の関与の問題は殆ど報道されなかった。
然し、犠牲者の殆どが日教組による「吊るし上げ」 (彼らから言えば討論)の被害に逢ったに違いない。
余談ですが、あれだけの大問題である社保庁の年金問題に自治労の関与があれだけはっきりしているのに、ごく最近になってやっとマスコミに取り上げられるようになったのに良く似ていると思いませんか。
私が見たブログは、その昔ながらの方法が今でも行われていることを物語っている。
私の知人の昔革新を名乗った元日教組の先生達が、未だに現実離れした考え方から抜けきれないように。
<<教育の独立、自主的な運営学校>>
地方分権や教育の独立、学校の自主的な運営が叫ばれ、参院選で各党のマニフェストにも書かれている。
然し、学校の自主的な運営は、右翼的、左翼的な考えの人も居て良いし、所謂ノンポリなど色々な人達から自由にな意見が出て、それを集約すべきもので、特定の思想の集団で支配されるのは、健全な意味の自主的な運営とは言えない。
教育の独立も国家の過大な関与は困るが、特定な集団の介入を許してはならないと思う。
右翼系のブログで、日教組の解体など言われているが、日教組が真に教育の独立、学校の自主的な運営を言うのなら、あっさり解体するか、教師の待遇改善に特化し、教育問題の関与は避けて、教師達に学校運営についてを自由に発言させる機会を与えるべきだと思う。
そうすれば政府の介入の理由も無くなるし、介入に対する世論の批判も強くなる。
<<一部の学校の教育環境の荒廃>>
前の教師の話に戻るが、彼から荒れた学校の生徒の対応や、物の道理の判らない父兄の対応に苦慮した話を聞いた事がある。
学校の荒廃には種々の原因があると思うが、権利重視、義務や責任の軽視または無視の教育、個性尊重の名の規範意識教育の軽視、平等の名のもとの全員横並び教育による学力の低下、その学力低下が明らかになっても、教師の権利の確保の為何らの対応しなかったの教師の怠業(今回大問題になっている、年金問題もその根源は、日教組と同じように、自治労による組合員の権利確保のみに勤めたことと良く似ています。)などなど日教組の関与は否定出来ないと思う。
然しそれに対する反省もなく、私の知人のように昔の考えに囚われているのだろうか。
そして何時もの様に、管理教育、詰め込み主義の行き過ぎなどよそ事のような責任転嫁をするのだろうか。
物事の判らない親を教育してきたのは、その親達が子供の時、うろ覚えだが80%前後の組織率を誇る日教組に加盟していた教師であることを忘れてはいないだろうか。
日教組は革新を名乗るなら、「経営者(政府)は悪、労働者(教師)は善」など浮き世離れした固定概念から脱却して、「政府も教師も良い所もあれば悪い所もある」ともっと頭を柔軟にそして、事態を直視し、前向きに考え行動すべきだと思う。
そうでなければ、革新を名乗る超保守と揶揄されても仕方がないと思う。
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