7月18日の夜は珍しくテレビの梯子をした。
<<末期癌の患者の幸福度>>
<末期癌の女性>
18.55から毎日放送の「愛と生命と涙の全記録」余命1ケ月の花嫁、乳ガンと戦った24歳、乳房の切除、余命の告知、夢だったウエディングドレス、-----(新聞の番組紹介から)を見た。
余命1ケ月との告知されている患者にいつもなにくれとなく世話をする父親、友達のために患者の夢をかなえようと結婚式を計画している友達、仕事の合間にいつも駆けつけて呉れる恋人、何時までも希望を失わず、それらの人達に囲まれてに痛さにこらえていつもにこしている患者。
夢だったウエディングドレス、想いもかけぬチャペルでの結婚式や結婚指輪。彼女の好きな焼き肉のパーティー、病状の急変、告別式とまるでおとぎ話のような世界が拡がる。
22.00からNHK。
趣味の荘村さんのクラシックギターのギター、村治佳織さんとの合奏。
<末期癌の少年>
20.25から「人生の歩き方」
▽小児ガンの治療をライフワークとする(聖路加病院の)医師、細谷亮太さん。医療者として内に蓄えてきた思いや日々のさりげない風景から生きることの辛さとすばらしさを語る。第3回「親の悲しみと向き合う」医師…細谷亮太,【きき手】杉浦圭子 (番組紹介)
末期癌の子供の患者の家庭での療養の話だ。
一人は男の中学生、痛さと家に帰りたさのあまり、仕事で稀に来れない父親に当たり散らしていた彼の要望をに応えて、細谷さんは家族との話し合いで、家庭にでの療養を決めた。
母親はいつ急変するかも知れない、病状を案じていつも彼を見ておれるように、ベッドをリビングに移した。
中学生は一日中母親の姿を見て、すっかり落ち着いたようだ。
中学校の先生の発案で、学校給食を毎日届けてくれた。 (今時このような立派な先生もいるのですね。)
母親はその先生と細谷さんを子供が好きな餃子パーティーに招待した。
少年は今食べたくないからと言って、二人に食べるように勧めた。
二人が帰ったあと、少年は急に餃子が食べたいと言い出した。
母親は皮がないので、メリケン粉から作りだした。
少年はそれをじっと見ていた。
少年は両親に感謝しながら旅立った。
少年の死後、細谷さんは母親から少年が「あれほど美味い餃子を食べたのは始めてだ」とと言った話を聞かされた。
<<幸福とは何か>>
これらのテレビを見て改めて幸福とは何か、我慢と幸福の関係について考えさせられた。
末期癌の恐怖と戦いながら、寝たきりの生活に不便に耐えているから感じる両親や恋人の姿を見るだけで感じる幸福感、母手作りの餃子を食べるだけで感じる幸福感、ウエディングドレスを来た末期癌の女性の感じる大きな幸福感は何不自由もない暮らしから得られない程の大きなものだと思う。
携帯やパソコンなど欲しいと言えば直ぐ買って貰える。
そして与えられた個室で自分だけの世界に浸れる。
ゲーム機で時間を独りで遊べる。
両親は子供の欲しいものを与える為、教育費を稼ぐめ、共働きをする。
その間は子供は好きな事が出来る。
それで子供達はどれたけ幸福だろうか。
話したい親は夜まで帰って来ない。
帰ってくれば言うのは学校の成績の事ばかり。
親の期待に応える為は親達を残して塾に行かねばならない。
その子供のストレスとその感じる幸福感とのプラス・マイナスは。
<<貧乏な家庭の子供は幸福でないのか>>
私は何度も書く様に、貧乏な家庭で育った。
しかし帰ればいつも母がいて忙しく働いていた。
女1人男4人の子供はいたずら盛りだった。
私たちは薪を持った母から追い回されたり、運の悪い子は組み敷かれて文字通りお灸を据えられた。
然し子供は父親は別格として、皆、母親が好きだった。
給料日だけに父が買ってくる菓子類が待ち遠しかった。
正月には皆に当時の習慣で、子供全部に新しい下駄と足袋を貰った。
弁当は梅干し一つの日の丸弁当におかずは鰹節に醤油をかけただけの事もあったが、昼までにその汁がしみこんだご飯がとても美味かった。
その頃はテレビどころか貧乏な家庭では、ラジオさえ珍しかった。
それでも近所の子供達は色々な遊びを工夫して、朝から晩まで遊んだ、そしてその遊びの間にに色々なことを学んだ。
この様な生活で幸福など言えないと言う人も多いと思う。
例え幸福としても末期がんを戦った子供達の幸福感に比べればほんのちっぽけなものだ。
然し少なくとも、私たちの子供時代は、今の子供達よりストレスも少なく喜びが多かったと思う。
とにかくちょっとことをして貰ったり、買って貰っただけで嬉しかったのだから。
そして貧乏な程その頻度が多いのだ。
然し今考えて見るとやはり私にとって一番幸福だったのは、いつも働いていた母親の存在だった。
<<若い方達へ>>
今少子化や晩婚化が進んでいるそうだ。
若い方達がその一生の方向を決めるのは人生の一大事だ。
結婚を諦めて生涯現役を貫くのか。
家庭と仕事を両立させるのか。
それとも暖かい家庭を創ることを目指すのか。
皆それぞれの価値感で決めたら良い。
(その際、もし出来るなら、自分達の選択が自分達だけでなく社会や国に与える影響まで考慮に入れて貰いたいのですが。)
然し、何らかの形で家庭を持とうとする方には考えて貰いたい。
子供に与えるばかりでは子供は幸福とは感じないこともあること。
働く母親の背中を子供に見せるだけて、子供が幸福感を覚え、その背中から学ぶことも多いこと。
母親の存在が子供にとってどれたけ大きいのか。
専業主婦の場合、例え収入が共働きより少なくても、私の小さな例のように、それが却って子供に喜びを与える機会が増える事もあること。
専業主婦の働き場所は家庭内だけでなくコミュニティーや一般社会にもあること。
など考えて頂いたらと思う。
たまたま7月20日の読売の夕刊の「よみうり寸評」で、故河合隼雄さんの言葉の中に「物が豊かになると子育てが難しくなる」と言う名言がでていたので紹介して置きます。 (20.50分追記)
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