これは製材業で財を成した祖父から、亡くなる直前に聞いた話である。
成金、あるいは守銭奴、と呼ばれながら常人の二倍働いていた祖父だったが、ある日突然、妻が卒中で倒れた。
彼はあちこちツテを頼んで県都S市のTH大学医学部から当時名医と評判だったO教授の往診を乞い、了承された。
親類をはじめ、知人も、知人でない者も一様に驚き、どれだけのカネを積んだのか、と聞こえよがしに陰口をたたいた。
当日、来訪を待ちわびて玄関先まで出ていた祖父は、教授に先立って若い洋装の女性が歩いてくるのを見た。
ざしき童子だった。
彼が目を見開いていると、彼女は頭の中へ話しかけてきた。
「奥様のために努力して、立派ね。心掛けがよろしくてよ。」
祖母は危機を脱し、意識が戻ったものの、数年寝たきりの生活を送ったのち、夫に感謝しながら世を去った。
話は60年、一気に飛ぶ。
私はひょんなことから街一番のお嬢様にお目通りする機会を得た。
その時彼女はすでに齢80歳を過ぎていたが、とてもお元気で、私のようなしもじもの輩の話にも興味深そうに耳を傾けて下さり、たくさん質問もいただいた。
傍らにはシルバーのロールスロイスが控えていた。
そういえばね、とお嬢様は言った。
あなたのお名前をお聞きして思い出したの。
随分前になるけれど、わたくし、あなたのお宅へおじゃましたことがあるのよ。
こちらへ嫁いできてまもなくの頃、わたくしは子供時代から体が弱く、TH大のO先生が主治医だったのですが、その先生が今度この街へ来る用事があるので一晩泊めて欲しい、と電話をかけて来られて。まだ先生が学部長、学長におなりになる前だったと思うな。
それでウチに泊まって、翌日、井浦さんというお宅へわたくしがご案内差し上げましたのよ。さしずめ、かばん持ちね。」
お嬢様は楽しげに笑ったが、私はあごがガタガタ震え出しているのを隠すのに必死だった。
私の家の者たちがある意味、最も誇らし気に長年繰り返し語り継いできた成金エピソードを軽く突き崩してしまう本物の良家の方のお話と、祖父が見たというざしき童子が今、目の前にいることに驚愕して。