今夜は中秋の名月だと思いながらも仕事が長引いて、事務所から外へ出たのは深夜になっていた。
見上げると玉のような月が夜空に高く昇っていて、庭は昼間のように明るい。
千世ふべき 玉のみぎりの 秋の月
かはす光の すゑぞひさしき
月きよみ 玉のみぎりの 呉竹に
ちよを鳴らせる 秋風ぞふく
「いい歌ね。」
頭の中で声がしたので振り向くと、遠く庭の隅の方に、ざしき童子が立っていた。
薄茶のセーターに淡いミントグリーンのプリーツスカートといういでたちのせいか、以前よりさらにほっそりとして見えた。痩せたかも。いやいや、心を読まれるから何も考えないことにしよう。
「あなたが詠んだの?」
そうだよ、と言いたいところですが、藤原定家の作品です。
「そう、どちらも私の名前の字が入っているので、私のために作ってくれたのかと思った。」
相変わらずしょってますね。
そういえば、そちらから戻ってきたアマンダとビエラが言ってましたが、カタカナで長い名前のNGOと月に一回、被災地支援の情報共有会議を行なっているんですって?
僕は自分の声にイライラのトーンが混じるのを隠せなかった。
「あの二人が言いつけたのね。そうよ。気になる?」
いいえ、と言おうとしてやめた。こんな月の光が美しい夜に、嘘をつくのは気が引けた。
ええ。
「なんでもないわよ。よくある、都会のボランティア団体。大丈夫よ。」
彼女は嬉しそうに笑うと、ふんわり舞い上がった。スカートのすそがさらさらと揺れた。
また来るね。それ、よかったら食べて。作ってみたの、栗とゴルゴンゾーラのリゾットよ。秋らしいでしょ。
庭のモミの木の先まで登ったところで、ざしき童子は消えた。
それじゃ、かぐや姫でしょう。そうつぶやきながら、僕は庭石の上に置かれた、いい匂いのする白い皿を両手でうやうやしく押し戴いた。