当法人は気仙沼市より委託を受け、三年度ぶりの介護職員初任者研修(通信制)を今月6日に開講しました。
事業型NPOとしましては、こうして地域の課題解決に貢献できるのが何より嬉しいことです。
震災直後から、ヘルパー二級養成研修および初任者研修を定期的に開いてきましたが、そういった地道な活動とノウハウの蓄積が、今回の受託にもつながったのだと思います。
定員20名は埋まっており、本研修修了後はきっと当地域の貴重な人材として活躍してくれることでしょう。
今年の七夕は小雨模様か、と庭に出て夜空を見上げた。
「それまでは晴れ男の責任ではないわよ。」
頭の中で声がしたので振り返ると、浴衣姿のざしき童子が立っていた。
きみか。こないだのおまんじゅうのことは申し訳なかった。
ちょっとイライラして。
「いいの、イライラするかどうか見たかったから。」
いたずらっぽく笑っていて、これでは怒ることもできない。
その笑顔は、僕を素直な気持ちにさせた。
「今年はちょくちょく会いましたね。
牽牛より、好成績ですね。」
ざしき童子は嬉しそうにうなづいた。
「よかった、紳士のあなたに戻ってくれて。
お望みのようだから、またちょくちょく現われるわね。
私はおしとやかな織女と違って、来ようと思ったら天の川を泳ぎ渡っちゃうかもよ。」
なんてはねっかえりな。
父は暑さに弱く、6月に入ると早くも夏バテして食事はそうめんかざるそばくらいしかとれなくなり、それが秋口まで続くのが常だったが、そんな彼にも夏の食事時の楽しみがあった。
ある年、大学の夏休みで帰省した際のことだ、父は食器戸棚の奥まで頭を入れゴソゴソやっていたのだが、やがて大きな箱を取り出した。
中には直径30センチ超のガラスの大皿が入っていた。
青と若草色を大胆に散らした、とても豪華な作りだ。
父はそれをうやうやしく両手で持つと、そっとテーブルの真ん中に置いた。
「これは元々は水盤(花器)なのだけど、店頭で見かけた時に、麺鉢に使ったら楽しいだろうな、と買い求めた。つゆ入れも別のシリーズの津軽びいどろで揃えて。
思ったとおり、これで食べると気持ちが華やぐんだ。
小ぶりのものも買い足したけど、おいおいこのサイズの色違いも欲しいね。」
それで父の食が進むのであれば、とこっそりネットショップを検索してみたところ、思った以上に(学生の私には)高価で、プレゼントを断念した。
そのあと間もなく父は亡くなり、皿は現在私の手元にある。
私はそれにサラダを盛り、子供たちに出す。
食卓の真ん中にそれがあるのを見ると、私は父が子供たちと一緒に席に着いているかのような錯覚に陥る。
夫は夫で、これで食べると気持ちが華やぐね、と会わず仕舞いになったひとと同じセリフを口にして、私を一層複雑な気持ちにさせるのだ。
グループホームシグナレスへいらしたNPO法人なごやかOGのミス・エイスワンダーと、私は久しぶりにお会いすることができた。
優しい笑顔もそのままで、それがとにかく嬉しく、心癒された。
井浦理事長をはじめ、みなさんが名残惜しそうに見送られる光景から、尊敬される方とはこういうものなのだと私は改めて感じていた。
八日の日詠める
今日よりはいま来む年の昨日をぞ
いつしかとのみ待ちわたるべき
(壬生忠岑 古今和歌集)
訳:待望の七夕が過ぎ、今日からは来年の昨日(七日)を、早く来ないかと待ちつづけるほかないのでしょうね
作者は三十六歌仙の一人で、古今和歌集の撰者でもあった。歌集には七夕が題材の歌が11首収められているのだが、面白いことにそれが進行の順を追って物語風に配列され、この歌は最後に置かれている。