電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

チャイコフスキーの死因を推理するには

2007年10月06日 13時46分53秒 | クラシック音楽
物事の原因を推理する場合、状況証拠に基づく場合と物的証拠に基づく場合とがあります。両者が一致した場合には、ほぼ原因を特定できたと考えてよいでしょう。しかし、両者が不一致の場合、物的証拠によるのがよいと考えます。
たとえば、ベートーヴェンの難聴の原因を、子どもの頃に父親に殴打されたためだとか、先天性の梅毒によるものだとか、伝聞などの状況証拠による様々な推理が行われました。でも、残された毛髪の分析などから、近年では鉛がクローズアップされてきているようです。そうすると、残されたカルテの記述とも一致すると言われ、特異な性格や習癖など、様々なエピソードなども、かなり説明可能になるのだとか。
昔、乗っていた車がハイオクタン専用エンジンでしたが、当時は四エチル鉛を含む有鉛ガソリンを使っていました。ガソリンスタンドのベテランは、有鉛かどうかを見分けるには、ちょっとなめてみると、有鉛は甘いんだ、と言っていたものでした。安ワインを甘く感じさせるために鉛化合物を入れる。当時はそんな手法が通用していたのでしょう。可哀想なベートーヴェン!

さて、チャイコフスキーの場合はどうか。強制自殺説(*)、コレラ説(*2)などがあるようです。毛髪などが残されて入れば、砒素は確実に検出可能だと思いますが、物的証拠は、残念ながらカルテしかありません。
それならば、出発点はまずカルテに置くべきだろうと思います。

お医者さんのカルテは、要するに客観的な観察した事実の記述と、それらを総合した診断の要約かと思います。病因について医学的知見に乏しい時代には、診断に誤りが入り込む場合はあっても、症状の客観的記述は時代の制約をこえて普遍的なものだと思います。コレラの死者は、体内の水分を失い、若い人でも老人のミイラのような顔貌に激変することが知られています。一方、急性砒素中毒では、コレラ顔と呼ばれる顔貌の変化はありません。そう考えると、多くの人が遺体を実際に見ているわけですので、急性砒素中毒を意図的にコレラと誤診断したのならば、その矛盾を突かれるはずだろうと思います。理系人間としては、コレラ罹患により肺水腫を併発し、これが直接的な死因になった、という「コレラ説」に傾きます。

さて、コレラ説を疑う客観的論拠は、主として次のような点です。

(1) 発病の日数が短か過ぎるのではないか。コレラは、通常五日ほどの潜伏期間が必要だとのこと。生水を飲んでからわずか二日ほどで発病するのはおかしい。
(2) 葬儀の際に、遺体に接吻を許している。コレラによる死亡なら、感染の危険のある行為ではないか。

Wikipediaの「コレラ」の記述(*3)によれば、口から入ったコレラ菌は、通常、強酸性の胃袋の中で大半が死滅し、わずかに生き残ったものが腸内で増殖して発病するのだそうです。その期間が、おおよそ五日というのが、いわゆる潜伏期間です。ですが、pHが1~2という強い塩酸酸性のはずの胃液も、胃が弱っているときにはpHが3~4にまで低下することが知られています。濃度で言えば100~1000分の1に薄まった塩酸と同じです。酢でしめたごはんや魚は長持ちしますが、100~1000分の1に薄めた酢では効果はないでしょう。同様に、コレラ菌も胃で死滅せず、小腸内で短期間のうちに大量増殖することでしょう。
実際、チャイコフスキーはコレラに感染する前に、すでに胃が弱っていたようです。にもかかわらず、周囲の静止をきかずに生水を飲んだと証言されています。これが、潜伏期の謎を説明できます。

次に、葬儀の際の接吻の問題です。同様にWikipediaによれば、感染力は非常に強いものの、主として排泄物と吐瀉物が原因であり、空気感染ではありませんので、通常の接触では感染リスクは低いとされています。しかも、葬儀の前に遺体を消毒した記録が残されているそうですので、これは問題にはならないのでは、と思います。

逆に、秘密警察に服毒自殺を強制されたのだとすると、なぜ逃亡しなかったのだろうと不思議です。チャイコフスキーのような知名度を持った人ならば、普通の庶民よりも逃亡や亡命の可能性は高かったと思われます。率直に言って、個人的な性癖が発覚したくらいで死ぬものでしょうか。周囲の人達が、助けてくれなかったものでしょうか。江戸時代の高野長英でさえ、あれだけの逃亡生活を送ることができたのですから、髭を剃り、髪型を変え、変装して群集の中に逃げ込めば、携帯電話などのない時代ですから、かなりの期間、逃亡生活を送ることは可能だったのではないかと想像します。この点、理系人間には理解できないところ(^_^;)>poripori

いずれにしろ、素人の推理でしかありませんので、あたっているかどうかは不明です。特に医学的な判断は、専門家の意見を伺いたいところです。謎の死をとげたチャイコフスキー。最後の曲の題名が「悲愴」。もうそれだけで、ロシア的憂愁の世界を連想します。チャイコフスキーの音楽は、聴くものの心をとりこにするところがあります。

(*):オルローヴァの「自殺強制説」を紹介する記事
(*2):Wikipediaの記事中に「チャイコフスキーの死因」の記述あり
(*3):Wikipediaの「コレラ」の記述
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