電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

井上さつき『日本のヴァイオリン王~鈴木政吉の生涯と幻の名器』を読む

2014年08月27日 06時04分44秒 | -ノンフィクション
中央公論新社の今年(平成26年)の新刊で、井上さつき著『日本のヴァイオリン王~鈴木政吉の生涯と幻の名器』を読みました。巻末の「おわりに」によれば、本書は平成25~27年度日本学術振興科学研究費採択課題「近代日本における楽器産業の発展メカニズムと音楽文化~鈴木ヴァイオリンを中心に」の研究成果の一部とのことです。研究の性格からもうかがえるように、しっかりとした調査に基づく記述の背後に、著者の先人に対する尊敬と感動が読み取れ、読後感は充実したものとなりました。

本書の構成は、次のとおりです。

第1部 明治編
 第1章 生い立ち
 第2章 ヴァイオリン第一号製作まで
 第3章 ヴァイオリン作りを本業に
 第4章 本格生産開始
 第5章 明治期のヴァイオリン
 第6章 日清・日露戦争期
 第7章 1910年の二大博覧会と政吉の外遊
 第8章 大量生産への道
第2部 大正編
 第1章 大正初期
 第2章 ヴァイオリンの普及
 第3章 第一次世界大戦時の輸出ブーム
 第4章 ライバル参入の動き
 第5章 三男、鈴木鎮一
 第6章 アインシュタインとミハエリス
 第7章 名演奏家の来日と蓄音器の普及
 第8章 クレモナの古銘器をめざして
 第9章 ヨーロッパへの「宣伝行脚」
第3部 昭和編
 第1章 昭和初年の栄誉
 第2章 懸命の努力
 第3章 子どものためのヴァイオリン
 第4章 経営悪化
 第5章 会社の破産と再建
 第6章 晩年

第1部では、和楽器、とくに三味線作りの職人としてスタートした鈴木政吉が、明治の文明開花の時代背景のもとに、洋楽器、とくにヴァイオリンの製作に転換し、すぐれた資質と技術をもとに、ヴァイオリンの量産と販路拡大に成功する過程を描きます。

第2部では、ヴァイオリンの工業的生産を背景に、各種博覧会での受賞も後押しして、海外輸出が本格化します。第一次世界大戦でドイツが敗れたこともあり、鈴木ヴァイオリンは順調に輸出を増やしますが、国内では初学者の学習のハードルの高さから、しだいにピアノにその座をゆずるようになる様子が描かれます。

第3部では、三男の鎮一が演奏家として成長する中で、ヨーロッパの銘器を入手し、工業的量産品だけではなく、芸術的楽器の製作に転じるようになりますが、日中戦争の泥沼化とアメリカの輸入禁止政策により、しだいに企業経営が悪化していく様子が描かれます。



いや~、おもしろい。
いくつか個人的に興味深い印象的エピソードを書き留めておきましょう。
(1) ピアノと比較した初学者の学習のハードルの高さについて
 大学を卒業し、関東某県に就職したとき、職場にはヴァイオリンを習っている先輩が二人もいました。一人は家族でお子さんも一緒に習っているとのことで、田舎ではレッスンしてくれる指導者が少ないことと、自分で楽しめる音が出るようになるまでに要する期間が長いことを語っておりました。一般論ですが、このあたりが、ピアノや吹奏楽にくらべて弦楽の底辺がうすい原因なのかもしれないと感じました。その点から言っても、例えば親が子に、あるいはおじさん・おばさんが甥や姪に、楽器とともに弦楽器の楽しさと魅力を伝える伝統が地域社会に根付いていくことが大切なのだろう、と感じます。
(2) ミハエリスについて
 大学で生化学を習ったとき、酵素反応のところで必ず出てきたミハエリス定数Km(基質濃度を大きくしていったとき、酵素反応の速度は一定となりますが、これを最大速度Vといい、その1/2に達する濃度Kmをミハエリス定数といいます)。あるいはミハエリス(ミカエリス)-メンテンの式のミハエリスだったのですね! そのミハエリスが来日し名古屋大学で生化学の教鞭をとっていたこと、またピアノをよくし、来日したアインシュタインと二重奏を楽しんだことなど、恥ずかしながら、知らずにおりました。まことに思いがけないエピソードでした(^o^;)>poripori




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