電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

大山康弘『働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと』を読む

2015年01月09日 06時04分58秒 | -ノンフィクション
2009年にWAVE出版から刊行された、大山康弘著『働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと』を読みました。著者は、1932年生まれで、白墨(チョーク)を製造する会社、日本理化学工業(株)の会長さんです。1974年に父親の後を継いで社長に就任しますが、1960年にはじめて障碍者を雇用して以来、一貫して障碍者雇用を促進します。その結果、社員では74人中53人、製造ラインではほぼ100%を知的障碍者のみで稼働するといいます。こうした経営が評価され、2009年に渋沢栄一賞を受賞しているとのことです。
本書は、著者の幼いころから始まり、日本理化学工業に入社して障碍者雇用に取り組むようになった経緯と、その理念というか、考え方を述べたものです。

きっかけは、たまたま会社の近くにあった養護学校の先生が、生徒を就職させてもらえないか、それができなければせめて実習として職場体験をさせてもらえないかと、何度も頼みに来たことでした。この子たちは、卒業すれば施設に入ることになり、そうすれば一生働く体験はできなくなってしまう、というのです。はじめは軽い気持ちで、そんなに言うのなら、少しの期間だけ、働かせてみようかと二人を受け入れます。そうしたところ、実に一生懸命に、嬉しそうに働く。周囲のおばちゃんたちが心を動かされ、「私たちが面倒をみるから、雇ってみたら」と言ってくれたのがきっかけで、翌年から採用を始めた、という流れです。
ある法事の際に、禅寺の住職と相席となり、障碍者が実に嬉しそうに、熱心に働くということを話したところ、住職はこんなことを言ってくれたのだそうです。

「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは、次の4つです。その1つは、人に愛されること。2つは、人にほめられること。3つは、人の役に立つこと。そして最後に、人から必要とされること。障碍者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証なのです。」

そこから、本格的に障碍者を雇用することになりますが、それは、ステップを分解し、単純化するなど、業務プロセスの改善を伴うものとなります。そうした努力が実って、会社は工場を増設し、幾度かの危機を乗り切り、なんとか持続的に成長することができました。著者は言います。

「働く」とは、人に必要とされ、人に役立つこと。そのために、一所懸命に頑張れば、みんなに応援してもらえる。私は、このことを知的障害者に教えてもらったのです。

なるほど。自分の体験からしても、よくわかります。

全盲だったわが祖母は、端切れ布を集めておき、雑巾を縫っておりました。若い頃は、お針子に縫物を教えるほどだったそうで、目が見えなくても、運針はしっかりしておりました。10ミリ程度の間隔で碁盤の目のように縫い込まれた雑巾は、丈夫で穴があきにくく、使い込んでも長持ちしました。百枚たまると、小学校に寄付して喜ばれておりました。私が、祖母の雑巾は丈夫で長持ちして穴があきにくいと先生がほめていたことを伝えると、実に嬉しそうにしていたことが、半世紀経った今でも記憶に残っています。

自分のした「仕事」が他人のために「役立ち」「喜ばれる」ことは、たしかに自分にとっても喜びと張り合いになることでしょう。
どうしても福祉は施設でと考えがちですが、最低賃金とはいえ健常者と同じ給料をもらえるのですから、半ば自立した生活の展望が開けます。日本理化学工業は、ダストレスチョークというオンリーワンの技術と製品を持っていたという強みがあったからでしょうが、こうした企業がもっと増えてくれることを願いたいものです。

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