電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画『KANO1931~海の向こうの甲子園』を観る

2015年03月01日 06時02分05秒 | 映画TVドラマ
先ごろ、映画『バンクーバーの朝日』(*1)を観ましたが、今度は台湾の映画『KANO1931~海の向こうの甲子園』を観ました。最近、芸能スポーツ分野にはとんと疎いワタクシが、珍しく野球づいています。

『KANO1931~海の向こうの甲子園』に描かれた、日本統治時代の台湾南部にある嘉義農林学校の野球部は、まだ一勝もしたことのない弱小チームでした。たまたま、名門・松山商業で監督をした経験を持つ近藤兵太郎が指導することになり、甲子園を目指してスパルタ特訓を開始します。嘉義農林、略して嘉農は、三民族共学の学校でしたので、打撃力のある漢人と走力に優れる台湾原住民、それに守備の良い日本人が加わるという混成チームでした。それぞれの長所を生かした近藤監督の指導の下、野球以外の他種目から有望選手を集める強化策も実り、選手の間にもしだいに自覚と意欲が高まります。

1931(昭和6)年、全島中等学校野球大会、いわゆる甲子園予選に出場し、それまで台北勢が独占していた優勝旗を台南にもたらします。優勝の興奮は地元の歓呼に迎えられますが、そこに「嘉南大圳」(かなんたいしゅう)という巨大水利プロジェクトの完成がオーバーラップされ、大きな興奮とエネルギーを感じさせます。

そして、台湾代表として嘉農が甲子園に出場、呉明捷投手の力投と蘇正生ら各選手の持ち味を生かした活躍で決勝まで勝ち進み、中京商業と対戦します。幾分か悲劇の要素を加えながらのスピードと迫力のある試合展開は、役者の皆さんはいずれも実際に野球経験者ばかりらしく、思わず身を乗り出すほど面白いし、感動的で泣けてくるドラマとなっていました。この映画は、早くも今年度の「私的ベストワン」候補作品となっています。



実は、映画の中に、「仁先生」じゃなかった(^o^;)大沢たかお扮する「八田先生」が登場し、台湾南部の人たちの信頼を集めている場面がでてきます。この「八田先生」とはいかなる人物かと不思議に思い、Wikipedia で調べてみました(*2)。そうしたら、なんと素晴らしい日本人ではないですか。わが不明を恥じるばかりです。

実際の台湾の歴史における日本の役割は、見方・角度によって様々な性格を持つものでしょう。軍人統治の時代は圧政の傾向が強いでしょうし、文人統治の時代は衛生政策の面や産業基盤の確立という貢献もあったようです。このあたりは、李登輝氏の見解やそれに対する反論などを通じてうかがうことができます。また、ネット上にも、この映画に対する批評という形で、興味深い分析(*3)がありました。

(*1):映画『バンクーバーの朝日』を観る~「電網郊外散歩道」2015年1月
(*2):八田與一~Wikipediaにおける解説
(*3):『KANO1931海の向こうの甲子園』は親日映画なの?~「映画のブログ」2015年2月

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