電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ガソリン狂騒曲のこと

2015年03月11日 19時53分19秒 | Weblog
東日本大震災の直後はどこも停電していたこともあり、あまり情報がありませんでしたが、週末には、妻の実家のあたりなど、被害のあった地域の後片付けボランティアに従事していました。それも一段落すると、大問題になったのが、ガソリン不足の深刻さです。私の場合、たまたま数日前に自家用車と軽トラックのガソリンを両方ともほぼ満タンに給油していたのと、除雪機用の携行缶にもガソリンが半分以上残っていたために、月末まで無給油でなんとかしのぐことができました。でも、職場の同僚や知人の話を聞くと、たまたま給油をさぼっていたために、ひどい目に合った人が少なくなかったようです。



震災後のガソリン狂騒曲はどうして起こったのか。昨日のNHKスペシャル「震災ビッグデータ File.4 いのちの防災地図~巨大災害から生き延びるために~」では、その理由を、製油所からガソリンを運搬するトラックの運行が、経済性を追求し狭い域内でのみ実施されていたこと、ガソリンの広域運搬の必要性が決断されるまで何日もかかったことが指摘されていました。被災地で必要とされる物資を運搬するはずのトラックが、帰路のガソリンを確保できないために走れない。物資の補給運搬基地となった山形県でも、ガソリン不足に泣いていた(*1)わけですので、思うように補給活動ができなかったというのもうなづけます。

当時、実感したことを、トラックの運行記録等のビッグデータの解析で裏付けた分析は、たいへん説得力のあるものでした。

  • 災害時には、物資の輸送だけでは足りない。
  • 物資とともに、エネルギー(ガソリン)と情報(過不足)とを並行して輸送する必要がある。

うーむ、現代科学は「物質」と「エネルギー」と「情報」とを扱っていますが、まさにその三つを、三点セットで届ける必要があるのですね。どれが欠けても、機能しない。大切な指摘と感じました。

(*1):ガソリンスタンド前の車の行列が解消!?~「電網郊外散歩道」2011年3月
コメント (2)