電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

E.G.ヴァイニング『皇太子の窓』を読む

2019年01月25日 06時03分20秒 | -ノンフィクション
ほぼ半世紀前に、祖父の書棚から借り出して読んだリーダーズ・ダイジェスト選集でたいそう印象的だったのが「皇太子と私」という一編(*1)でした。たしか中学生か高校生の頃に読んだ記憶がありますが、文春文庫の解説目録の中に、エリザベス・G・ヴァイニング『皇太子の窓』という作品を見つけた(*2)とき、すぐにピンときました。これは、「皇太子と私」のオリジナルではなかろうか? そしてそれは大正解だったことがわかり、昨年の暮れに入手してから少しずつ読み進めてきたものです。子供の頃に共感した記述と、還暦を超えた今の年齢で共感する箇所とは当然ながら異なりますが、その中で、いくつか印象的な個所をあげてみると:
まず、ヴァイニング夫人招聘の発端となったのは、1946(昭和21)年の春、米国教育使節団が来日した際に、昭和天皇ご自身が団長のストダード博士に「皇太子のためにアメリカ人の家庭教師を一人世話してもらえるだろうか」とたずねたことがきっかけだった点、また夫人が最終的に選ばれた経緯など、日本側の関与が大きかったことが印象的です。
また、皇室の伝統とされて両親とともに生活することが許されない若きプリンスの環境に関して、

皇太子殿下はこうした(英国王家のように一つ家に御一緒に住まわれるという)生活の利益をお享けになられないのだから、せめて通常な学校生活を送られ、できるだけ他の生徒と一緒にすごされて、彼等の学校生活における経験をすべておんみずから体験なさることが大切だと思う。ほんの二三課目だけ聴講する「特別学生」の危険は、学生の一部になりきれず、いつもその外側にいることになるという点である。(p.216)

という意見を伝え、宮内庁もこれを受け入れて、友人たちと交流することになります。一流の学者たちの御進講を受けるだけの日常ではなく、学習院の教室で同級生たちと学ぶ生活を続けることができたことからは、後に数人の親しい友人たちと共に市民生活に飛び込むという冒険や、慎重な人選は行われたのでしょうが民間人の女性を伴侶に選ぶという選択も、ごく自然な道筋だったように思えます。まさに、

「大人になったとき自由な人間になろうとするのならば、子供のうちにほんとうの自由とは何かを学ぶべきだと思います。」(P.207)

ということでしょう。

大人の目で読み返した時、子供の頃には読み取れなかったこともよくわかります。例えば吉田茂氏と麻生夫人と過ごした週末に、旧藩主島津公爵の忠実な臣下であり終生変わらぬ親米家であり日本国憲法の起草委員の一人だった樺山伯が居合わせますが、この人が戦時中の関わりを咎められて公職追放を受けたことを「個々の場合に即さずに機械的に追放した結果、数々の皮肉な不当な処置が行われたが、これなど最も極端な一例であろう」(P.372)と書き、戦争犯罪人を裁く東京裁判や、朝鮮戦争の影響で作られた警察予備隊の性格と日本国憲法の関わりをクエーカー教徒らしい潔癖さで批判する点など、意外なほど占領政策や米国政府のやり方に批判的です。
また、吉田茂氏が食事中に話したこととして、こんな言葉も残しています。

「グルー氏が駐日大使をしていたとき、私は彼と友人になったのですが、よく彼にむかってこう言ってやったものです。『あなたは日本の上流階級だけしか御存じない。そして知っている範囲の日本人だけから判断して、日本人をいろいろほめておられる。だがあなたは日本の労働者たちのことも知る必要がある』。同じことがあなたにも言えます。あなたは宮廷をめぐる人々しか御存じない」(p.456)

このあたりは、読者としてもうなづける面がありそうです。

離日前に、夫人は日本国内を旅行し、様々な見聞を広めます。そして、皇太子の家庭教師として関わった日々を回想し、本書を次のような言葉で結びます。

どちらに面しているにせよ、窓というものからは、必ず光がさしこんで来る。そして光はよいものだと私は思うのであった。(p.468)


自分自身の個人的記憶に関わる思い入れとは別に、たいへん面白く読みました。平成の天皇陛下がどんな少年時代を過ごされたのか、今、退位(譲位)に至るまでの道のりを回想するとき、皇室の慣習に窓を開いたことの大きな意味を理解するとともに、陛下のお言葉にあるごとく、伴侶として美智子妃を得たということがまことに大きいのだなと、あらためて感じました。

(*1):祖父の本で『リーダーズ・ダイジェスト選集:世界のベストセラー16編』を読む〜「電網郊外散歩道」2017年5月
(*2):『文春文庫解説目録2018』を眺めて〜「電網郊外散歩道」2018年12月
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