1年前の7月26日 ピアニスト中村紘子さんが亡くなられた。
去年に中村紘子さんにまつわる思い出を書きたかったけれど
(そんなに たいした思い出じゃないのですが・・・)
なんかショックで去年は書けなかった。
でも 中村紘子さんは文才もおありで 亡くなる直前まで音楽雑誌にエッセイを
連載されていたのですね。
そして 亡くなられた後でも出版されるのですね。
すごい! 新聞の書評を見て、すぐに買い求めました。
広い交友関係、歴史的な裏づけ、様々な知識と経験をお持ちなのには感慨深いです。
中村紘子さんの思い出?
いえ たいしたことじゃないのです。
中村紘子さんがすごいと思ったのは
クラシック音楽なんて縁がないと思っていた主人がLPを持っていたということ。
日本人が誰でも知っている世界的ピアニストだったこと。
34年前のこと
おそらく「ピアノの先生」という響きにだけ興味をもって
他にもお見合いしていたのにそれを断って 私とお見合い結婚した主人。
当時はまだ プロの仲人さんだけでなく、いろいろお世話を焼いてくれる
知り合いのおばさんがいて、まだまだ見合い結婚は普通にあった時代でした。
その主人が結婚してまもなく 私に「エリーゼのために」を弾いて欲しいという。
まあ それくらいならすぐに弾けるわ。「英雄ポロネーズ」なら絶対無理だけど。
あまり気にせず主人の前で さらっとエリーゼのためにを弾いた。
特に気合も入れていなかったと思う。
そしたら主人が
「それは ちがう」という。
「このように 弾いてほしい」と出してきたのが 中村紘子さんのLP。
なんか カチン!と来たような記憶がある。
今なら言ってるだろう
「中村紘子さんのように弾けるなら ここには居ないし あなたとも結婚していないわ(笑)」
余談ですが これから以降 CDが全盛になりLPは押入れに追いやられました
話戻して
主人がLP持っていただけでも 中村紘子さんはすごいピアニストだったのであります。
その少し後 姫路に中村紘子さんのリサイタルがあったときは
一緒に聞きにいきました。大ホールを満席にするなんて これまたすごいのであります。
34年の間で主人とクラシック音楽会に出かけたのは
このリサイタルと サンクトペテルブルグいや まだレニングラードフィルだったかな
歴史は苦手なのでここは 目をつぶって
そのオーケストラの ドヴォ9とあと もう1回なんかのオーケストラ、
三回だけといいたかったけれど 思い出した。
パルナソスに イ・ムジチが来たとき 「四季」を聞きにいった。
計4回か。
で なんのハナシダッタ?
「ピアニストだって冒険する」
頭のいい人は ピアノだけでなく文才もあるのね
ちょっとしたユーモアも随所にちりばめられ
他の著書も読んだことがありますが
ほんと 体調のせいで 一気には読めなかったけれど
興味をもって読めました。
本文のなか 「ついにちょっと真面目な病気にとりつかれてしまった。大腸がんである」
知ってはいましたが、さらりと言ってのけられると ドキッとしました。
おそらく 前向きに治療されたのだと思います。
亡くなられても語り継がれるピアニストですね。