黒猫ジジィの毎日にゃん!教室のみなさんとジジィを紹介   

2017.12より猫ブログになりました
姫路市飾磨区、飾磨駅北口より徒歩2分
【なるせ音楽教室】

プログラム

2006-05-30 | プライベート

 

昨日のプログラム作成は、パソコントラブルとの格闘でした。
そのときの気分で立ち上がってくれないのですよ、おんぼろパソコンさん。
作ったと思ったら、突然強制終了。
保存していなくて、また作りなおし。
つっくたけれど間違いがあったり、直そうとしたら。
また立ち上がらない。

ワープロ歴20年の私が、
やっと今年から、ワードを使う気になりまして・・・・。
主人からは、いまどきワープロなんてと あきれられていましたが、
永年の文書がフロッピーに蓄積されていて使いまわせるのでなかなか、
新たにワードを使う気にならなかったのです。
そのワープロとて、調子がイマイチになりました。

いろいろトラブルのあと出来映えがよくなかったので、
眠い目をこすり、ため息をついていると、
次女が見かねて、
はやいはやい、私がうたた寝しているあいだに、
最初から全部打ち直してくれました。


さすがですわ、娘をほめるのもなんですが、
大学で、レポートはインターネットで提出しているのですから、
打ちなれています。

いまどき音大でも、課外授業でパソコンがあるらしいですね。
娘の勤めている保育園でも月に1回、子供向けパソコンの日があるそうです。

わたしは結局、表紙とうらの案内地図と広告をつくっただけ。
いまからコピーしますね。



発表会までに

2006-05-29 | プライベート

6月25日(日曜)

発表会まであと1ヶ月をきりました。
アンサンブルステージのサポートメンバーの、
構成や、練習日程の調整に四苦八苦。
ソロだけなら、個人練習で済むのですが。
まだ、アンサンブルであったほうがよいと思われる。
オブリガート部分や、小物楽器の楽譜も作らなくては。

長女はやはりソロステージも参加したいと、
昨日曲を決めて、
今朝から、出勤前にスケールを弾いています。
彼女の好きな♭系を。

次女は早くからソロ曲を準備して暗譜もできていましたが、
発表会当日、大学の課外講座の資格試験があるとかで、
就職に必要だから、発表会は断念。

では、今から準備にかかります。


昔話 6 音楽悪夢克服

2006-05-28 | 音楽子育て回想

 

試験前なのに練習が出来ていない 暗譜ができていない~の夢を見ること
10年。

改めてピアノを習うことを反対されてよかっと思います。(前回記述)

自分のために、自分が考えて解釈したピアノを弾こう。
誰にも点をつけられることなく、批評をされることのない、自分の演奏。

昭和59年から、定期的に実施した発表会で、
必ず、自分の演奏を取り入れることにしました。
発表会のとりに講師演奏.

生徒も教えて、自分の演奏のための練習時間確保やテンションの維持は、
相当の労力が必要です。

しかし、自分を追い込み、
大学時代にしたくてもできなかった曲、例えば、
有名すぎる曲やお手軽そうに感じられる曲、
弾いてみたいけど、弾けばあらが目立ちすぎる曲を選びました。
苦手な暗譜も必死に。

月の光   ドビュッシー  
アラベスク  ドビュッシー 
幻想即興曲 ショパン
ノクターン  ショパン  等々。

子育て最中に、子供を寝かしつけてから、
一緒に寝たいのに、また起き出して練習。
しんどいけど、この時期に経験していれば、あとあと何でもできると
言い聞かせながら、眠い目をこすり練習しました。
いろんなCDを聞き、自分の演奏を録音したのを聞き、
自分のための練習。
発表会前は数キロ痩せていました(笑) 今はそんなことありませんが。

夜でも弾ける環境にあったのは幸いでした。
防音室でもなんでもないのですが、家族は寝てくれていました。


決してうまくは弾けませんでしたが、
すごいね いつ練習するの?
先生、楽しそうにやってるね、と
父兄からの声を耳にしてうれしく思いました。

発表会の最後に演奏するだけでは、
どうしても片手落ち。不本意。表現しきれない。楽しめない。
発表会は指導に専念したい。

ある、アマチュアのシャンソン歌手が、数年練習しただけで、
リサイタルを開いていました。
私はそれを聞いて、
うたとピアノの違いはあっても、私にもできないことではないと思い立ち、

いざ、リサイタル。
家から歩いて3分のところに300人の小ホールが。
ピアノだけではさすがに2時間持ちませんので、
童謡を歌い、ピアノ演奏、
ドラム演奏、
指導に行っていたPTAコーラスに、自編曲を歌ってもらい、
曲の合間に、音楽に対する思いを語り、
何でもありのリサイタル。

お客様は生徒さん、身内、友達、
一応、有料ですが、ほとんどがご招待。

知り合いで固めた客席ですから、
厳しい批評もありませんし(笑)

だれもしてくれと頼まないのに、なんでわざわざそんなしんどいことをするの?
と、姉に言われましたが、姉がドレスを作ってくれました。
いい年して、ヒラヒラのが着れていいわねぇ。
リサイタル前の食事は、手抜きの買ってきた惣菜。
はやくまともなのを食べさせておくれと言いつつも、
ばあさん友達にチケットをタダで何枚も配ってくれた母。
ドレスの生地は、主人の仕事の取引先からもらった、
インテリア生地でした。
かまってくれないけど、なんか普通のお母さんとは違うことしてるなと見ていた
娘たち。
保育所のお迎えはいつも行ってくれた父。


32歳になったばかりの3月のリサイタル。 それから夢は見なくなりました。

そのあと 次女の幼稚園でPTA会長にあたり、
レッスンとPTAの目のまわるような忙しさがはじまるのですが・・・。

昔話はおしまい おしまい。

しばらくは 6月25日の発表会に向けての、
プログラム作りに専念します。


昔話 5 私の足跡

2006-05-27 | 音楽子育て回想

 

大学を卒業しました。
当時卒業したら、
楽器メーカーのグレードを各自で取得して、楽器店の講師。
教職。
ホームレスナー。
永久就職(何人かいましたよ)
家事手伝い。

私は体調を崩して帰ってきたし、
ピアノは弾きたくないし、
わたしは当然、家事手伝い。

あてもなくフラフラ出来ませんので、
午前中は歯科医院のアシスタントに。(小遣いくらいかせがなきゃ)
午後は、母の洋裁教室で服を作っていました。
自分の服は自分で作る、それに買うお金も親からはもうもらえない。

母が看板屋に頼んで、小さな看板を門に掲げてくれました。
それですぐに生徒さんが集まるわけでもなく、
母が、婦人会で知り合った人の子供さんを、
無理やり、他で習っているにもかかわらず、
「娘が帰ってきたから 来て~」と一人引き抜いてきたのです。
ある意味、すごい母です。

半年がすぎ、気持ちも体調も戻り、
受験や、試験のためのピアノでなく、
自分のためのピアノを習いたいと思いました。
そこで予想外のきつい母の一言。

「4年も大学にやったのに、まだピアノをならわなあかんの?あほか。
なに習ってたんや」

今思えば、普通のサラリーマン家庭で音大で、外に出し、
学費、仕送りは大変だったと思います。
その思いが、その一言になったのでしょう。
まだ、お金使うのかってね。

母のもとにいれば私はずっと子供扱い。
しかし、母の望む結婚をし、
子供も生まれ、
同居ながらも、自分の主婦、母、レスナーとしての立場が確立できた頃、
改めてピアノを習うことはやめて、
声楽、ドラムス、ハモンドオルガン、ピアノはピアノでもジャズピアノを、
習い始めました。(反動ですね
全部これからの私の仕事に役立つのだから好きにさせていただきます。
得意の開き直りです。

二人目が生まれてから、楽器店でのレッスンや、出張レッスンをやめて、
自宅のみでレッスンをしながら、少しずつ生徒さんも増えました。
これは、母が子供を見ていてくれたおかげです。
「女は家庭で両立できる仕事をもちなさい」
言い続けてきた母ですから。
私はおかげさまで仕事を休んだのは、産後の1ヶ月間だけでした。

自宅教室は順調でしたが、
困ったことが一つ。
しょちゅう夢を見るのです
あ~練習が出来ていない。暗譜が出来ていない、明日試験なのに~

大学をでて結婚し子供までいるのに、
まだ大学時代の夢を見るのです。
さすがに何回も夢を見ると、
夢の中のもう一人の私が、こんなのとっくに済んだことなのに  と
つぶやくほどでしたが。

この夢を吹っ切ることが出来ました。
卒業後10年かかりましたが、それから以降全く見なくなりました。
その克服の仕方を(大げさですが) 次回に書きますね。








 


昔話 4

2006-05-26 | 音楽子育て回想

 

大学に入りました。
第5希望の大学でした。
と言うことは 4つ不合格。
仕方がないか、高校のときピアノをまじめにしていなかったのだから。
5つも受けさせてくれた親に感謝です。
浪人もしたくなかったし。

ただ上二つの大学は、所詮無理とわかっていましたから、
「この偏差値では無理だよ」と高校にデータを残してあげました

高校時代のブランクを埋めるかのように、
厳しいレッスンが始まりました。

ひたすら弾いて、体で覚える。
教授の思うようにひけていなかったら、
叩かれて、涙と鼻水を出しながらのレッスンでした。
それでもちょっとは弾けると教授が判断したのか、
月1回 東京から来る教授の特別レッスン生にに推薦いただき、
また、コレがありがた迷惑で・・・。
レッスンを辞退するすべも知らず・・・。
教授と、客員教授の言うことが違うので、
私はどう弾けばいいの???
週1回のレッスン。
前日夕方になると、ご飯も食べたくない・・・・。

ただ、初見がきいたので、
伴奏を随分頼まれて、これは良い勉強になりました。
クラリネット、トランペット、声楽、オーボエ、
試験が近づくと自分の曲より、伴奏で忙しかったですが、
管楽器はユニークな先生も多かったので、楽しかったです。
ソリストを活かすためにも、管楽器の先生の伴奏に対する、
注文、指導は厳しかったですが、
それぞの楽器の間の取り方、息遣い、音色の勉強になりました。

4年生になり、
親元を離れての生活にも慣れたようで、疲れたのか、
体調を少し崩し、首が回らない、腕が上がらない・・弾けない。
そこに、教授とのお付き合いのトラブル。
いろいろありますものね、派閥、チケットの購入、様々な行事や演奏会にからむ
お金のこと 等々。

弾きたくないし、弾けないし。
卒業試験も難しい曲を選んだのが災いしてか、
試験に間に合わない。

いま考えれば冷や汗もの。いや当時も冷や汗いっぱいでしたが、

とにかく卒業して家に帰って、しばらくはピアノを弾く気にはなれませんでした。
人から、なにか弾いてくださいと言われるのが苦痛でした。


そんなこんなで昔話は、あと1話の予定です。



昔話 3

2006-05-25 | 音楽子育て回想

 

私の高校時代は、ピアノに関しては、
全く成長しませんでした。

学年の半数が国立に進学する高校。
勉強とピアノの両方はしんどかったです。

気持ちが参ってしまい、
どちらも手につかず、
レッスンも親に内緒でさぼることも多くなり、
学校の勉強はしたくなくて、本ばかり読んでいました。

3年生の夏進路を決める頃、ピアノとは別に、
声楽とソルフェージュも習っていました。
その先生に、「他にしたいことがないなら、音楽で頑張りなさい」と諭され、
受験曲だけを練習して、受験に臨んだのでした。

友達はいても親身に話すような友達はいなかった。
劣等感と、開きなおりですごした3年間。
親とも会話もなく、
でも 親は一生懸命、親の背を見せて頑張っていたはず。

娘たちに、
高校入学時に、一番に言ったこと。

友達を作りなさい、
大学になって離れても、
地元に戻ったときに遊べる友達、
結婚しても、また出会える友達を。


私自身、順調にいかなかった分、
ピアノを弾きたくない人の気持ちはわかるつもりです。

今は 頑張りなさい。
今は 頑張らなくてもいいのよ。

 人にはバランスよくその言葉が言えますが、
 ついつい頑張ってしまう私がいます。

 


元気のでる言葉

2006-05-24 | ♪いつものレッスン風景

 

ご近所の行きつけのヘアーサロンさんの紹介で、
ヤスナさんが、体験レッスン申し込みに来た。

一時間ほどお話を聞いていたら、
レッスンのことより、
ヤスナさんが、
苦境にめげないガッツある女の子だって事がわかりました。

いろいろ大変なことを抱えています。
どんなに大変な事かは、またヤスナさんの承諾を得てから書きますが。
「それを、出来ない理由にしたくない」の言葉を添えて

東京でCDを出したこと、
弾き語りをしたいからギターも習いたい。
英会話も習っている。
等々。

忘れかけていた言葉でした。
「それを、出来ない理由にしたくない」
わたしも頑張ります。


昔話 2

2006-05-23 | 音楽子育て回想

前回は中学校までの話でした。
いざ 高校受験。地元に私立の音楽科がありましたので、
深く考えずに、そこに行こうかと思いましたら、
ピアノの先生から、普通科の高校から音大に行きなさい、その方が、視野が広くなりますよ。
中学の担任の先生からも、私立の音楽科より公立の普通科を強く勧められ、
当時、少し頑張れば進学校に入れる成績でした。(学校としても行って欲しい)
学校から帰り、塾の宿題、学校の宿題、塾に行って、
夜の12時までピアノして、それからまた勉強。
担任から睡眠は5時間以下でよい なんていわれてまじめにやっていました。
今、思えば応用の利かない詰め込みの勉強。
通っていた塾も、今では考えられない巣スパルタ式で有名で、
出来なければ、叩かれていましたから。
ガンガンに詰め込まれて、やめたくても、やめたら、自分で勉強する自信がなくて
やめたいなんてとても親にも、周りにも言えませんでした。

ピアノもとりあえず、先に進むための機械的な練習。
バッハの面白さもわからずに、シンフォニアから、わけもわからずフランス組曲へ。
ツェルニ-40番もざっと済ませてやっと50番に。
それでも、ピアノは楽しかったです。
先生のお子さんが、同じ高校を目指していて、
勉強と、ピアノの両立に理解をしめして下さったから。

(その塾ですが、私の母は、私が行ったから当然、孫も行くものと・・、
娘たちを熟受験させましたが、長女は雰囲気に合わず、3日で辞めたいと言い出し、
塾の時間になっても風呂場に閉じこもって出てきません。
私は、 やめたくてもやめられなっかった私を思い出し、あっさり辞めさせました。
次女は中学三年生になると、私から見て、息切れ状態と感じたので、
学校の勉強だけで、行けるところに行けばいいと、自分のペースを取り戻させました。
私は無理をして高校に行き息切れしましたので、
娘たちには余裕でいける所に行ってほしかったのです。)

いわれるがまま 一生懸命がんばった中学時代でした。
私の母親は、やはり戦前に8人兄弟の5番目で苦労して、努力した人でした。
親がいうがまま、反論もせず、
反論したくても、親の言葉が正論と思えたので、意見を言うこともしませんでした。

娘には、やはり親の権力?を押し付けた部分もありましたが、
かならず、お母さんはこう思うのだけど、あなたはどう思う?  と、
自分の意見が言えるように仕向けました。


 長話になります。 次は高校生活です。


昔話

2006-05-22 | 音楽子育て回想

 

女は、家庭で出来る仕事をもつべき。
そうすれば、家庭と仕事が両立できる。

それだけを母から教え込まれ、
ピアノの先生をすればと、
音楽のことは何もわからないのだけど、
お金は出してくれた母。

そもそも、ピアノを習い始めたきっかけは、
体が弱く、小学2年くらいまで外遊びが全く出来なかった。
生まれつきだから、外遊びが出来ないのも苦にならず、
親が買い与えた電気オルガンと人形が友達でした。
幼稚園の頃は、病院通い、入院検査で心室中隔欠損症と、
診断されたのは小学校1年生。

そんな私をみて、不憫に思ったのか、
たまたま幼稚園で一緒のご近所がピアノを買ったからなのか、
ご近所と同じピアノを、頼みをしないのに買ってくれました(笑)

相変わらず、遠足も、運動会も、プールなんてもってのほか。
ピアノしかすることがなかったのです。
3歳上の姉も習っていましたが、どうにも音あてが苦手らしく、
姉は5年生で先生の都合もあってやめました。
そのとき一緒に私も止めさせられたのですが、
なんとも手持ち無沙汰で、
自ら、次の先生を探して欲しいと親に頼みました。

それで、この子はピアノが好きなんだと、母は確信したのか、
冒頭の、
女は、家庭で出来る仕事をもつべき。
そうすれば、家庭と仕事が両立できる。
  を、念仏のように唱え続けました。

「念ずれば叶う」って言葉を聞きますが、
まさに母のためにあったような。

心臓の穴は、幸いにも小さかったのか、
成長とともにふさがり、4年生頃には普通のことが出来るように
なってきました。

中学校1年のとき 母は音大を意識して、
師事している先生に相談したところ、
それなら、他の先生に変わってくださいと言われ、
知り合いのそのまた知り合いの音大生から話を聞き、
受験には、コールユブンゲンや、聴音や、ピアノ以外に、
いろんな勉強がいると教えられて、
母子ともにびっくり。

ある先生の門を叩き、中学1年でツェルニ-30番じゃ遅いと、
追い返され、
別の先生に、大丈夫と救ってもらい、
そこから私も厳しさを感じたのか、
部活も週1回で済む、生け花部に所属、
生け花の日がレッスン日だったので、
さっさと、花を投げ込んで、華道の先生にあきれられながら、
早々に退出。

毎日3時間の練習で、30番をさっさと仕上げ、インベンションに、
悪戦苦闘し、ソナタ、ソナタと追われる日々。

幼稚園の時に買ってもらった、アップライトピアノは、その頃には、
整音、整調しても変な音になってしまいました。
母が調律師となにか話をしているなとおもったら、
ある日 突然グランドピアノが出現。

うれしいやらびっくりするやらの私に母は人一言。
「これから先、滑ってもころんでも 音大にいってね」

音楽は知らなくても、娘の職業には熱心でした。
いま思うと、母は洋服の仕立てをしながら自宅で洋裁教室をし、
はさみや、ミシン、アイロン等 仕事の道具は選び、大切に、
扱っていましたから、ピアノも私の道具として捉えて、
うまくレールを敷いてくれたのでしょうね。
今となれば口うるさい母に、感謝です。

カテゴリーは「子育て回想」です。
一代さかのぼっての回想録になりました。

順調に行くように思えましたが、
人生いろいろ。
ピアノなんて、弾きたくない、見たくもないと思った時期も。
高校時代に、そして大学を卒業して、二度ありました。
これはまた次の機会に。

庭にてんとう虫が遊びにきました。


ピアノの導入教材

2006-05-21 | 音楽いろいろ・ちょっと言いたいだけ~

導入教材

4歳.、5歳ではじめてのピアノ。
最初の1~3ヶ月は特に教本を渡さずにノートやリズムカード、音符カードで、
ソルフェージュを中心に。

そのうち、ピアノを習いに来ているのに、
お母さんにはすぐに本は使わないと説明しますが、
子供たちもレッスンバッグに何も入っていない状態が、
何か物足りなく感じてきたら、
ピアノの前にきちんと座ることが出来るようになったら、
素敵な教本があるのだけど・・と 興味を持たせながら見せます。

最初の1~3ヶ月は、どの教本を渡すかの見極め期間でもあります。
その間に、
本人の取り組む意欲、本人の性格
お母様から家庭での協力が得られるか、
じっくり取り組むタイプか、
先にどんどん進んで、数をこなしながらしたほうがいいのか、
手の大きさ、指の強さ、
家庭での楽器、ピアノか電子ピアノか、キーボードか、
    いろいろあります。


様々な情報を私なりに仕入れていざ、教本へ。

うたとピアノの絵本   呉 暁 著
みんなのおけいこ   新井千音美 著
ピアノランド       樹原 涼子  著

私なりのどれを渡すのか目安はあるのだけど、
そのうち2冊くらいをみせて、
お母様には、メリット、デメリットをお話して、
子供さんには、実際に手にとって、絵本を読み聞かせるように、
一枚づつページをめくります。
決まらなかったら、 持って帰って、自分で選択して決めていただきます。

「自分で決めた」事を大切にしたいのです。
自分で決めたのだから、頑張れる!

何を使うのか・ではなく、
どのように使うのかが大切。
結局、どの本にも興味を示さず、
ノートにそのつど作曲(といっても4~8小節)して、
子供さんの生活に密着した歌詞を書いて、レッスンをすすめる事もあります。

お母様には、
せっかくの個人レッスンなのですから、
他の子供さんと比べることなく、
おおらかに、見守って頂くようにお願いし、
子供さんには、
どの本を選んでも、弾かないと、弾けないのだからね。と、
茶目っ気をまじえて、強引に(笑)さとしますね。



 


のりこ先生 クラリネットレッスン報告

2006-05-20 | 音楽いろいろ・ちょっと言いたいだけ~

やっと晴れました。先週土曜は雨でした。

先週、のりこ先生の初レッスンに同行しました。

クラリネットの出張レッスン申し込みがありまして、

「入会のしおり」をみながら、教室のシステムやレッスン回数、レッスン料のことなど、
まず、最初にきちんとお伝えしなければ、あとあと言い出しにくいお金の事を、
説明できるよう、ロープレをし、お母様や生徒さん本人からの質問も想定して、
練習。

レスナーである前に社会人であって欲しいし、ましてや出張で訪問宅に伺う場合は、
余計気を使います。

先生もはじめての経験で緊張するけれど、生徒さんはもっと緊張して、先生を
まっていますよ。
相手の立場になって、話が聞ける先生でいてくださいね。

訪問先では、ご両親ともどんな先生がくるのか、楽しみにしていてくださったようで、
無事、スタートしました。


子育てでこだわったこと(音楽編)

2006-05-19 | 音楽子育て回想

 音楽子育て回想

子育て中ににこだわったことは
ここに書きましたが、
音楽面でこだわったことは、

正しい音を聞かせる。(耳を育てる)
  ピアノの調律は年4回(現在は1~2回ですが)
子供の練習に口を出さない。

ピアノの調律をよく見ていましたから、
保育所のとき、「鍵盤ハーモニカの音が変だから、調律してもらって~」
なんてことを言っていました。(できるわけないでしょ

間違って練習していたのを知っていてそのままにしていたら、
「どうして、間違っているところを教えてくれなかったの?おかげで今日、マルがもらえなかった
と 文句を言われました。
そんな事が続くと、自分で慎重に譜読みをするようになったと思います。
お母さんがピアノの先生だから・・どうにかなるわ。
そんな甘えがあったのかも知れません。
そのうちに、親に「教えて下さい」と言えるようになりました。
さすがに、反抗期にはそんなことはいいませんでした・
面倒くさくて、たいしたことを教えませんでしたが、
最近は、「こんな風に弾いてみたのだけどどう思う?」と変化してきました。

娘二人を授かったとき、
娘と連弾ができたらいいな~と願っていました。
それが、子育ての早い時期に実現したわけですから、
あとは放任。それがよかったかも・・。

赤ちゃんが生まれたとき、親はただひたすら、元気で生まれたことに感謝し、
これからも健康で育つことのみを願っていると思います。

楽器を習わせるのも同じ思いでしょう。

音楽ができて、ちょっとピアノが弾けて、生涯の趣味にできたらいいよね。
そんな思いを忘れなかったら、たのしい音楽生活が続けられますね。

私のレッスン生活はわが子に教えられることが多かったです。

「音楽子育て回想」ってカテゴリーをつくりましょうか。


 


ピアノピース

2006-05-18 | 音楽いろいろ・ちょっと言いたいだけ~

 

ピアノピースって高いですね。
昔ばなしで申し訳ないですが、
全音ピアノピース 「エリーゼのために」 50円の時代を知っています。

最近は購入しないのでよくわからないですが1曲500円しますよね。
ピアノを趣味とする人には、
12曲で750円のこの本なんて安いものよね。


先日、若いゆみ先生が、シニアの生徒さん相手に、
もう曲集の中で、生徒さんの手にあう曲がなくなってきたので、
別の曲集をおすすめしようか、いまのまま少々難しくなっても使ってもらおうかしら・・
そんな感じで選曲についての、話し声が聞こえてきました。

ちょっとレッスンにお邪魔して、
曲集を見せていただき、5曲、仕上げてあったので、

「あらっ もう5曲も仕上げていらっしゃるのね。よく頑張られました。
もう、この本は充分お役目果たしましたよ。
本代の元はしっかりとれましたから
また次回までに、お好みの曲集を、由美先生に探してもらって下さいね。」

元をとった・・ なんて関西のおばさんの乗りですが。

由美先生はあとでしきりに感心していました。
そうやってオススメするのね。ってね。
 由美先生もそのうち、私みたいなトークができますよ。

曲集で1曲しか使わないからと、先生の手持ちの楽譜をコピーして、
渡す方もいらっしゃるようですが、
そのような場合は、ピアノピースを活用して欲しいですね。


BGM

2006-05-17 | プライベート

 

BGM

いろんなところでBGMが流れています。
知っている曲や、演奏したことのある曲が流れていようものなら、
ついついメロディーを追って、
無意識に聴音してしまい、
うっとうしくなることがあります。

ある日、寝入ろうとしたところ、ピアノ曲が聞こえてきました。
主人が階下で聞いているようです。
よく知っている曲です。
頭の中に譜面が浮かんできて、寝られたもんじゃありません。

そんな時は、ジャズがよろしいようで・・・。


18年度 ムーミンズ開講

2006-05-16 | PTAコーラス・ムーミンズ

5月15日

飾磨小学校PTAコーラス
ムーミンズ 18年度開講しました。

昨年度に引き続き、ピアノは,ゆみ先生で、
メンバーは今年度新規の方10名を迎えて、
28名で発足しました。
多いほうが楽しいので、途中入会も大丈夫ですよ。

PTA活動の一環としてのグループですが、
姫路市57校にそれぞれグループがあり、
今年は近隣の町と合併しましたので、
さらにグループが増えていることでしょう。

学校のお休みを除いて、ほぼ毎週、週に1回、練習がありますが、
歌を歌っているお母さんって、子供はとても大好きなんですよ。

みなさん 一緒に頑張りましょうね。