志情(しなさき)の海へ

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「国立劇場おきなわ芸術監督」幸喜良秀氏は応援したい!県立芸大教授板谷徹氏の大胆なメッセージは凄い!

2012-03-23 09:00:53 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
今朝が23日だとは!22日だとばかり思っていた。シンポの編集はまだ終了しない!やれやれ!英文の発表原稿も今から!
間に会うのだろうか?厳しい!

22日だとばかり思っていた今朝の新聞を見て驚いた!板谷徹先生の『御冠船踊りシンポに寄せて』の寄せ書き(案内文)がびっくり!である。琉球新報も沖縄タイムスも文化庁審議委員であり、能楽学会代表で日本演劇学会会長天野文雄先生が基調講演するシンポ『劇場と社会」に寄せ書きも含めて広報をお願いしたのだが、そっけない対応だった。しかし、板谷先生の文章を読むと、先日のシンポを踏まえた大胆で挑発的な文面である。

シンポをやった結果はこのように反映されるのだ思った。板谷徹先生にはコメンテーターをお願いした。また論議の場でもかなり厳しい見方でお話していた。

沖縄の芸能研究などをリードしてきた方々や県の教育庁や、国立劇場おきなわの運営・企画に大きな決定権をもっている方々の功罪がこのようにあぶりだされてくる。沖縄の文化行政のアラが見えてきたのである。なーなー、テーゲーで済まそうとするのだろうか?沖縄芸能界でモテモテの三隅治雄先生や田中英機先生などはこの劇場の推進に大きなバックボーンになったのだろうか?

「ユネスコの世界遺産も国の文化財指定も返上すべきだ」ということになります!と厳しくかなり挑発的な閉じ方である。さてこの緻密な研究者板谷氏の実証的な研究から見えてくる提言に沖縄県教育庁文化関係部局はどう応答するのだろうか?新聞社が無視したように、文化庁も無視とはいかないと思うのだが、文化行政の事大主義的ななーなー主義がここで明らかになっているようだ。

物取り主義である、まず箱を取り、それからソフトだといっても中身さえおかしいというのが現実で、「我々が望んだものではなかった」とおっしゃる前に設計や企画段階で知的リーダー(専門家)はもっと吟味すべきだったのであり、現在の形式が琉球王府時代の形態にほど遠いとわかっていて、近代以降の歴史の推移を折衷的に採用した、という事だろうか?

現芸術監督、幸喜良秀氏とはまったく関係しない設立の経緯が問われよう。幸喜氏は現劇場をどう社会に開き、どう芸のバトンが渡せるか懸命に取りくんでいる。劇場の問題だけではなく、御冠船時代の組踊のシビアな検証をするならば、もっと緻密な取組がなされるべきなのだろう!それは専門家の問題か?

沖縄側の歴史文化の真実に迫っていく精神・意識が問われているようだ!

御冠船踊りとしての組踊をどう再現していくのか?国立劇場おきなわも模索している姿が伺える。しかし、ならば、劇場そのものの形態を改修しないかぎりそれは無理ということになり、近代以降の芝居や組踊の再現の場でしかない。この劇場で面白いのは実は沖縄芝居実験劇場や新作組踊の大胆な舞台である、ということもうなずける状況である。四間四方でいいはずはないかな?また従来の沖縄芝居には距離がありすぎる舞台である。沖縄芝居の身体にもあっていない劇場である。沖縄芝居は首里劇場や以前の那覇劇場のような芝居小屋が似つかわしいのである。身に付ける衣装にあわない身体だと問題は大きくなる。

村踊りの三間四方の開かれた空間が再現できるのだろうか?板谷氏は座敷芸が主だったと語った。仮設舞台の三間四方の意味はどこにあるのだろうか?近代以降の身体は変容してきたのである。変質・変容を肯定した上での劇場であるが、近代の形態ともまた異なる。現代のウチナーシバイも公民館に即した身体になっている。これもまた問題という事になる。

やはり一つでも御冠船時代に適合する組踊舞台を設営しないかぎり、確かにユネスコに記録された無形文化財の価値は曖昧なままに推移していくのだろう!この一説、「すずきむねお」劇場の問題がここに至って批判の声が聞こえてきたのはいいことかもしれない。この劇場にあったソフトは新作組踊と沖縄芝居実験劇場の舞台である!大胆な新作組踊=沖縄歌舞劇である!

「したいひゃー」と声がかけられない組踊舞台はいらない!横浜能楽堂でさえ、観衆の声や笑い、感情があふれた。舞台と観衆が一体となるにはまだ距離があるのだろうか?課題は大きい。しかし沖縄の芸能担当記者は実演を追いかけるのにたいへんそうだが、もっと本質的な問題にコミットしてもいいのではないだろうか?あるもの(表層)を疑う目線が試されている。

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