(あの時、ゆうなの木のおばさん猫はまだ元気な姿を見せていた!蝶々園の前で!管理室の前のネットを張ったその上から虎のように降りてきた時の姿が
脳裏に残っている。ゆうなの木のおばさんは素敵な野良猫だった!公園は安全な棲家ではないのらしい。)
思えば幼い頃育った集落は、楽園だった。あの頃は皆貧しかったが、貧しい中でも町に出て成功した方々の屋敷は広かった。ほとんどが首里から田舎に生活の場を求めてきた家族が寄り添っていた。皆が協力しあい、直にとれる野菜や芋や大豆やお米は豊富で、豚や山羊がいた。水田もあった。麦も栽培されていた。家の前の川や少し歩いていくと海があり白砂の浜があった。
その自然の佇まいをMさんは共有していたのだ!
首里からやってきて海辺や川沿いに定住していった士族の人々の生活の色合いが見えてきた。白いあごひげで沖縄芝居の士族の語りのような、首里ことばを彼女は祖父から聞いていたのである。
これから何時間かかけてMさんの記憶の中の海辺の一族の物語を言葉にしたいと切に思った。
故郷の村について、物語を書きたいと思ってきた。できればそれに取り掛かりたいのだが、まだ他の課題が残っている。
これから6月頭まで、ゆっくりブログを更新することもままならないほど、濃密に取り組まなければならない責務に向かっている。