土壇場で原稿をキャンセルされるのは痛い!
恥をかいても前向きでいいと思う。道化ではない人間なんてどこにもいないのだ、と思ったりしている。人生狂言回しのところが必ずあるに違いない。真面目の不真面目さ、綺麗はきたない、かっこいいはカッコ悪い、正統派の正統派ゆえの味気なさもある。だから言い訳を聞く。嘘でもきく。嘘をどうつくかもその人の個性なのだろう。なぜかすべてが愛おしく思える瞬間がある。いつか消える日までstriving!
目の前の本、自分が書いた本でも並べてみたい。不器用で、カッコ悪くていい。生きている間のライフ・モチーフを追いかけよう。カッコ悪い人生の断片を詩にしよう。シュールさは時間が止まらないという事、時間の正確さについていくこと、この大きな川の渦、が怖いと思うこともあるが、なぜか、ダメな自身の想念との闘いのパトスの面白さはある。
就活の話題がラウンジにも響いている。どこそこは行ったか、と。以前に比べて選択の幅は広くなっていることに驚嘆する。ああ、わたしの人生、思えば同じところにしがみついていたのね、他に生き方があったはずなのに、と今更ながら若者たちの就活にハットさせられる。こうして生きるより他に術がなかったのか、と一瞬思った。そうね。生きている間にやっておきたいことのリストがあと少なくなっていくかな?意外とふえたりしてー、mmmmm。んんんん。
自分の感性に正直に生きれた人が一番幸せかもしれない。結果は別ー。シェイクスピアの戯曲は結婚で終わるのが多いが、幸せの結婚を描いたのは一作だけだと、ゲイの著名な研究者の本は伝える。結婚が終着駅ではないはずだが、なぜか幻想共同体なんだね。落書き終わりで冊子編集に戻らなければー。
彼女の原稿を待っていて調整、印刷会社への予定だった。今頃できそうもないー、である。ピンチの精神に微笑みあれと念じよう。誰でもそんなことはある。関係性がいつでも地獄の刃を微笑みとともにもたらしたりする。でも人は耐えて生きている。それぞれの宿命に耐えている。喜びは、たまさかの穏やかな会話かな?現実は追い込まれている。書けるの?である。書き終えたい。
イソヒヨドリの鳴き声にうっとりはいいね、このモメントだけ幸せ!
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ハワイ四世は英語が母国語。ウチナーグチをオランダ出身のハンスさんから習っている。アメリカ人でハワイ人で沖縄人。MIx identityを生きている。
人は自らのルーツに思いをはせる。「あなた自身を書いたら未来の沖縄、日本かもね」。移民していった親戚はハワイ、ニューヨーク、ペルー、アルゼンチン、ブラジル、その裾野は広い。彼らの内何人かは日本に戻ってきて埼玉に住んでいたりする。日本語がなかなかうまい四世のTさん。「先生、わたしを哀れんでください」の表現でびっくりさせたりする。こんな言い方はだめよ、先生わたしに同情してください、はまだいいのかな?せんせい、僕のたいへんさを理解してください。??ことばはやさしそうで難しい。