梅雨明けと同時に黄色いバラ「レヨンドゥソレイユ」の半分だけ葉っぱがたった二日間で突然黄色くなりました。
「流石、黄色いバラは葉っぱも黄色いんだね」なんて冗談云ってる場合じゃないです。
黒点病とかでは無さそう。
根っこを半分何かの幼虫に喰われたか?
でも、良く見ると株元全体が3倍くらいに太くなってゴツゴツしています。
聞いたことある。
バラにもがんがあると・・・
調べると、やっぱりがん腫病です。
思い起こせば昨年あたりから「随分根元がゴツゴツしてるなぁ」とは感じていました。
春以降に一気に大きくなりました。
どうやら、このがんは土の中の細菌が原因で発生するらしく、木の表皮部分がスポンジの様な感じになって行って、水を吸い上げる表皮部分が破壊されて枯れてしまうらしい。
ここまでなっては末期的状況の様です。
一応、半分の枝はまだ青々と葉が茂っているので、子孫を残すため元気そうな枝を2本切って挿し木と接ぎ木にしました。
その上で、ダメ元でゴツゴツした部分の一部をプライヤーで取り除いてみました。
意外と簡単にぽろっと取れました。
中は白くなっていて水気が無く、スポンジを硬くしたみたいにブカブカしています。
取れるんなら全部取ってみるか・・・
どのみちこのままでは枯れるのが必至ですから。
下に広がっている茶色いのは全部それです。
相当数取れました。
さっぱりしちゃいましたが、多分根から水分を吸い上げる表皮部分がほぼ無くなってしまったので、枯れてしまうでしょう。
挿し木および接ぎ木に期待するしかないですね。
ウメモドキの所に勝手に自生した野バラが根を張ったので台木にして接ぎ木しました。
何となくうまく行きそうな気配です。
が~ん!というところです。
手当の甲斐があると好いですね。
我が家のも、そういわれればあったような気も・・・
挿し芽が付いたので、忘れていました。
花を育てるには、害虫も益虫もいますから、そういった配慮も欠かせないのですね。
無農薬であれば尚更、難しいのでしょう。
やはり咲いてくれることに感謝ですね。
こちらのレヨンドゥソレイユは昨年から花の付きも良くなくて前兆は沢山有りました。
カイガラムシが付いてから弱った感じですが、弱ったのでカイガラムシが付いたのかも知れないです。
隣接する他のバラには付きませんでしたからね。
人間は自ら身体の管理や改善する事が出来ますが、植物はそれが出来ないので早く気付いてあげての措置が大切なんですね。
昨日フロレンティーナとレヨンドゥソレイユ両方に枇杷葉茶を株元に掛けてあげましたよ。
良いと云う物は何でもしてあげた上で枯れてしまうのでしたら、有る意味諦めが付きますからね。
自分の中ではEMと枇杷葉茶それぞれと相乗効果に期待しています。
実は、それが言いたかったのです。
ジャックと豆の木も、葉が枯れて落ちて心がおれました。
でも触ったら、援けてと言う声が聴こえたの。
枇杷葉茶をたっぷり与えて数日後、何と新芽を吹いたではありませんか。
それと木村秋則さんの遣り方です。
毎朝、声を掛けるというのは好いようです。
庭の見回りに、おはようや暑いね、気持ちいいかな等話かける。
植物にも命が宿っているのです。
草を抜く時にも、刈る場合にも同じだと思います。
或いは、地面を動かしたり、工事をする時にも人間だけの都合は避ける。
きちんと話しかけて、納得して貰って行う。
其処には、金神様がおいでなのですよ。
とある方のブログで、草が生えて来て邪魔なのとかの記載後、病気になったの。
最近は、砂に水を掛けたら固まるのがあるでしょう?
写真だけだけど視えたのです。
迷信と云われようが、根拠は何もないと思われても自然には逆らえません。
人間は、自由であると同時に遣ったことへの責任も負うのです。
そういうのが判る者でありたいと想います。
余談ですが、nasuさんの✊から凄いオーラが出ていますね。
然も、強運かな?
但し過信したり、有頂天になると運気が逸れます。
「過信」は多分無いです。
常に状況を確認しつつ論理的に進む方です。
結構心配性なのでしょう。
「有頂天!」これは常にその状態ですね。
会社勤めしてた時も色んな人から「何時も楽しそうでいいね」って云われてましたから。
どんなに落ち込むような事があっても恥ずかしがってそれを隠すような事もしないし、天然ボケ的な何時も有頂天状態なのでしょう。
と言うか、隠すと原因究明もねじ曲がるし先に進めないので嫌いなんです。
松下幸之助さんの「私は失敗した事がない」はそう言う事なんです。
失敗は成功までの単なる途中経過でしか無く、最後に成功すればそれは「成功」なんです。
今回の件も、普通ならブログ記事しない人の方が多いかもです。
でも、この記事見て役立つ人も居るかも知れないと思うと、楽しみにもなります。
自分の事で隠し事が多かったりそれが得策と云ったり人前でヒソヒソ話しするような人にはなりたく無いたちです。
小学校の通信簿に「裏、表の無い性格」と書かれました。
生まれ持った性分なのでしょう。
他人が見ても自分は自分でありたいですね。