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八甲田山死の彷徨

2023-02-06 06:38:38 | 読んだ本の紹介

八甲田山死の彷徨 新田次郎



1971年の小説ですね。1977年に映画化されてます。

北大路欣也さんの「天は我を見放した」というセリフが一世を風靡しました



1902年日露戦争前夜、青森県八甲田山にて行われた雪中行軍訓練時の事故を

描いた小説です

それは1月24日に起こりました。ちょうど先週の10数年に一度という大寒波と

時を同じくしてて因縁を感じました



あらすじ

弘前第八師団の第四旅団本部で、旅団長の友田少将と参謀長の中林大佐が

青森歩兵第五連隊と弘前歩兵第三十一連隊の連隊長以下を集めて会議を開いた。

議題は八甲田の雪中行軍演習であった。

ロシアの満州への進出で日露関係が緊迫して、第八師団では対露戦の準備に入っていた。

そこで課題として参謀長が挙げたのは寒地装備と寒地訓練の不足であった。

相手は零下40度の雪原でも闘えるロシア軍であり、日本軍にはそのような経験が無いので、

極寒対策や雪中行軍の注意点及び装備品の研究を行うために厳冬期の八甲田山を行軍して調査を実施するものであった。



青森歩兵第5連隊は神田大尉が責任者となり、雪中行軍を仕切り

青森側から八甲田山に入り田代温泉で泊まりさらに野営1泊で帰還する計画であった

弘前歩兵第31連隊は、徳島大尉が責任者で弘前から十和田湖を通り青森市に抜ける行程を計画。

途中ですれ違うことを、お互いが約束として意識していたと描いてありましたね



神田大尉は優秀な将校であったが、上官である山田少佐がよこから口を出し

中隊編成と大規模な行軍となる。

また拙速な準備をしいられ、経験不足であることも災いした



かたや徳島大尉は、雪中行軍の経験者で綿密な下準備を行い小規模な小隊編成としていた。

また地元の人間を案内役に雇用もしていた。



そして1月24日、記録的な寒波に見舞われた八甲田山は、神田、徳島に襲い掛かる。

神田中隊は、猛吹雪の中道を見失う。意を決して撤退を山田少佐に具申するも

山田少佐は反対し、指揮命令系統が乱れ立往生となる。

映画では、あまりの寒さにより脳がおかしくなり、熱さを感じ着ているものを脱ぎ捨てるという

まさに「天は我を見放した」と神田大尉が慟哭する結果へ

数多くの死傷者を出し失敗に終わります

かたや、徳島大尉は無謀な動きをせず、地元の案内役の指示に従い難を逃れる。





無能な上官の指示に抗えず、準備を怠った神田大尉。

それはすなわち冬山を軽んじていたことになるのでしょうか

どこにでもあるような話

日本の政治家も同じか

無能な総理。いくらスタッフが優秀でもねえ

やることやることが裏目にでて、だれも助けようとしない

自分のことを優秀だと思ってる親ばか

山田少佐は、生き残りましたが自責の念から自決しております。

無能な総理には、自決するまえに退陣したほうがええんではないの

親子なかよく、広島で余生をお過ごしください。









コメント (2)
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