1月13日、朝4時半に夜行寝台列車でハノイ駅。送迎バスで今夜泊まる予定のホテルへ荷物を預け、7時のホテル朝食までロビーで待機。
8時バスでハロン湾向けて出発。
街は出勤時間だ。バイク・バイク・車・車・自転車・自転車・・・その雑踏
この一枚の写真ではその凄さは伝えられない。信号はほとんどない。現地ガイド・ゾウ氏は“事故は少ないデス”という。
1年前からバイクは「ヘルメット装着と二人乗りまで」の規則が設けられたというが、三人乗りや4人も見かけた・・。
季節が乾季のためかまたは排気ガスのためか、街路樹は全て茶色の砂をかぶったよう。また、街路樹が電柱がわりになり電線が無数に巻きついている。・・。これでは度々停電があったり、ホテルのテレビが映らなかったりのはずだ。
ハノイは、さわやかな緑の街というイメージだったから、期待を裏ぎられた・・。これでは中国そのもの・・・。
勝手に期待した私がいけない?
8時バスでハロン湾向けて出発。
街は出勤時間だ。バイク・バイク・車・車・自転車・自転車・・・その雑踏
この一枚の写真ではその凄さは伝えられない。信号はほとんどない。現地ガイド・ゾウ氏は“事故は少ないデス”という。
1年前からバイクは「ヘルメット装着と二人乗りまで」の規則が設けられたというが、三人乗りや4人も見かけた・・。
季節が乾季のためかまたは排気ガスのためか、街路樹は全て茶色の砂をかぶったよう。また、街路樹が電柱がわりになり電線が無数に巻きついている。・・。これでは度々停電があったり、ホテルのテレビが映らなかったりのはずだ。
ハノイは、さわやかな緑の街というイメージだったから、期待を裏ぎられた・・。これでは中国そのもの・・・。
勝手に期待した私がいけない?
1月12日の午後は山の町サパからラオカイLAO CAIへバスで移動した。ラオカイの中心から10分も走るとこの写真にある中国との国境の門があった。
このラオカイからハノイまで再び、夜行寝台列車で移動した。5日前サパへ向った時の衝撃体験で、覚悟が出来ていた。しかし、標高の高い所から低いところへ下る時のほうが揺れがやや少なかった。でも、熟睡するというわけにはいかなかった。
21:15分→5:00の予定が、30分早くハノイ駅に着いてしまった。日本では考えられないことだ。予定どおりのことなのか、そうでないことなのか・・・。
この線路は単線だから、何処かの駅ですれ違ったはず。この夜行寝台列車は上りが1便、下りが1便しかない(らしい)から、調整は簡単なのだろう。
このラオカイからハノイまで再び、夜行寝台列車で移動した。5日前サパへ向った時の衝撃体験で、覚悟が出来ていた。しかし、標高の高い所から低いところへ下る時のほうが揺れがやや少なかった。でも、熟睡するというわけにはいかなかった。
21:15分→5:00の予定が、30分早くハノイ駅に着いてしまった。日本では考えられないことだ。予定どおりのことなのか、そうでないことなのか・・・。
この線路は単線だから、何処かの駅ですれ違ったはず。この夜行寝台列車は上りが1便、下りが1便しかない(らしい)から、調整は簡単なのだろう。
㋀12日(火)ツアーも後半、この日からは観光主体の旅です。
サパ/sapaは今日も霧雨、近くの棚田と少数民族の織物や石細工の工房、小学校の見学。
足元はどろどろ、転ばないように村の中を半日歩きました。
サパ/sapaは今日も霧雨、近くの棚田と少数民族の織物や石細工の工房、小学校の見学。
足元はどろどろ、転ばないように村の中を半日歩きました。
SAPAは霧の町
この写真は山からSAPAの町に下りてからお土産を買いに通りを歩いていると、例の竹篭を背負った女の子やおばちゃん達が寄ってくる。少数民族の女性達の賃稼ぎだ。生活がかかっていると思うと何でも買ってあげたいと思うのだが・・きりが無い。
この写真は山からSAPAの町に下りてからお土産を買いに通りを歩いていると、例の竹篭を背負った女の子やおばちゃん達が寄ってくる。少数民族の女性達の賃稼ぎだ。生活がかかっていると思うと何でも買ってあげたいと思うのだが・・きりが無い。