護摩を焚く火の中に「大麻の実」を放り込んだのであろうか、長い間の疑問であった、平安時代の『新猿楽記』では、ある家族を紹介しているのだが、その中で、家族の職業に対する詳細な記述があった、真言師の次郎について、
「次郎は、一生不犯の大験者、三業相応の真言師なり」
(次郎は、一生不犯の修験者で、身・口・意の三業が一致するホンモノの真言の行者である)
そして、次の一行になる、
「修法に芥子焼くに験あり」
この「芥子」が問題、「芥子」を「からし」と読むか「けし」と取るか、それによって、ガラリと様相が変わってくる。
さあ、どちらなんだろう、この辺は、歴史を読む者の醍醐味であろうか。