The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The history of Japan that he watched 上

2015-11-14 09:23:29 | 世界経済

What did he watch in Japan ?
He was Engelbert Kampfer who stayed from 1690 to 1692 .
On the way to Edo , he saw the boys who weared beautiful kimono waiting guests near syukuba (village) .
This bad habit that was popular among priests of Buddhism order prevailed the life of commorner .

He said in Japan there were more heroes than those of Europe .
They fighted bravely and died like sakura falling away .

Why did the man of Japanese want to live such beautiful life ?
One foreigner who traveled many countries might be surprised it .
    
        ケンペルの見た日本 上    
 ケンペルは、日本で、一体、何を見たのだろう。
 彼は、1690年から1692年までの2年間、滞在している。
 江戸へ向かう東海道の宿場の外れで、美しく着飾った少年たちを目撃しているが、彼らは、旅の男の相手をしていた、貴重な記録になった。
 比叡山で猖獗(しょうけつ)を極めた稚児文化が世俗化して、一般の庶民にまで浸透していた、これは、つい最近まで九州の炭鉱の町にもあり、不衛生な行為によって罹患し、脳をやられ廃人になる少年がいた、近代日本の発展の歴史には数多くの犠牲者がいたことを忘れてはならないだろう。

 彼は、この国には、ヨーロッパの英雄以上の勇者がいる。
 サムライたちは、勇敢に戦い、さくらの花のように散っていった。

 なぜ、この国の男たちは、かくも潔いのか。
 多くの国を旅してきたケンペルには、それが驚きであった。

 ”It was Japanese that came from Babylonia " の最終回は、もうひとつのブログ・The letter from Yokohama - yokohama888 - に発表してあります。