In the Buddhism , everything in itself changes .
I do think that it may be equal to the quantum theory .
I believe the modern science catches up with Buddhism at last .
For example , the particle of light has both particle and wave, and the moment we watch it , it becomes the light .
I think that " 諸法皆空 " pointes it.
仏教の核心は量子力学に一致するか
仏教の根本思想は、量子力学に一致していないか、漸(ようや)くにして、科学は仏法に追いついたのかもしれない、その前に次元の低いエピソードの顛末(てんまつ)を。
瀬戸内寂聴の活躍の原因のひとつに、彼女が文章を書けることがあるのかもしれない、元が作家だから当たり前だが、雑誌やテレビは人を集めてナンボの世界だ、内容は二の次・三の次、年金生活者を集めて、ありがたそうな法話で、大切なお金を召し上げる・掠(かす)め取る、カネボケ・ジャクチョウの誕生だ。
どんな世界でも、長い修行生活が必要で、文を書くことも同じ、30年間・世話になった雑誌社の社長が、ある日、
「臨済宗の高僧に一文をお願いしたんだが」
表情が暗い、
「どうしたんですか」
「それが ひどいんだ なにを書いたんだが分からない」
「ボウさんなんて そんなもんですよ」
「『なんとかなりませんか』って言ったら」
「どうしました」
「『悟人の心境は 俗人の伺(うかが)い知るものではない』、居直ったんだね」
「そりゃあ ひどいなあー」
「しかたない ゼーンブ 私が書いた」
社長は、高橋和己の『我がこころは石にあらず』は、
「わたしが つけたんですよ」
だから、文才があるんだろう、私を抜擢(ばってき)して、一段の段組みで書かしてくれた、77回・6年を越えた、これで、自信と実力がついた。
これは、あの実存主義のセンセーとは逆のケースになる、
「君はねえー いいことを言うが書いたものがないからダメなんだ」
ところが発表するチャンスを与えない、それでも、なんとか書き上げると、
「君なんか こんなもんでも書いていりゃあ ちょーどいいんだ」
「・・・」
「まあー からだに気をつけてしっかりやるんだなあー」
実話である、大学人なんて、こんなもんだろう・・・
さて、瀬戸内と今は天台宗だが、ニッポンの仏教教団はひどいものらしい、あのアップルのジョブズは道元禅に心酔して出家を懇願した、この時、日本人の師家(しけ)は、
「ビジネスの世界でも スピリチュアルな仕事はできる」
この言葉にはウラがあり、ジョブズの情熱や才能は、僧侶の世界では殺されてしまう・台無しになる、ということだったのではあるまいか。