イギリス人のクリスチャンと中国人のクリスチャン、イギリス人はイギリス的で中国人は中国的、つまり、イギリス人の personality(性格)の上にキリスト教が乗っかっている。
両者ともに自己主張が強く、利害に熱心で、それに、しつこいほどに現実的だ。
日本のクリスチャンはどうか、やはり日本的、あの内村鑑三がアメリカの牧師が自分中心で利害心が強い、対して、当時の日本人は、つつましく謙虚(けんきょ)、「日本の 一般の人の方が、より宗教的である」、もちろん、こうした出来事と宗教は別次元で、客観的にはならないという立場もあるにはある。
フィリピンのキリスト教もフィリピン的かもしれない、家族的で集団的、あのカトリックの坐禅道場・秋川神冥窟(しんめいくつ)で、フィリピンのシスターが、
「わたしの部屋に 大きなクモが出ました」
クマならタイヘンだがクモなんかなんでもない、
「ドンブリに入れてかきまわして 納豆の代わりに食べてやる」
オットリホウキで駆けつけるが、どこにもいない、それにミョーな空気、なんかヘンなのだ・・・そこで、ワタシの診断は、
「性的ストレスから來る 幻覚症状」
第二次大戦中のイタリア、ナチスの爆撃で女子修道院が瓦解(がかい)した、すると、その地下室からたくさんのちいちゃな白骨、赤ん坊のモノだった、どーゆーことか、若い修道士やイケメンの神父が訪問する、その夜のこと、
「エスさまが わたしのカラダに入ってきたんです」
その結果は極めて現実的で、第二第三のキリスト、こちらは神話にすることはできなかった、それが、数百年に渡って続いた。
これとは違うケース、神冥窟の休日、山間の雑貨店に買いものに出かけると向こうから中年の女性が二人、シスターだ、なんかヨウスがおかしい、あわてて電柱の後ろに隠れる、手と手をにぎっている、ヌルヌル・ベットリとしたナマズの体液のようなものが包んでい、見てはいけないものを見てしまった、
「これは なんだ」
電柱の陰でイキを殺す、おとろえた肌がセーイッパイ輝き、見かわす目と目が・・・
「あっ できてる」