明治41(1910)年5月に大逆事件が起きた、これは漸(ようや)くにして広まって来たこの国の社会主義運動を一挙にタタクために frame up (デッチアゲ)された事件であるという意見が強い、それを見破ったのが石川啄木だったが、もう一人、あの森鴎外が関与していた。
高級官僚としての鴎外は、ヨーロッパにおける社会運動の実態について、明治政府にアドバイスしていたのだ、鴎外は死に望んで、
「森林太郎として死にたい」
さすがに忸怩(じくじ)たる思いがあったのだろう。
さて、統治権と統帥権のふたつの大権を統御(とうぎょ)するのは簡単ではない、至難の業、病弱であっては不可能、運命共同体の中心に、「正義と権威」が機能しなければ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する、ネズミやイタチ・キツネやタヌキの天下に成る、昭和の前半はどうであったか、はっきりしない、いや、はっきりさせられないのかもしれない。
「秩父宮なら どうだったんでしょう」
「そう来ましたか」
「千万人に1人の資質 明治天皇の剛毅(ごうき)な性格を承けついていたと言われている」
秩父宮がイギリスからの帰途、ドイツに立ち寄る、一代の風雲児・A.ヒトラーにゲッペルス・ゲーリング・ヒムラー・ヘス・・・錚々(そうそう)たるメンバーが出迎える、この時、ヒトラー。口を極めてソヴィエット・ロシアのスターリンを罵倒(ばとう)した、あのトランプ君も真っ青な罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐、スクッと立った東洋の貴公子、
「いかなる事情・理由があるにせよ
かかる公(おおやけ)の席で
居ならぶ 紳士淑女の面前で
一国の代表を かくも烈しく罵(ののし)ること それは」
「・・・」
「それは Gentlemanの取るべき態度なのでありましょうか」
寂として声無し、
「東洋に 一個の紳士あり」
居並ぶナチスの面々、顔色無し。
「秩父宮であらせられたら ああいうことにはならなかったのではないでしょうか」
「そうならないのが歴史なんです
この国の運命共同体にあっては長子相続が慣習であり
どんなに力量があっても次子にはムリがある 不自然である
祭り上げることはできないのですよ」
「あなたのご意見 拝聴しました」
「久しぶりに 痛快な気持ちです」
「今夜は いいお酒が飲めそうです」
昭和晩期の早稲田には、もうひとつの大学があった。