The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

昭和晩期の早稲田大学周辺 下

2017-06-20 05:02:56 | 世界経済
 
 昭和晩期の早稲田大学周辺には、気品と気骨のあるニッポンの男がいた、今は、いないだろう。

 「どうして ああなんでしょう」
 当時の大学の教授・助教授、気弱な大学人たち、
 「ひどかった 今はどうか」

 どの大学でもそうだったのか、左翼全盛で盲目的な子供じみた共産中国の礼賛、
 「そんなに好きなら 中国でも北朝鮮でも 行けばいい」
 すると、青白い顔が、
 「キ・キ・キミは プチブルだ 堕落している 反省しろ 反省するんだ」
 大きなお世話だ、このグループを甘やかしている教授がいた、
 「キミたちの言うのは もっともだ 日本の政治は堕落(だらく)している」

 哲学の方は実存主義で、
 「人生には 意味がありません
  世界には 価値がありません」
 「この世は 不条理(ふじょうり)なんです だから
  『生きていて ごめんなさい』
  これが ひとつの結論になるんですね」
 「ボクなんか ちょっと長生きしすぎたのかもしれませんよ ふふふ」
 人生の出発点に立つ若者たちに、なんて情けない講義だったんだろう。

 もの分かりのいい平和主義のリベラリスト、いいことを言う、そう ”all talk and no action "、責任を取る段になるとスルリと逃げる。

 トツゼン、
 「ウッ」
 くぐもった声、
 「ブリブリのブリー」
 ものすごい匂いが教壇から吹きこぼれた、
 「クッセエー」
 前列の学生がパニック、犯人はシリを押さえて逃げた、事務員がすっ飛んで来て、
 「キュ・キュ・キューコーにしまーす」

 Wクンが、
 「あいつは 憂鬱(ゆううつ)を気取っているうちに 憂鬱の体質になっちまって 便秘と下痢の繰り返し とうとうやっちまったな」
 「すごかった すごかった 一生の思い出になりそうだ」
 「あははは 実存主義は くさいと見つけたり」

 The早稲田という感じのW君、当時はこういう傑物(けつぶつ)がまだいた、彼とのエピソードは別の機会に、
 「実存は 本質に先行する
  下痢は 実存に先行する
  これっ いいだろう  」
 「まあまあだな」
 「銀座の英国屋であつらえたイッチョッラ ダイナシだな」

 「ワセダの恥(ハジ)だ 気取り屋のクズ野郎め ざまあみろだー」

 「どうして ああなんでしょうね」
 「優秀な学生から 先に先にと 死んでいったんですよ」
 学徒動員のことだ、「あっ この人 その一人だったのかもしれない」、目の前の若者は、
 「ドイツ語やフランス語の原書を 愛読できる頭脳の学生だったんです」
 「彼らが生きていたら ニッポンは もっと もっと 良くなっていた」
 「わたしは わたしは 申しわけないと思っているんです 思っているんですよ」 

 昭和晩期の早稲田大学周辺には、本当の日本の若者がいた。