現在の法体系に絶対的価値が要請されるのだが、ヨーロッパのキリスト教世界ではしごくカンタンだった。
この世界・この宇宙は、神が作ったものだから、神の言葉を信じればいい,守ればいい、不合理な事件や事故であっても、それは神の試みであり、それを通して神への信仰を貫けば、かならずや2倍3倍になって返って来る、
「不合理ゆえに われ信ず」
そういった意味では、ヨーロパの中世は平和であった、フェルメールのあの時間が止まったような絵画は、その産物であり、精神や永遠・絶対と対決できた数百年になる。
ヨーロッパの近代には、その蓄積があり、あの煩瑣で複雑なキリスト教神学が、どれほど人々のアタマを鍛えたことか、アジアの諸国は、これにやられたのだ・・・