明治新政府に対するイギリス公使・パークスの態度は、
「政府の高官を呼びつけ 怒鳴り散らすことがあった」
これは、薩長の朝廷側に決定的な貢献をしたためで、
1、最新式の銃
2、英国式の用兵術
近代の戦いでは、ヒキョウもヘッタクレもない、相手を撃ち殺せばいい、有効射程900メートルと500では勝負にならない、
「橋の下に追い詰め みんな討ち取ってしまったよ」
鳥羽伏見ではノコノコと一列に行進した、これでは、
「死にゾンである」
幕府側の司令部のアタマの悪さ、その体質は、現在も続いており、アフリカに行っていないのにアフリカ進出を奨励する官僚や政治屋の姿勢であろうか。
だから、明治の前半は、イギリスの影響力が大きかったようだ。