多くの宗教者に出会ったが、この御前さまがイチバン、カリスマ的禅僧・真言の高僧・カトリックの神父・・・私の父は、御前さまの弟子だったが、彼は、この若者を嫌っていたようだ、それは、
「下品で野卑な俗物」
見抜いていた、真冬に水を浴びる荒行、2度の出征、言語を絶する経験をしたが、
「人間の本性(ほんしょう)は 変わらない」
90歳をこえた母親に、
「2度も出征したのに 五体満足 ケガひとつしなかった」
「上役に ゴマをすっていたんです それで生きのびたんでしょうね」
御前さまは、そんな父親を見透かしていたんだろう、そして、どういうわけか、わたしを大切にしてくれた。
8月の下旬、井戸バタで子供たちの書き損じた半紙を広げている、前日、習字の会があったのだ、
「この のびやかで自由なセン」
「希望にあふれ どこまでもどこまでも かけあがろうとする」
「いのちのかがやき いのちのひかり ひかりのいのちなのだ」
「これには 道元や空海も およばない」
そして、カタワラの葡萄の木を指さし、
「来年は実をつけるでしょう」
「マコト君にもあげましょうね」
わたしは、なんという少年時代を過ごしたのだろう。