小さな私は、それでも法華経を知りたかった、あの大寺に白衣の老人がいて一日中、大乗仏典を読んでいた、私を見ると、
「しみいるようなほほ笑みを浮かべた」
「我法王となりて 法において自在なり」
これは、
「我がものと思えば軽し 傘の雪」か。
「宝樹 多華果」
大学院で、ちょっとSanskritをやったが、漢字は千年をジャンプする、本質を貫く、
「大変な財産のはずだ」
さすが明治の文人は分かっている、いや分かっているひとがいた、
叡山があり、
「紀の国の 高野の奥の古寺に 杉の雫を 聞き明かしつ」