それまでの学者は政治家と付き合おうとしなかった、せいぜい政府の審議会の委員をするぐらい、ところが、
「桑原さんと梅棹さんの方法は、政治家にいいことをしてもらうために、学者は政治家に知恵を与えるという考え方だった」
「そうやって梅棹さんは国立民族学博物館(民博)をつくった」 ― 7・7 日経 梅棹忠夫を悼む 梅原猛 ―
大分前に訪れたのだが、台湾のコーナーが無かった、鳥居竜蔵さんの台湾原住民の調査が、この国の人類学研究の嚆矢だったはずだ、真っ先に展示すべきなのだが、どういう事情か。
恐らく、自民党の政治家に働きかけて、この国立博物館を建設したのだが、当時の自民党政府は中国との友好関係を重視しており、そこで、共産中国の「一つの中国」を慮(おもんばか)ったんだろう、学者離れした政治センス、その成果が、あんな不便なところ、彼の家の近くということになる、因みに、この大物学者は、いつも会議に遅れてきたという。
「民博」の私物化とは言わぬまでも、それに近い事情ではあるまいか、それにしても、箱根のヤマのこちら、東京の近郊であれば、どんなにか、意味と価値を生じたことか、アキバに行ってから、赤い電車で三浦の博物館という楽しみだって、できたんではなかろうか。